見出し画像

私のシンガポール移住_出発前

私がシンガポールに渡星したのは1996年。

当時、海外に移住する人はきっとそうだったと思う。始まりはスーツケース1つから。私もそう、スーツケース1つでシンガポールに一人でやってきた。

そんな私は学生時代に留学していたり、海外慣れしてたかというと、全くだった。しかも海外留学など断固反対の家で育った。そんな私がシンガポールという国に興味を持った途端、人生が大きく変わった。

興味、というのは、時にして一人の人間の人生を大きく変える。

◆◆

卒業旅行で友人と選んだ旅行先は、シンガポールだった。決してシンガポールに行きたかったわけではなく、(大体地図のどこにあるか、よくわかっていなかった)ニューヨーク行きのツアーも飛行機もフルブッキングだったので、敢え無く方向転換をしてシンガポールになっただけだった。しかもツアーがニューヨークに比較して安かった。確か48,000円くらいで、シンガポール航空を使ったツアー、おまけに今では4~5スターホテルに滞在といったもの。ものすごいリーズナブルなツアーパッケージだった。(今考えると信じがたいパッケージだ)ちなみにその時点の私は、海外には興味がなく、飛行機にも乗ったことがなかったくらいだった。(パスポートもなかった)

◆◆

私と友人は成田発、シンガポール行きのフライトに乗った。(当時は羽田は国内線だけだった)7時間のフライト中ガイドブックを読んでいたが、あまり興味を持てず、友人がチェックしているシンガポールの観光スポットの話をぼんやり聞いていた。何と言っても、私には初めての飛行機搭乗。飛行機の動きや音、機内サービスなど、これらに気を取られっぱなし。飛行機に乗り慣れている大人を見て、飛行機の中はこんな風にふるまうんだ、と思ったり。しかもシンガポール航空は、英語、日本語、中国語の3つの言葉でアナウンスメントがある。キャビンアテンダントの中国語がきれいで、すごくエキゾチックな印象を受けていた。

SQ11便(その後は何度も搭乗することになる便)は深夜のチャンギ空港に着く。到着後「チャンギねぇ、変な名前」と思った。しかしその後、この地名を聞く度に、泣きたくなるくらい嬉しい自分になるなんて、この時は全く予想だにしてなかった。

◆◆

到着直後、私は奇妙な経験をする。

深夜1時に到着した私達。ホテルはPAN PACIFIC HOTELだった。スーツケースをホテルの人に任せ、早速少しホテルの周りを歩いてみた私達。常夏の国、むわ~っと暑く、異国の匂いがした。そしてホテルに戻ろうと、パンパシ(PAN PACIFIC HOTEL)とショッピングセンター(MARINA SQUARE)をつなぐブリッジを渡った瞬間、ビビっ!!と何か電気ショックみたいなものが体に走った。そして友人にその衝撃と共に感じたことを伝えた。「ヤスコちゃん、私、将来、ココに住むかもしれない!」と叫んだのだ。ヤスコちゃんはぽけっとした顔で「あなた何言っているの?まだ暗くて私達、何もシンガポール見てないのに、何言ってるの?」と、そしてヤスコちゃんはゲラゲラ笑った。そりゃ笑う、これこそ寝ぼけるんじゃない、というセリフがぴったりの状況だった。でもこれは本当の話。

今思うと、これが私のシンガポールが始まった瞬間だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?