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『ウサギ、孤独で愛しいものよ』 vol.2


 確かにあの夏、僕を一番かわいがってくれていた祖父が死んだ。

何かつっかえ棒が外れたような気がして、
僕はよろけ、しばらく左によじれ傾いた格好で歩いていた。

祖父は寡黙な人だったが、よく僕を野山に連れて行っては、いろんな話をしてくれた。
川を越える時には、アユやヤマメの話。
そして街を見下ろす小高い山へと着くと、決まって野ウサギたちの話だ。
僕はそれが大好きだったから、祖父もわかってその話は何度もしてくれた。
それは、
「カンジ、知ってるか」
「野ウサギは、孤独を愛し非社交的で、繁殖期以外は単独で暮らす。」
と、幼い子供向けとは言えない枕詞で始まり、
ワクワクと心躍る、その後の生態譚へと続くのだ。

 野ウサギたちは、野生に生きながら、本質的な慣れやすさをもっていいて、幼い内に捕らえられたウサギは、よく人になつく。
犬や猫ほどに賢いとは言えないが、無害で愛すべき特質があり、たとえ自分の身をまもるためであっても、噛みつこうとはしない。
その大きくてやさしいうるんだ目のように、おだやかな性質をもっている。

何よりも素敵なのは、酷寒の冬の野山に暮らすウサギたちだ。
たとえば、日中の野ウサギたちは、ジッとうずくまって過ごすが、
日没が近づくと、小高い場所に移り、
(「ここがそうだ」、とあの丘で祖父は言った)
まるで風景をめでるかのように、赤い太陽の光の中で座っている。
(だから、ウサギは赤い眼をしているのか。と僕は思ったものだ)
やがて、おもむろに四肢を伸ばし、お気に入りの餌場へと跳ね進み、夜明けまで活動する。
大きな月の輝く満天の星空の夜などは、それまで孤独に過ごしていたウサギたちが、どこからともなくこの丘に集まってきて、(本当に楽しそうに)お祭り騒ぎにも似た無言劇を繰り広げる。
それを見る幸せは、この上もないものだ。
(とそこで、祖父は胸を張る)
「本当に、おじいちゃんは、それを見たんだ。」
僕は、スゴイ!と思った。

晴れた日曜の朝などには、何度も祖父と二人で雪の平原に行き、彼らの足跡を追った。
Tの字型の足跡があっちに向かい、こっちに走り、
所々では、その鎖が交差している。
(ここで二匹は出会ったんだ!)等と想像した。
そんな、辺り一面の白い世界に残された足跡の一筆書きが、幼心にもせつなくいとおしくて、キュンとした。

そんな彼らのことを、僕は祖父の死と共に忘れ去った。
今ようやく、あの頃雪の平原で感じた、どうしようもない愛おしさが思い出されてきた。
僕の方が、非社会的な生きものなのだ。

 「ママ、ありがとう。もう帰る。」と言って店を出た。
そこには、相変わらずの、どっちに行っても同じようなグレーの塀に囲まれた道があった。

でも、思い直した。
道は似たようなものであっても、通る自分に目的があれば、またその意志さえあれば違ったものになる。
彼らも、あの白い大平原を、無目的に跳ね回っていたのではないことを思った。
そんなことを考えながら部屋のドアを開けると、下駄箱の上に、「すぐ顔を出すように」との伯母のメッセージがあった。

伯母の部屋に行ってみると、沈んだ顔をして、僕に香典を手渡して言った。
「しずちゃん(ウサギさんの本名だ)のお婆ちゃんが亡くなったって、私の同級生なのよ。
あなた、持って行ってくれない。それにあなた、この夏も帰らなかったから、お母さん、どうしているのか心配しているだろうから、顔を見せてきなさい。」
と言って、電車代も握らせてくれた。
 そして、あの子は本当に一人ぽっちになってしまった。
ということを話しながら、涙を流している。
僕は話を聞きながら、そそくさと晩ご飯を平らげ、まだ話途中の伯母を残したまま自分の部屋に帰り、簡単な身支度をボストンバックに放り込んで駅へと急いだ。

 残念ながら、「はつかり」の最終には間に合わなかった。
乗り込んだ「はくつる」の寝台にはバックだけ置いて、廊下の窓から外を眺め、一睡もせずに青森に入った。
野辺地を過ぎ浅虫の手前あたりで、陸奥湾越しの荒涼と吹き当たる風に雪がまじってきた。
十一月の末、初雪なのかもしれないなと思った。

自然と童謡「ふるさと」が口から出たが、歌い出しのところで胸が詰まってしまった。
「うさぎ追いし、かの山〜」
・・・
その先に進めずに、繰り返しくりかえしそこだけ口ずさみ、列車は青森駅に着いた。

(終わり)



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