嗤う声 第二話
数週間一緒にいて分かった事は、エドウィンは表情のよく変わる男だという事だった。嘆き、怒り、驚き、喜ぶ。くるくると変わるその顔は美しく、見ていて飽きない。とりわけ笑顔は輝かんばかりだった。思わずじっと見つめてしまう。
「えっと……。何かついてる?」
困惑したようにエドウィンが問いかける。ダストは不思議そうに答える。
「見ていただけだ。不都合でもあるか?」
「そんな事ないけど。君そうやっておれの顔よく見てくるよね。君みたいな顔でもない、平凡なおれの顔見てたってつまらないだろ。」
ダストは両手でエドウィンの顔を包み、砂色の瞳で見上げた。存外なダストの距離感にエドウィンは黒い瞳を彷徨わせている。
「おれにはお前は美しく見える。」
「ええ?美しいって……。君は変わってるな。」
妙な顔をしてエドウィンは言った。目元がうっすらと赤くなっている。ダストは首をことりと傾げて言った。
「目元が赤い。照れているのか。」
「言われ慣れてないからね。まあでも、馬鹿にしてるのでもなさそうだし、君に言われるのは嬉しい……。ってああいや、そうな事はどうでもいい。行こう。日が暮れる前に宿を取らないと。」
くいとダストの腕を引く。怒っているようにも見えるが、そうでは無い事を今ではダストは知っている。
エドウィンは優しい男だった。物を知らないダストが逐一尋ねれば、丁寧に教えてくれた。どんどんダストは人間らしくなっていった。彼が人間らしく振る舞えば振る舞う程、人々は彼に優しかった。そして何より笑顔を向けてくれるのだ。砂であれば得られなかった喜びが、今はある。ダストにとって失いたくない物の一つとなった。言わずもがな、その最たるものはエドウィンなのだが。彼は自分の正体が知られることを恐れるようになった。
ダストは不思議な男だとエドウィンは思っていた。物を知っているのか知らないのか、よく分からない。例えば「祈り」は知っているけれども、何のために「祈る」のか知らない、そういう風だった。説明するのは難しいけれども何とか教えれば、そうか、と呟いて吸収する。彼は鳥の雛のようだと思った。
それから、あまり眠らない。自分より遅く寝たかと思うと、夜明け前にはすでに起きている。それ程休息を必要としない、とは彼の言だが、彼の過去と関係あるのだろうか。確かに彼はあまり休まずとも疲れないようだった。エドウィンは彼を傭兵のようなものかと考えていたが、それにしてはあまりにも無防備すぎる。それを問えば
「お前が傍に居るからだ。」
と答えるのだから、エドウィンは困惑した。だが確かな事と言えば、自分がそれに対して優越感を抱いている事だった。決して、ダストにではない。この美しい男が自分には心を許しているのだと、世の人々に向かって優越感を抱いているのだ。醜いとすら思うその心を、ダストには悟られまいとエドウィンは振る舞った。
また別の日は少し大きな町の朝市に来ていた。人、人、人でごった返している。食べ物や装飾品、古書なども売ってある。エドウィンは朝市の活気のあるところが好きだった。ダストにも好きになって欲しいと朝市で有名なこの町に来たのだったが、彼は何か、恐々とした様子で市場を見ていた。
「どうしたんだい?何をそんなにおっかなびっくりしてるんだ?」
「おれがここに来て、人々の迷惑にならないだろうか。」
真剣な顔でダストは答える。エドウィンはぽかんとしてしまった。どういう思考でそうなったのだろうか。
「平気だよ。見てごらん、誰が迷惑そうにしてる?」
きょろりと辺りを見回す。店に呼び込む声、調子に合わせて新鮮な野菜を売りさばく歌声、屋台で食事をする人々の笑い声。朝市の喧騒が、ダストの恐れを飲み込んでいく。
「おれは……人々から疎まれていたから。」
「ここの人はそうじゃない。君はただのいいお客さんだよ、ほら。」
そう言ってエドウィンはダストの手を引く。人いきれを掻き分けて、やがて服を売っている出店を見つけた。二人は店を覗き込む。
「あらいらっしゃい!丈夫で安い服を売ってるよ。旅人なら防具もそろってるよ。」
はたと体格のいい店主の女がダストを見る。ぱっと赤くなった。
「なんとまあ綺麗な男だ事!そんな男がぼろ着ちゃって、勿体ない!」
「そうでしょう?何か見立ててくれませんか?出来ればお安く……。」
「任せときな!」
そう言って、あれこれとダストの体に服をあてがう。彼は困惑していたが、エドウィンが楽しそうに笑っているのを見て大人しくされるがままになった。
「これでどうだい。ああほら、やっぱり似合う。この服は意外と頑丈だから、旅にもピッタリなんだよ。」
着替え室から出てきたダストは見違えるようだった。涼やかで、滑らかな布地に金の刺繍が入った白地のゆったりとしたシャツ。同じく白地の足元が絞れたズボン。腰巻は深緑色でよく映えている。胸元と腰の両側に銀細工が施してあり、動くたびきらきらと揺れている。どこか踊り子を思わせる意匠で、ダストによく似合っていた。エドウィンは暫し見惚れた。
「ほら、この値段で売ってやるよ。特別さ。」
値切った値札を見せながら店主の女がウインクを寄こす。ダストは書かれた値段を支払って、ぼんやりとしているエドウィンの元へと走り寄った。
「エド、終わったぞ。どうした。」
「似合うもんだなあ……。」
エドウィンは、それだけ言うのがやっとだった。ダストはエドウィンに預けていたぼろのマントを再び羽織りながら、呆れたように言った。
「お前はおれに服を買わせたかったのか?」
「ぼろぼろなのが気になってね。代金はおれが払おうと思ってたんだけど。マントも買えばよかった。」
ぶつぶつと何かを言っているエドウィンの目を盗み、ダストは自分の懐を探る。服と同じく、旅人を殺したときに奪った財布だ。旅人は慎ましく蓄えていたようで、ここに来るまでもいくらか使ったが、まだずしりとしている。
「自分で払えたからいい。」
「でも綺麗な服を着てほしかったのはおれのわがままだから。だから……。まあいいや。他にもいろんなものがあるから、見て回ろうよ。」
エドウィンは、はぐれないようにまたダストの手を引いて、二人は並んで朝市を見て回ったのだった。
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