頑張れば頑張るほど損になる障害者雇用の闇

障害者雇用、それ本当にいいところかな?
 「仕事がブラック過ぎて辛い」というのは、社会人にとっても共感しやすい愚痴だろう。だが、最近は「ホワイト過ぎて悩む若者」という記事もある。最初これは5ちゃんねるでも嘘松扱いされていたが、私はめちゃくちゃ共感した。なぜならば、私の職場環境は極めて特殊だからである。これは身バレ覚悟で記す。単純に私が我慢の限界に達しつつあるだけではなく、社会全体に問題提起しなければならないと思ったからだ。第二のやまゆり園大虐殺を引き起こさないためにも。

 まず、私が「障害者」という烙印を押された経緯を記す。私がASD(当時はアスペルガー症候群)と診断されたのは、5歳の時だ。はっきり言ってかなり早い方だが、こうも早く診断が出たのは幼稚園で一人遊びばかりして、戦隊モノやポケモンに全く興味を示さずにプラレールをいじったり図鑑(特に電車や鳥)ばっかり読んでいたのを親が訝しんで診断を受けさせたからである。診断時に覚えているのは、職員が「往復とはどういう意味ですか?」と聞いて来た時、子どもの私は電車の図鑑にその単語が乗っていたので「電車が走ることです」と答えたことである。やっぱり発達・知的障害者とでんちゃの親和性は高いってはっきりわかんだね。(流石に過去と未来の狭間はただの乗り物程度にしか認識していないが)

 こうしてめでたく普通ではないという烙印を押された私は、幼稚園年長の段階で特別支援クラス入りした。いわば純粋培養型障害者なのである。当時転園した教室で赤ちゃんと同じ言葉ではない泣き声をあげて床を転げまわる重度知的障害者を見た衝撃は今でも鮮明に覚えている。そして自分がこういうのと同じ括りに入れられたと認識した時の絶望感も。それでも最低限の一般常識を持ち、自分で考える力を持てたのは、たまに普通学級の授業に参加出来たり、中学の頃まで一応進研ゼミをやっていたからである。(赤ペン先生の成績は散々だったので、赤ペン先生には相当変な子だと思われていたと思う)

 簡潔に言うと、私の職場は特例子会社だ。これは大手企業が障害者雇用に特化させるために作る子会社のことである。内容としては大雑把に言うと本社の下請け的な仕事や補助といったことが多い。そして障害者雇用というのはこの特例子会社に限らず様々な形態があるが、はっきり言って障害者雇用の闇は極めて深い。
 まず、障害者雇用と言っても身体、発達、知的ではかなり勝手が異なって来る。身体障害の場合、知能には問題が無く手が動くならばデスクワーク等の事務仕事は問題なくこなせるし、コミュ力あるタイプならテレワークを活用すれば営業だって出来る。実際職業訓練校では同じ科にいる人は身体障害(聴覚障害含む)の人の方が圧倒的に多かった。そのため健常者と比べても遜色ない収入を得られる。だが、発達知的は闇が深い。一見五体満足で感覚機能も働くが、肝心の脳がおかしいので健常者と比べると仕事の能力に大幅に差が開く。脳というのはコンピュータで言えばCPUだ。そのCPUのスペックが低ければ自ずと出来ることも限られてくる。
 そして、知的障害となるとさらに悲惨である。作業所で健常者からすれば想像も出来ない安い賃金で生産性が皆無の雑用をさせられる。A型ならば一応雇用契約ということになるので最低賃金だけもらえるが、それでも学生アルバイトの方がまだ稼げる。一番悲惨なのはB型作業所で、これは雇用形態でないので、月1万円前後しかもらえないのである。読者の皆さん、1ヶ月1万円で雑用する自分を想像してみて欲しい。やるのはボールペンの芯詰めやダイレクトメールの封緘といった単純作業ばかりというのを。気が狂わずに出来る人はいないと思う。刑務所でもないのに。
 さらに問題なのは、作業所で働いている知的障害者の大半は自分がいかに悲惨な状況なのかを認識出来ないという点である。井の中の蛙が大海を知らないように、「これが普通」と彼等は認識しているから、こんな状況でも笑顔で働いてしまうので声を挙げられないのではなく「挙げようとしない」のである。あまりにも痛ましい。

配慮や優しさも度が過ぎると・・・
 特例子会社で働けている私は彼等に比べれば遥かに恵まれている。だが、それでも闇は深い。「こいつが働けるならあのSyamuさんもここなら働けるのでは?」と思える位だ。なんならSyamuさんの方がマシじゃないかと思えるくらいに。障害への配慮があるのは障碍者雇用のメリットでもあるのだが、物事には限度というものがある。ここで私の職場にいる(不)愉快なモンスター達を紹介しよう。

A
●勤務時間中に平気で居眠りする
●指導スタッフ(健常者の上司)に指摘されてもあれやこれやと言い訳ばかり
●その癖昼休みになると途端に饒舌にゲームの話をする
●  体臭が恐ろしく臭い。嗅覚が鈍感な私でも不快感を覚えるくらいだし、風呂に入っていないんだと思う。しかも歩いた後に残り香が滞留する。
●  髭が耕作放棄地に生い茂る草の様にボーボーである
● 遅刻常習犯な上、謝ろうともしない。間に合ったとしてもギリギリ。
● 足が悪い振りをしているが、仕事帰りさっさと早歩きしていた。それも歩きスマホしながら。

B
●Syamuさんと同世代である(要はもうアラフォーである)
●一応最低限の仕事はするのでAよりはマシだが、会話がとにかく一方通行
● 嫌いな芸能人の顔に落書きしていることを楽しげに話す。40歳がやることじゃないだろう
●国民的人気少年漫画の敵キャラ(ラスボスじゃない)の物真似を皆の前でやって「えへへへへへ」と笑っている。周りの目線は流石に冷ややかだが当人は全く意に介してない。
● 自分より年下の指導スタッフにしょっちゅう注意されている。苦手な仕事から逃げようとする。40でこれはきついて。

うん、こうして箇条書きにするだけでもいたたまれない気分になるね。「本当の弱者は助けたくなるような姿をしていない」とはよく言ったものだ。(俺もそう見えているのだろうか・・・)というかAも私より年上なわけだが、このまま働いたら私も心が壊れて上の二人のようになってしまうのではないかと思うと恐ろしくて朝も起きれないね。そしてこの記事を書こうと突発的に決意した理由はAと指導スタッフのやり取りである。(以下「指」と表記)

指「Aさんどうしたの?眠いの?体調悪いの?」
A「うーんさっきミスしたせいで気力が~」
指「そっか~じゃあAさんはどうしたいのかな~?」

 Aは普段から言い訳が酷かったが、流石にこれは唖然とした。幼稚園か保育園か?Syamuさんでもここまで見苦しい言い訳はしないと思うぞ。

 まず二人とも精神年齢が子どもで止まっているというわけだが、Aに関しては言い訳だけは一丁前なのが余計にイライラするね。高校時代に入っていた部活で、「手を動かさない奴程口は達者だな」とこっぴどく叱られたことがあるが、過去と未来の狭間考えると本当にその通りだなと思う。また、身だしなみの大切さや言い訳をしないことに関しては私はスパルタだった部活だけではなく障害者向け職業訓練校でもみっちり仕込まれた。体臭に関しては、嗅覚が鈍い私がはっきりと感じられ尚且つ不快感を覚えるレベルって相当やばい。犬が近づいたらショック死しかねんな。
 Bみたいなタイプは支援学級時代に嫌と言うほど見た。そして不幸なことになぜか私は往々にしてそういうタイプに好かれやすいのだ。私はそういう人間が鬱陶しくて仕方ないのに、この不幸な組み合わせはなんなのだろうか。

「いい人である自分」に酔いしれる健常者たち
 そして何よりも問題なのは、こうした問題児を「多様性」という錦の御旗の下守ってしまう会社側である。この文をここまで読んだ方の中には、「そんなに長文でお気持ち表明する前に直接上司に相談してみれば?ホワイトなんだろ?」と思ったかもしれない。

 やりました、やったんですよ!必死に!その結果俺の方が干されたんですよ。何度も面談を申し込んで問題提起して、「多様性」だの「個性の尊重」と言った言葉ではぐらかされて、今はこうして自分を殺しながらストレスマッハで働いてる。これ以上何をどうしろって言うんです?何と話し合えって言うんですか!

 上に書いたように何度も問題提起しては空虚な美辞麗句ではぐらかされての繰り返しだった。はっきり言って時間の無駄でしかなかった。そしてその挙句、上に記した問題社員よりも私が干されるようになり、挙句濡れ衣まで着せられて尋問まで受けた。何度も否定したが悪魔の証明まで迫られた。
 指導スタッフ陣は、社用PCにこれみよがしに虹色のアライマーク(これは本人はLGBTではないが「LGBTに理解ある人ですよ」とアピールするためのマーク)をつけていたりする人が多く、また社内メールでも事業とは全く関係ない「LGBT理解促進」に関するメールが送られて来ることが度々ある。LGBTデモへの参加を募るメールまで来たことがある。だが、彼等が実際に障害者やLGBTに理解があるとは思えない。結局のところ、「多様性に理解ある俺(私)カッコいい~」と自惚れているだけなのだ。
 確かに私は(この文章を読んでて分かると思うが)ASD気質故に無愛想だし、人から好かれにくいのがあるのは分かるし、私も馴れ合いたいわけじゃない。だが少なくともやるべき仕事は率先してやっている。むしろ障害者雇用故に手隙が多すぎて苛立つ位だ。それなのにこの仕打ちはいくら何でも酷すぎる。

 だが、これは特定の誰かが悪いというよりは、障害者雇用界隈特有の「とりあえず雇ってあげれば社会貢献」という風潮自体が問題なのだと思った。実際、私の職場は障害者雇用の優秀事例として表彰までされている。だが、実際は真面目にやればやるほど損をし、綱紀粛正やガバナンスの穴を指摘した方が干されてしまう有様だ。とどのつまり、「雇っておけばヨシ!」という社会の風潮が問題なのだ。これは本当に根深いと思う。
 何故こうなったかと言えば、障害者雇用に携わる健常者は「配慮してあげる優しい自分」が大好きなナルシストの偽善者だからだ。真面目に向き合おうとする人はそもそも採用されないか、入れたとしてもやまゆり園事件の様に病んで障害者を憎むようになるかもしれない。実際あの犯人も施設職員になった当初は障害者の役に立ちたいと本気で思っていたようだ。彼が偽善を演じることが出来れば、あの事件は起きなかったかもしれない。

最後に
 もちろん私も健常者と比べて見えにくいハンデを抱えているから配慮してもらえること自体はありがたい。だが過ぎたるは猶及ばざるが如し。怠ける社員にまで配慮しすぎるがあまり頑張る社員が割りを喰うのはあまりにも歪だろう。そして何より障害者をこうして飼い殺すことは結局のところ障害者をまるでペットの様に見ているということだ。特別支援学級時代にも感じたことだが、普通学級の生徒が特別支援学級の生徒に接する時は、同年代ではなく自分よりも幼い子どもに話しかけるような態度だった。それは普通学級同士で話す時と明らかに違った。一見優しくも見えないATフィールドを作られているような感覚。あれは本当に言葉に出来ない悲しさがあった。

 ここまで一通り嘆き節を書いたので、最後に漠然とではあるが私自身は社会の中で障害者はどうあるべきかという考えを簡潔に述べよう。まず、障害者側が自分の置かれている境遇にきづき、健常者に追いつき追い越すハングリー精神を持つべきだ。とはいえビルゲイツやスティーブジョブズ、あるいはイーロンマスクの様な超人的な才能を持つ人など発達障害の中でもほんの一握りにすぎない。悲しいがそれが現実だ。
だが、健常者の下に置かれたままペット扱いされるよりは、足掻けるだけ足掻いた方がいいし、色々なことにチャレンジしてみた方がいいと思う。チャレンジせず戦わない者は何も得られない。私にも夢があるから、こうして愚痴っているばかりではなく、それに向けてまずはてんかんの治療を頑張り、そして時が来たらこのような職場とはすぐさまおさらばして自立しようと思う。自分の中の座標軸を明確化し、譲れないものを持って、健常者と戦い、そして認めさせようではないか。

 健常者の人、特に福祉に携わる人や家族に障害者がいるような、障害者が身近にいる人に伝えたい。あなたが身近な障害者に対してしている配慮、それが足枷になっていないか、成長の妨げになっていないか今一度よく考えて欲しい。そして何より、私は健常者と戦っていく覚悟はあるが敵対したり、まして殲滅戦をしたい訳ではない。対等に向き合える存在になりたいのだ。だから、時に戦い、時に共に手を取り合える存在になりたいのだ。

 目覚めよ、そして立ち上がれ!発達障害者、弱者男性よ!蛹が蝶になるように、みにくいアヒルの子が白鳥になるように、諦めずに進化し、飛び立とうではないか!


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