人間は恐ろしい
親子間の虐待、夫婦間のDV、学校でのいじめ、会社でのハラスメント…。人間の残酷な行為は、このようにいろいろな形で散見される。
情緒的に未熟な親が何でもない拍子にヒステリックになり、感情の制御ができず衝動的に子どもを殴ってしまうといったことは、虐待のエピソードとしてよく耳にする話である。こういう場合は、子ども自身が親の異常性に気付ける蓋然性が高く、虐待の存在も比較的露見しやすい。
しかし、親子間の虐待に限らず学校や会社でのいじめでもそうであるが、実際には、被害者が自殺を遂げるなどしない限り、その存在に外側からはなかなか気づけない場合が少なくない。そういう場合の加害者は、加害行為をきわめて組織的に行う。
加害者は、絶対的な権力者となって被害者を支配するために、被害者が誰かに助けを求めたり加害者から逃げたりする可能性を封じる試みをする。そのために、被害者に対し自らの加害行為を正当化し、また被害者を自分以外の他者から孤立させる方向に向かう。
例えば、加害行為が被害者の言動に対する処罰という形式で行われる場合が少なくない。このやり方は、親子のような教育者・被教育者間の関係においては特に、しつけや教育との線引きが難しく、虐待関係を隠蔽するのに非常にうまく機能してしまう。被虐待児やいじめ被害者は深刻な自己否定観念を持っていることが多いが、これは、一つには加害行為の処罰性により被害者の方が罪責感を植え付けられていることによる。
処罰される言動というのは、たいていは加害者の気に入らないものというだけであり、本当に悪いことを被害者がしていたということはほとんどない。仮にそういうことがあっても、私刑は許されない。しかし、処罰が行われている時間以外では加害者が被害者に対して好意的に接してくれることも多く、それが被害者の罪責感をいっそう裏打ちしてしまう。
また、いじめを第三者に報告しても信じてもらえなかったという話もよく耳にする。これは、運悪くその第三者が怠慢で問題の対処に消極的な人間であったことが理由である場合もあるが、加害者が被害者以外の人間に対しては普段から極めて善良かつ正常にふるまっていることが理由である場合もある。そうすることによって、
「お前の周りにいる人間はみな俺の味方なのだよ」
ということを被害者に身をもって知らしめる。
被害者の孤立化は、このように加害者の行動によって作り出されることもあるが、被害者が自らそうするように加害者が仕向ける場合もある。夫婦関係や恋人関係において、加害者が被害者に愛の証明として異性(=加害者と同性)の友人との関係を断ち切ることを求めるなどというのは、その例である。特に妻が被害者である場合、仕事をやめて専業主婦になることを求められる場合もあるかもしれない。家庭のあり方は、個々の家庭ごとの意思を尊重するのが通常であるが、それがかえって家庭環境の閉鎖性を生み、被害者にとって脱出不能の牢獄を作り上げてしまうということも起こり得る。
加害行為の処罰性は、被害者に罪責感を与える意味があると同時に、被害者にその状況を変える希望とイニシアティヴとを与える意味もある。すなわち、
「自分が悪いことをしなければひどいことをされなくて済む」
というものである。だが、たいていの場合、その「悪いこと」というのが明確でなかったり処罰を免れる合格ラインが非現実的に高かったりするため、被害者が実際に状況を変えることは不可能だと思ってよい。したがって、被害者がそういう努力をすればするほど、かえって虐待状況にますますはまって逃れられなくなってしまう。
あるいは、
「自分が愛されていないのではないかと不安になってしまうんです。もう決して殴ったりしません。だからもう一度チャンスをください。」
例えばこういう泣き言を言うことによって、あえて形勢を逆転させることもある。夫婦や恋人のように、被害者もまた加害者に愛情を抱いているような関係においては特に、これがかなり強烈な誘惑剤となることがある。
「もう一度、大好きなあの人に戻ってほしい」
とか
「今度こそ、ちゃんとした関係を構築しよう」
という被害者の心の底の願望に付け入る。親に対して基本的な愛情欲求を持つ子どもについてもこのことは当てはまるだろう。
しかし、それもすべて、加害者が被害者を自分の下にとどめておきたいがためである。被害者がその誘惑に負けてしまえば、加害者による被害者の支配はますます確固たる方向へと進行してしまう。
こういう関係から被害者が抜け出すことは容易ではない。ことに親子間における虐待では、そもそも関係の異常性に被害者自身が気づけない場合も少なくない。仮に気づいたとしても、加害者は被害者の行動をすべて監視しており、被害者が誰かに助けを求めたり逃げたりしようとすれば、必ず加害者の目に留まって重い処罰が下されるということを思ってしまえば、恐怖で本当に何もできなくなる。もう自分が死ぬしか逃れる方法はないとしても、死ぬことさえ見張られている。未遂で終わってしまう可能性を考えると身の毛がよだつ。
はい、怖いので気をつけましょう。
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