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行先表示のないバスに乗っていた、あの日々のこと

ある朝、戦争は始まった。

いつのまにか、市内を走るバスの行き先表示が、この戦争の国威発揚スローガンにとって代えられていた。私はそれを痺れた頭でぼんやりと眺め、それからバスの番号を確認して、その赤い車体に乗り込んだ。車内にも、その電光掲示板の文字列は流れていた。「カラバフはアゼルバイジャン。」砲撃が始まって、13日めの朝。

2020年9月末の日曜早朝、長年の係争の土地で、再び戦争が始まった。
テレビを点けても、インターネットを開いても、国内のあらゆるメディアで、前線の様子や爆撃を受けた軍事施設の姿などが映るのだけれど、戦場は依然、実感として遠い。敵軍の戦車を無人機で砲撃する場面が、幾度となく街角の巨大なスクリーンに映し出されているのだけれど、私にはそれはどこか現実味がなく、遠くの世界のように見えていた。

しかし、そんなふんわりと平和ぼけした私の現状認識は、徐々に改められてゆくことになる。否応なく、ひやりとした感触を伴って。

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