ある後輩に
何故茶道やってるんですか?
と、ふと聞かれたときに長々と書いてみた
きっかけは『吉兆にいるなら、お茶習わなくてどうするの?』って、言われてすんなり受け止めたこと。
創業者湯木貞一の築いた世界之名物日本料理は、そもそもお茶なしでは語れない。(と、僕は思ってる)
それと、長時間座るという、非日常を味わいたかったのもある。
日常だけど、非日常になってきてることに対しての面白さとか。
少しでも、自分が働いてるところを理解したいという気持ちもあったとは思う。少しは。
それだけじゃ、続かないとも思う。。。多分。
その当時は、北海道勤務で最初のお茶の先生は横田先生という優しいおばちゃん先生だった。
京都にもどり、
先輩の紹介でお茶の見学行ったときは
この先生好き!!
と、思ったから続けてこれた。
ある意味、出会いというか一期一会の世界。
それは、内面的なもの。
外面的なことに関しては、
道具を丁寧に大切に扱うこと。
なかなか、できてそうでできてなかった。そういうのは、はっとさせられることが沢山だった。
他には、清める(浄める)きよめる。
面白い文化では、ないのかな。
お客様にお茶一服出すために色んなものを
準備して、清めて
楽しませようとする心は
料理にも少なからず通ずるのかなと僕は思う。
もちろん、何気ないものも
見立てることによってそれが、面白おかしくなるのも
お客様を喜ばせようとする心配り。
それが、面白いと思ってる。
それが、知らず知らず自分の持っているスキル(料理)に、プラスされてってるのかなとは思っています。今となっては。
もしかしたら、そのスキルが料理以外になったとしても
人を喜ばせるという気持ちってのは大事なんじゃないのかな。
あと、骨董好きってのもある
ただ古いものじゃなくて
ずーーっと大切にされてきたものが
今、目の前にあることって、ある意味ロマンを感じてしまう。これは、お茶にとどまらずか。。。
料理に本当に通じてるかは
置いといて
人を楽しませたいと思う気持ちが、お茶にはあるんじゃないかなと。
そんな感じ
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