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パートナーとの6年間と、写真を撮り続けている理由


大切に、時にタフに使い続けている1台のカメラ。
今から約6年前。


2016年3月3日に発売されて、その日に新宿のマップカメラで購入したFUJIFILM X-Pro2だ。


この頃は私的な事情で人生の過渡期に有り、現実から逃げたい一新でこのカメラを手にした
それからまもなく僕は未熟さも有り、あまりに残酷な身内の精神的圧力も有り、1ヶ月間、入院を余儀なくされた。


被害者などと言うつもりはない。自分も未熟だった。ただ、相手もこの上なく残酷だった。スローモーションのようにまだ、いろんなシーンや眼光が目に焼き付いている。


1ヶ月して退院してからも、新たに住んだ街にも馴染めず、仕事への復帰も時間を要し、朝シャワーを浴びながら身体が動かなくなり、リハビリ出社すらできない日が何度かあった。


あとから産業医に聴いたら、あと2回、当日欠勤があったらそのまま雇用終了の可能性もあったそうだ。残酷に思うが、客観的に見たら無理もないと思う。ただ、あの時解雇されていたら間違いなく、大げさでもなく、命は断っていたかもしれない。


かつての自分は、写真を撮ることで存在を、自己尊厳を保っているようなところがあったから、過度に、過剰に、カメラを持ち歩いては撮り続けていた。10年ほど前のことだ。このころはまだ料理のかけらもなかった。
人が集まる場に行っても、「いい写真を撮って、残して、見せて、承認される」ことでしか自分が成立しない気がした。


エゴ丸出しのシャッター。今思えば本当に恥ずかしいし、当時迷惑をかけた人もたくさんいると思う。
でも、その脆さや危うさが孕んだ写真の色は、今同じことをやれ
と言われてもできないほどには、好奇心に満ちていた。


ピクセルの一つ一つに、「夢中です」と彫刻刀で刻んだような、華やかなのに生々しい、でもどこか空っぽさも感じさせる写真。
危うかったけれど、かつての自分を無碍に責める気にも成らない。

荒れた家庭環境から裸一貫で都会に出て、ボロボロになりながら必死で生き抜いていたあの頃の自分を、タイムマシンで追いかけて罵倒する気にはとてもなれない。褒められた人間ではなかったけれど、自分にはとても。


危うさしかはらんでなかった10年ほど前から、その危うさのまま無謀にも他人と生きようと試みた。うまくいくはずもなく、6年前の先程の話につながる。


なんでこんなことをわざわざ書いているのか。
この投稿の写真にあるように、このカメラはかなりボロボロだ。
いたる所の塗装は剥げ、購入と合わせて買ったレザーのストラップの部品は錆び、皮は廃れ、色すらあせている。


ふと、明日からの京都の荷造りの合間に、普段はすることがないのに、カメラと会話したくなった。


そっとそのボロボロの本体を手にとって


「そういえば、お前はあのときからずっと俺のそばにいて、どん底の時身体すら動けなくて涙しか出なくて、親が連絡取れなくて家に救急隊が突入してきたときも、もう終わりにしようと何度も試みたときも、そばにいてくれたよな」


「写真を撮ってるときだけはそんなときでも少し楽になれて、慣れない街で撮って歩いたよな」


「身体すら動かなくて、カメラなんてとてもというときも、追い打ちをかけるように人が離れたときも、お前はいたもんな」


「それから、ようやく生活に復帰して、たくさん人を撮ったよな。まだまだ不安定さもあったけど、あのころ、生への復帰、帰還への歓喜のまま撮ったたくさんの写真、今でもたまに見返すよ」


「それから被写体のひとつとして料理を始めて、0のなんもないところからコツコツ、コツコツ撮り続けたもんな」


「悔しいこともあったけどずーっと続けた。報われないことが99%だったけど、続けたよな」


「ウイルスで世界が変わって、家にいる時間が長くなっても、人を撮る代わりに料理を撮り続けてた」


「一緒にずーっと、毎日撮り続けたもんなぁ。。作って、ブログ書いて、インスタにも載せて、料理を1つ1つ作品にしていって・・」


「そうやってやってたらテレビ出演のためのレシピ依頼が来て、大慌てで企画を出したよな。急いで撮って」


「数ヶ月後放送されたテレビ画面を、お前で撮ったよ」


「それでも頑張っても頑張っても、東京で1人踏ん張ってるから、お金もないし、そもそも才能がある家系や教育でもないから、限界ばかり感じては、また超えてさ。言い訳したくなくても、言い訳したくなるくらい、懐が寂しかった」


「でも、そんなときもずっとそばにそばにいてくれたよなあ」


こんなにぼろぼろになって、でも元気に毎日、毎日、作った料理を撮り続けてくれている1台のカメラ。


なのに全然感謝もできてなくて、扱い方も雑だし、6年前のモデルだからバッテリーも持ちが悪ければCPU性能だって決して良くはなくて。


なんだけれど、何も変わらない顔をして、見た目だけはぼろぼろなのにいつもの佇まいで居てくれるカメラを抱きしめて、涙が止まらなくなった。6年前からいままでのいろんなことが駆け巡ってしまった。


こんな素晴らしい相棒に6年間支えてもらってきて、自分はといえばまだまだ道半ばだ。


未熟な失敗の尾を引いて今もお金はまったくないし、料理研究家といっても恥ずかしいくらいの収益しかない。それがすべて自分だけの責任、と言われるのも、生まれた境遇や能力を恨みたくもなる。意味ないんだけど。


でも幸い心と体は本当に元気になったし、何より本当に人に恵まれて、愛されて、生き生きと今を生きている。


あんな経験をしたら誰かをまた愛する自信も予感もないけれど、1人で自分を満足させる術も、心持ちももう充分持っているし、これからに向けてやるべきことをやるだけだと思っている。


今やろうと思っていることを本気でやりきれば、お金は入ってくるだろう。事業として、社会性を持って、自分の世界だけで閉じ続けた人生から脱却できるかもしれない。


製造から7年?8年?10年?
そのときにこのカメラは、変わらず動いてくれている保証はない。
あくまで電子機器だし、機械には寿命があるし、製品には補償が終わる日がやってくる。


それでも、このカメラを手放すことも、誰かに譲ることも決してないことは決めている。


涙も枯れて、背中を曲げて、よどみきった目でアスファルトを見つめながら心に血を垂れ流して歩いたあの6年前


まだこのカメラがピカピカで、最新のマシンだった6年前。
このカメラは確かに僕を支えて、見守ってくれていた。


そして、たくさんの壁を乗り越え、覚悟と逡巡を繰り返して、ようやく未来への扉の蝶番を手で触れ始めたような今。


「ま〜、俺もまだまだ諦めずに前に進むからさ、これからも頼むよ」


なんで泣いているのかわからないのに嗚咽をごまかすように、また話しかけた。

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