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米国見聞録

米国の空港に降り立った。

ににぎの尊が高千穂に降り立ったのは中津国を治めるためであったが、私は何もこの地を治めるためにやってきたわけではない。

屈指の経済大国である米国の内情がいかなるものか、しっかりと目に焼き付け、その地で学問を修めるべく、はるばる極東の島国からやってきたのである。

少年よ世界へ羽ばたけ

高三の春、私は大きな岐路に立たされていた。特に何に精を出すわけでもなく過ごしてきた高校生活に別れを告げ、大いなる世界に羽ばたかなければならなかった。高校時代、怠惰を極めていた私は、大学進学を志しているにもかかわらず、ろくに大学について調べることもせず、オープンキャンパスにも行ったことがなかった。
高二の夏休み、部活帰りに近くの大学に寄ってみたことはある。無論、大学も夏休みであったため、閑散としていた。驚くほど得るものがなく、勝手に日本の最高学府の行末を案じた。警備員の方に会釈をして帰還したことを記憶している。

無為自然、時の流れに身を任せ、流し流され辿り着いたその先は悟りの境地などではなく、後悔と焦りに満ちたなんとも心地の悪い無間地獄。

進路について思い悩んでいたところ、担任の先生の勧めで米国の大学に進学することに決めた。

それからというもの、大学では勉学、いんたぁなしょなるな交友関係、金髪美女との甘美な生活、その他諸々に精を垂れ流し、順風満帆でわんだふるな学生生活を送るのだと臍を固め、浮かれに浮かれ、残りの高校生活を謳歌した。そう、周囲の学友が受験勉強に励む中、私はそれまでの2年間同様、いや、それまで以上にしっかりと謳歌し遂げたのである。生半可な覚悟では成し得ない、非常に高尚で、険しい道だったことを約束しよう。何も、勉強せねばならないという現実から目を背けていたわけではない。断じて、、、。

それからバタバタと準備を進め、なんとか旅立つ日を迎えたのであった。

空港からは迎えのバスに乗り、2時間ほどかけてキャンパスに向かう。窓からは見慣れない趣の風景が目まぐるしく流れていくのが見える。これから待ち受けている怒涛の4年間に思いを馳せているうちに微睡んでしまった。

恰幅のいい運転手に起こされ気がつくとキャンパスに着いていた。外は大雨が降っている。

重い荷物を運び出し寮に入る。外観は薄汚れていて、見たこともないような変わった造りをしていた。おそらく長旅で疲れているせいだろうと目をつむり、中へ入っていった。

科学の国亜米利加

最先端の科学技術をもつ米国には「えれべぇたぁ」という魔法のようなからくりがあると耳にしたことがある。それは人類が作り出した至宝とも言える移動手段だ。箱型になっていて、その中に入り、行き先を指定すると瞬時に移動するという夢のような代物だ。(ちなみにその仕掛けについては公にされておらず、巷では、遠くの惑星から来た高度な知的生命体の技術援助のもと完成したとも言われている。)
ぺるりの乗った黒船が圧倒的な力の差を見せつけ、我が国に開国を迫ってから160年余、未だ米国の科学力は健在だ。

愚鈍な私は米国の寮ではそのえれべぇたぁなるものにお目にかかれるのではないかと胸を膨らませていたが、現実は冷酷であった。きっと非常に高価なもので、上流階級によってだけ嗜まれるのであろう。そこにあるのは無限に続くようにも見える階段のみであった。

米国の格差社会を思い知ったところで、私はため息をつき、仕方なく重い荷物を運び上げた。部活を引退して以来万年運動不足の私のキャパを遥かに凌駕する重労働に、早くもホームシックになりかけたのをなんとか思いとどまった。

案内された部屋に着くと、明かりがつかない。スイッチをカチカチと動かしても、モチモチと動かしても、明かりのつく気配はない。それならと、少し咳払いをして言った。

光あれ

部屋はしんと薄暗いままだった。

部屋の状況を伝え、一時的に他の部屋を開けてもらった。この部屋は電気系統に異常がなかったので、天地創造が1日省けた。この部屋だけ1週間が6日になってしまうなどと余計なことを考えながら、荷物を置き、一息ついた。

改めて部屋を見わたすと、流石は米国、ドラマや映画に出てきそうな部屋である。簡素なつくりの壁と禍々しい寝具はプリズンブレイクさながらである。(余談ではあるが、私がわんだふるな学生生活を送ることになるこの大学は、生徒の間で、『外に出れるだけの刑務所』と呼ばれ、親しまれている。)天井には大きな穴。引き出しは立て付けが悪く、ほとんどが開かない。引き出すことのできない引き出し、禅問答か何かであろう。これから4年間この大学で生活することを思うと胸が高鳴った。決して不安に動悸しているわけではない。

時刻は午後8時。ぴかぴかの大学一年生にとってはまだ早朝とも言える時間だが、乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎで大いに疲弊した私は眠りにつくことにした。8月の中旬だというのに肌寒い。部屋に案内された際に渡されたのは薄い敷布と枕のみであった。おそらく、学生たるもの学問のみならず、身体の鍛錬も怠るな、という厳格な思想に基づくものだろう。私はそれなら仕方がないと、ぶんるぶんると体を震わせながら眠りについた。

米国見聞録

こうして米国での1日目に幕を閉じたわけである。時は経って現在、このなんともみずみずしい初日から2年の月日が流れた。私はこの2年間、筆舌に尽くし難い数々の経験をしてきた。その生活のありようを仰々しく米国見聞録と題し、時にはオブラートに包みながら、時には根も葉もない虚言を交えながら書いてみようと思う。
お分かりだと思うが、この手記では留学を夢見る方、そうでない方に有益なことは何一つ書かれることはない。私個人の体験に基づく、毒にも薬にもならない内容である。もし有益な情報を得たい方は別な方のページを覗いてみることを心から推奨する。
また、私は衝動的に行動する性質ゆえ、パタリと消息をたつ可能性を十二分に秘めている。気の向くままにゆるりとやっていこうと思う。


それではまた。


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