「虎に翼」メモ 第9週「男は度胸、女は愛嬌?」まで / 戦争のばかやろう
相変わらず絶好調ですね。個人的には、ドラマが盛り上がれば盛り上がるほど、ドラマの外のメタ的な部分で複雑な気持ちになったりもしますが‥‥
自分の社会的地位を高めるための結婚。でも夫のほうは実は昔から自分を慕っていて、仕事の相談にも乗ってくれるし、おいしいものは分けてくれる。どんなときでも100%応援してくれる。
夫からは何ひとつ求められることなく、自分がその気になったら何の留保もなく受け容れて同衾し、子どもを授かり‥‥
なんつーか、優三さんが「理想の夫」すぎて、まぁ本人たちが納得してれば夫婦なんてどんなんでもいいんだろうけど、寅子にとって都合が良すぎて、もはや生身の人間みがないな…と若干引いてた。
そしたら優三の出征前に
「ごめんなさい! 私のわがままで私なんかと結婚させてしまって‥‥」
と寅子が土下座して謝るシーンがあって、そういうことなんだよなーと思った。
“内助の功”が反転したら、優三さん本人が不満をもっていなくても、こうして平に謝るようなことなんだよな。寅子がやってたことには、やっぱりエゴイスティックな側面もあったのだ、と。
ふつう、自分に尽くす妻に対して、夫が引け目を感じたり、まして土下座をするようなことはまずないよね。
男女の性差が浮き彫りになったシーンだと思った。
ここで、寅子が「口頭試験を受け続けるよう説得しなくて、それから‥‥」とあれこれ謝るのは、戦後、優三の戦病死を隠していた父が、あれやこれやと“一生分の懺悔”をするシーンと対になってたのかな。
優三という人については
「トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きること」
「また弁護士をしてもいい、別の仕事を始めてもいい、優未のいいお母さんでいてもいい」
「僕の大好きな、あの何かに無我夢中になってるときのトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張らなくてもいい‥‥」
という一連のセリフに集約・象徴されるよう描かれていたんだな、と思ってる。
あれはつまり「日本国憲法」の精神だよね。
(女でも)どんな仕事をしてもいいし、しなくてもいいし、とにかく自由に生きていいんだ、と。
昨今の本邦では、刀剣とか軍艦とか温泉とか、いろんなものが擬人化されているらしいですが、「憲法の擬人化」はさすがに斬新。
そりゃ生身の人間みがあるわけないわな(笑)
‥‥と納得すると同時に、でもやっぱり、
たとえ戦前でも、家父長制バリバリの世の中でも
「好きな女性を応援したい」
「妻には自由に生きてほしい」
と願う男性もいたんじゃないかな、ごくごく少数でも。
そんなふうに思わせる、優三さん(と、演じた太賀)のすばらしさでした。
出征前、出発を促されても、「もう少し」とまだ赤ちゃんの娘を抱っこして手放しがたい様子を見せる優三さん。
その芝居がすばらしすぎて、「戦争のばかやろう!!!」って叫びたくなったよ。
最後に、本筋からはちょっと逸れるが‥‥
優三も直道お兄ちゃんも、出征するとき髪を刈ってなかったよね。
朝ドラにしては珍しいなと思った。
「別の仕事に差し支えるから」とか「今作ではそこのリアリティは追求しない」とか、何かの事情や方針があってそうなったんだろうと思われるけれど、ちょっと残念というか。それが映像表現の定番にならないことを願う。
「丸刈りの強制」は、戦争の暴力性、また中央集権的・全体主義的なものの恐ろしさの象徴だなと、韓国の青年たちが入隊するときの姿を見てつくづく感じているのです。ドラマや映画などでは、直感的に視覚に訴えるその姿を描いてほしいなと思う。
同様に、優三の戦友の回想で、ふたりともそこそこ清潔感のあるベッドを一人ずつあてがわれていたのもな。
戦病死って、めちゃくちゃ悲惨なものだったはずだよね。
日本の兵隊の戦死の6割は戦病死(餓死とも近い)ともいわれている。
衛生環境も、栄養状況も、人間の尊厳を踏みにじられながら死んでいった人たち。
生き残って復員してきた人たちの中にもその状況を体験した人たちが大勢いて‥‥。
わかるよ、そこは本作の眼目ではないし、リアルな表現は現代の朝ドラ視聴者にそぐわないかもしれない。
それでも、戦時中の記憶がどんどん失われていっている今、ああいう“小綺麗な”映像表現も歴史修正に寄与してしまうのは否めないと思う。
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