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「光る君へ」メモ第16回「華の影」そりゃエモくもなるよね

悲田院(救護施設)でまひろ(のちの紫式部)が疫病患者の世話をしたあげく自分も倒れ、そこにちょうど藤原道長が通りかかって実家まで送り届けたのみならず一晩中看病する、って、そこだけ見ると「素人かよ!」みたいな脚本だけど、つながってはいるんよね。

単に、文字を教えていたエピソードからのつながりというだけじゃない。
なぜ少女に文字を教えていたかというと、まひろはこの世の理不尽に憤りを感じる人間だから。
上流貴族に母を殺され、父が官職を追われて苦しい生活を味わってきた。
字が読めないことで子どもを売る羽目になったり、疫病であっけなく両親を亡くす理不尽がひとごととは思えないからだ。

道長もまひろを通じて庶民の世界を知り、まひろに「より良い政をする使命がある」と言われて、まひろとの結婚もあきらめて(笑)がんばってる。

朝廷では兄の関白を始め、疫病対策に本腰を入れる人間は皆無。
孤軍奮闘していたところで、よりによって悲田院でまひろと再会したら、そりゃエモくもなるよね。

「やっぱり今もおまえは庶民に心を寄せているんだな、そんなおまえだから好きになったし、やっぱりおまえが好きだーーーーー!」
ってなるわ、そりゃ。

しかも、「妾になってくれ」「そんなの耐えられない」で別れたあと、邪魔者(倫子とか)がいない状況での久しぶりの再会が悲田院。
その前に、腹違いの兄・道綱から「まひろへの夜這い未遂事件」まで聞かされていた。自分は他の女たちとどんどん子をもうけているものの、内心穏やかじゃなかったはず。
(こういう細かいお膳立て、いつもながら脚本うまい!)

まひろが目を覚ましてそのままコトに及び、子どもができる流れかと思ったよ。(やめなさい)

庶民の苦しみに尽くそうとする二人が悲田院で再会したのは、やはり理不尽に殺されていった直秀の導きだと私は納得しました。

さて
庶民に目もくれない道隆夫婦は、道長-まひろラインと対照的。
伊周の「新しい後宮」という言葉に、現首相が言っていた「新しい資本主義」が思い浮かんだが(笑)、ようは、権力を謳歌し増殖するのが権力者のつとめってことですかね。‥‥と言いたくなる。

前回も今回も、セリフがないシーンの定子(高畑充希)の、心のうちが読みづらい艶っぽさがすばらしい。

定子にも鬱屈があるのは察せられるが、「お上、今日は何をして遊びましょうか」と呼びかけ、公達たちと共に無邪気な雪遊びに興じる姿は、内裏の外の庶民の世界を思うと、やっぱりグロテスクでもある。
ただ、「あれは下々の者がかかる病気」と道隆が一顧だにしないのに比べると、中国の古典『貞観政要』を引いて徳政を志向する一条天皇や、「香炉峰の雪」の故事を知っている聡明な定子には変化の可能性があるのかな。

そして、そこに清少納言はどう絡んでいくのだろうか??
「自分のために生きる」「自分の能力を活かす」というききょうの意思はすばらしいんだけど、その視線が定子サロンの高貴な人だけに向けられるなら、それはまひろと対照的になるが‥‥

★ちなみに、貞観政要にある「3つの鏡」の話が好きです
https://www.facebook.com/emiinoue9024/posts/pfbid0LeqxBHd3GajDEBZm9Hiwxc3kz5BBaJktkQSsbqDCpSrgaEbftWDYHRKqGhXiwKeXl

そ・れ・か・ら
夫に心に秘めた思い人がいると悟った倫子さまの「うふふふふ」
すごい怖かったんですけどー?! 
彼女は「蜻蛉日記の作者のようにはなりたくない」と言っていたように、女性(妻)としての在り方にプライドをもっている人。
この先どんなふうに振る舞うのであろーか!

2024.4.26 wrote


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