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『K-POP 新感覚のメディア』金成玟 ~K-POPの隆盛は一日にして成らず

K-POPの隆盛は一日にして成らず! 歴史をたどるのは本当におもしろい。

私より年上の方なら、チョー・ヨンピルやケイ・ウンスクを(名前だけでも)覚えているだろう。日本人が彼らの「韓国歌謡」を聴いていたころ、韓国では日本の音楽の流入が禁じられていたにもかかわらず、マッチや明菜ちゃん、少年隊の音楽が人気だった。

一方で、チョー・ヨンピルは韓国国内では、当時からいわゆる「韓国歌謡」だけでなく、ロックやR&Bも歌う幅広い音楽性を持っていたというから驚きだ。

1970~80年代を通じての韓国の高度経済成長に呼応するようにアメリカから戻ってきた「逆移民」がMTVやブラックミュージックの要素を持ち込み、名門大学を卒業した若いシンガーソングライターたちが芸能人の社会的地位を高めた。

当時のミュージシャンやプロデューサーたちは、マイケル・ジャクソンやマドンナ、M.C.ハマーなどアメリカのミュージシャン、山下達郎や玉置浩二、サザンオールスターズ、SMAPや安室奈美恵など日本のシティポップやアイドルにも大きな影響を受けている。また、韓国オリジナルのアイドルをマネジメントするにあたっては、ジャニーズのアイドル育成・管理システムも大いに参照したという。

日米の音楽やシステムを貪欲に求め、それを「K」の感覚で解釈・変奏、再生産してきたK-POP。

しかし通貨危機によって韓国経済が瀕死の打撃を受けた1997年前後から、Kの音楽性がJ-POPやJアイドルのそれから離れてゆくのが興味深い。韓国は、CD盤ではなくiTunesのようなデジタルの形、またYouTubeへの適応も本場アメリカよりずっと速かったという(そして、アメリカよりずっと遅かったのが日本ですね)。

その後も、日本はあくまで「J-POP」のフレームの中でのみ、韓国のアーティストの音楽を受容してきた。
だから、K-POPは、すぐそばの巨大マーケットである日本に進出する際は、そのマーケットに合わせて、つまり日本に「ローカル化」することを徹底した。その方法でヒットしたのが2000年代前半のBOAであり、続く東方神起だった。

日韓両方で成功し、日本で初めて五大ドームツアーを敢行した東方神起は、いわゆる「奴隷契約」問題でも韓国音楽界を揺るがす。それはファンによる活発な議論を生み出し、韓国芸能界全体の法的整備を促した。

2010年前後に全盛期を迎えたBIGBANGは、デビュー当時からメンバー全員が楽曲制作にかかわっていたのが特徴で、中でもG-DRAGONは欧米のトップミュージシャンにコラボを望まれ、毎年パリコレの最前列にも招待されるカリスマになった。「NYタイムズ」や英「ガーディアン」でも特集され、「25歳のジャンル破壊者」と書かれた。

それは、K-POPが「非英語圏つまり周縁の文化、オリエンタリズム」から脱して、世界をリードするテイストメーカーになった証だった。

K-POPには、海外の音楽だけでなく、韓国の伝統歌謡やその歌唱法も息づいている。海外も歴史もさまざまなものを受容し咀嚼してきた。

整形手術やハードな減量で作られた韓国アイドルは、欧米では「ファクトリー・ガールズ」と揶揄されることもあるが、2016年のキャンドルデモの際、梨花女子大学で座り込みを続ける学生たちが歌っていたのは少女時代の「Into The New World」だった。彼女たちにとって、少女時代の曲は新しい時代をひらくためのアンセムだったのだ。

2018年、ピョンチャンオリンピックの閉会式に登場したCLは真っ黒なドレスとスモーキーなメイクアップで「The Baddest Female」を歌い保守派の物議をかもした。女性アイドル・アーティストのアップデートもめざましい。

オーディション番組の苛酷さ、SNS時代の激しい炎上やバッシング、深刻なメンタルの不調を抱え、取り返しのつかない結末を迎えるアイドルなど、さまざまな問題を抱えながらもK-POPの拡張は続いている。その到達点のひとつがBTSである。

1980年ごろの状況から説明され、2018年7月に出版されたこの本で、BTSへの記述は最後の一章にみたない。それは妥当なボリュームだと思う。

彼らは唯一無二の個性を持つけれど、突然変異ではなく、この40年のK-POPの歩みの上に生まれたのだと思う。彼らもいつも、先輩たちに敬意を払っていますよね。

「インターナショナルスターと呼ぶのでは物足りない」(2017年 アメリカン・ミュージック・アワード)

「世界最高のボーイバンド」(2018年 ビルボード・ミュージック・アワード)

2020年に初の全英詞曲「Dynamite」を出す前に、すでにアメリカで「世界の」と冠されていたBTS。

「それが意味するのは、音楽の生産・流通・消費の過程においても、市場の動きにおいても、評論においてもファンダムにおいても、BTSの位置づけは、一つの国の単位ではとらえられない、グローバルなポップスターだ、ということではないだろうか」

「それこそ、世界のポップ界が求める姿であり、K-POPが目指してきたあり方だろう」

「つまり、BTSがその輝かしいポップの舞台に上がる姿は、グローバルなポップスターをつねに求め続けてきた「POP」の欲望と、韓国という狭い市場と環境を超え、グローバルなポップスターの発信を試み続けてきた「K」の欲望との長い出会いが、これまでの中で最も強烈にスパークした瞬間でもあるのだ」

念のためもう一度書くけど、これ、2018年に書かれた文章ね。Dynamiteが出るより丸2年前。

「BTSのみならず、他の多くのK-POPが表現する音楽とパフォーマンスを一瞬でも楽しんだことのある人なら、それが違う人種や地域の文化に対する偏見からも、アイドルに対する先入観からも、愛国主義や排外主義による抑圧からもかけ離れた、普遍的な「ポップの瞬間」であることに気づくだろう」

胸が震えるようなすばらしい評論だった。

さまざまな問題を孕みながらも、K-POPの世界には常に議論とアップデートがある気がする。

一方で、
「今・ここ」のさまざまな音楽的・産業的・社会的感覚が複雑に絡み合いながら注入されるのが「POP」という器ならば、その中身が日韓でこれだけ違うことを思わざるを得ない。

流れている時間は同じであり、同じように世界に開かれているはずの日本、その「J-POP」の変遷について、より考えたくなった。やっぱり、音楽だけでなく、文化全般や社会、産業、政治まで含んだ結果の「POP」なんだろうなと思う。

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