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『漆の実のみのる国』藤沢周平 ~斯くも険しき道のり

すべてのビジネスパーソンと生活人、そしてすべての政治家とイケメン好きに捧ぐ‥‥。

一気呵成に読み進み、わずか3日でラストに到着‥‥のはずが。何じゃこりゃ?! エンドマークは打ってあるけど、まるで少年マンガ誌の連載打ち切りじゃないか。

もちろん天下の藤沢周平が人気投票で順位低迷するわけもなく、これは彼の絶筆なのでした。もはや快復は望めずと悟り、話を思いきり飛躍させて最後の6枚を書いた、と。

終始、静かな気迫に貫かれた小説です。ラストも、事情を知って読みなおすとじんわり伝わってくるものがある。

舞台は江戸後期の米沢藩。「天地人」で有名になった直江兼続の時代、もともと120万石の大国は関ヶ原のあと30万石に、さらにその60年後には15万石にまで領地を削られてしまいます。が、上杉家は人員整理をしなかった。ようは、120億あった売上が15億にまで減っても、誰ひとりリストラしなかったのです。

‥‥といえば聞こえはいいけれど、つまりとんでもない窮乏に甘んじることになったわけで。

米沢に引っ越してきたとき、家老の直江兼続みずから道具を使って人々と一緒に土木作業に従事し庭に菜園を作ったというエピソードも紹介されますが、この小説はいわゆる「清貧や忍耐」、「置かれた場所で咲く」美徳がテーマなどではありません。

【この小説の驚きその1】

役所の畳は破れ屋根には穴が開き、雨が強い日は傘をさして執務する。武士の内職や家財の質入れも当然で、農民は食い詰めて夜逃げし、飢饉になると餓死者も続出した。

貧しさがどんなにつらくひもじく、それだけでなく人心を荒ませるか。これでもかとばかりに綴られる「貧すれば鈍する」の様子は圧倒的。
そこで登場するのが、米沢藩の歴史に残る名君となる主人公、上杉鷹山(最初の名は治憲)。

他藩から養子に来てまもなく才をあらわした鷹山を恃んで、数人の家臣たちが結託し、現職の藩主に対してクーデターを起こします。

ここで 【驚きその2】

クーデターの首謀者、竹俣当綱はこのとき34歳。鷹山と竹俣の師である藁科松伯は28歳。他のメンバーもこの年代です。ちなみに、この小説は、資料を詳細に読み込み史実にもとづいて書かれています。

時代劇はおじさんやおじいさんが見るもので、江戸時代は年功序列が当然、坂本龍馬や西郷隆盛が若くして出てくる幕末が例外なのだというイメージじゃないですか? 
実は、このときの米沢藩に限らず、江戸時代は意外に若い人たちも中枢にいるし、家柄や年功でなく能力で抜擢されることも少なくないのです。

クーデターののち治憲を藩主に迎えると、竹俣は藩政改革、財政再建に着手します。安易に重税を課すとか改革の名のもとにお友だちを優遇するとかではありません。莫大な借金の整理に奔走し、長期的に藩を潤す産業を興そうとするのです。

借金の高利を考えて夜も眠れぬほど苦悩する竹俣。真の政治家とはこういうものか、と思わされます。

主君の鷹山は先頭に立って質素倹約を励行し、常に一汁一菜、冬でも木綿着で平然としています。公正と熟慮をもって藩政にあたり、家臣を励ますことを怠りません。

ここで 【驚きその3】

このように有能な家臣と名君がそろっていてもなお、改革は遅々として進みません。小説のようにうまくはいかないのです(小説だけどw)。

冷害による不作や、他藩のライバルたち(←我が福岡も入ってます‥‥)の躍進、計画のふしあな、嫉妬深い同僚たちなど、障害は枚挙にいとまがありません。特に、連年の記録的な不作は飢饉となり多数の餓死者を出します。

竹俣を始め、幾年もの激務に疲れ、徒労に心折れ、年齢を重ねて、次々と表舞台から去っていく家臣たち。

憎たらしいだけの悪者も、どうしようもない愚者も、この小説には出てきません。
逆に、有能な者も失敗するし、志高い人も金属疲労には勝てない。
生身の人間とはそういうものなんでしょう。
改革って威勢のいい言葉だけど、容易ではない。

この小説は、1993年、バブル崩壊後、停滞が長期にわたる様相を帯びてきたころに連載開始されました。上杉鷹山のような英雄の出現が待望された時代で、折しも新党から首相に選出された細川護熙に人々は熱狂していました。
しかし、その前年に執筆を開始したとき、作者は既に「改革とは斯くも厳しい」「救世主などいない」と思いさだめていたのです。

史実を追えば、米沢藩の借財は鷹山の死の翌年、つまり鷹山が藩主の座についてから50年以上を経て解消されます。

冒頭述べたように、作者の病臥により、物語は当初想定された完ぺきな形での完結は望めませんでした。が、長く険しい道のりはそこまでで十分に読み尽くした感もあり、急ごしらえの物語の末尾を読むと、漆の実の描写のあまりのいとけなさに胸が震えます。

そして、【この小説の驚きその4‥‥というか最大の魅力】
それは、鷹山その人に尽きます。

高邁で、且つあたたかい。
救世主でないとしても、こういう「人物」がいなければ事は成らないのかなあという説得力があります。
端的にいって、めちゃくちゃすてき。萌える😍

藤沢周平といえば、古き良き日本人‥‥といえば聞こえはいいけれど、辛気臭くウェットな時代劇作家というイメージがあるかもしれません。

が、10代の頃からいろんな藤沢小説を読んできた私は知っている。
藤沢周平はおそるべき「萌えキャラ製造機」なのだ!!!

おそらく藤沢の体調の都合で、正室や後妻を始め女性が出てくるシーンはかなり削られたと思われますが、ほんのわずかなシーンでも夢に出てきそうなくらい色っぽかった。。。。🤤

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思わず興奮してしまったので、最後に鷹山がいかに清廉で剛健な人物だったかを示す一節を引用します。

「日ごろ一汁一菜を用い、木綿着を着て平然としているように、治憲(鷹山)は元来が実質を重んじて虚飾をきらう気質の人間である。その治憲からいえば、天下国家のことにしろ、一藩のことにしろ、政治とはまず何よりも先に国民を富まし、かれらにしあわせな日々の暮らしをあたえることである。民の膏血をしぼり取って、その血でもって支配者側が安楽と暮らしの贅を購ったり、支配者の権威を重重しく飾り立てたりするためにあるものではない」
「(江戸城の大広間に座って)島津、伊達などの大大名と肩をならべながら治憲が抱いた感想は、幕府の機構は、民を富ますことよりも、礼儀三百威儀三千で諸侯を縛り、徳川将軍の権威と支配を維持するためにあるのではないかということだった。それは天下静謐のために必要かもしれないが、いかにも内容空疎なものだった」
「礼儀や意義では一藩の民どころか、一村の村人の腹も満たすことはできまいと思ったものである。それは儒教を論理ではなく実践の学問として説く細井平洲を師を仰ぐ治憲としてみれば当然の感想だった。礼儀が不要だというのではない。ただ民の上に立つ為政者は、その前にやるべきことがあるのではないかと、貧しいわが藩をかえりみながら治憲は思うのだ」
「(藩では「貧すれば鈍する」で礼儀を欠く武士も多いが、治憲は責める気になれなかった。)
 実際に治憲の側近第一にして小姓頭という重い職を勤めた莅戸善政でさえ、家には床張りがなく、土間に敷物を敷いた部屋に寝ているのだ。それがこの国の貧しさだった。そのことを考えると、治憲はおのれの無力さにほとんど泣きたくなる」

本書は江戸時代の初期から約200年、政治経済の構造がどのように移り変わっていったかの概観にもなっています。本来、幕府が描いていた名君による仁政と藩内の自給自足は初期のみで、政治は合議制になり、市場経済が発展していく様子がわかります。

藤沢周平のいつもの「市井の人情もの」「武家の剣客もの」とは一線を画した、詳細な史実に基づく歴史小説になっていますが、骨太で読みごたえがあります。

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