インタビュー: 「あそこに行けば元気になれる!」 皇法健康所と家族の歴史(後)
◆ コミュニケーションの英才教育
―――40年以上、家族のホームベースだったおうちです。たくさんの思い出がおありでしょうね。
(江未子) 駅前の2DKから移ったときは広くなったと思いましたが、7人家族ですから、やっぱり手狭でしたね。
増築したり、プレハブをもらってきたりしながら、なんとか暮らしていました。隣のアパートの一室を借りて、そこに患者さんが入院されていた時期もありました。
―――ということは、入院されている方のお世話もあるわけですよね。
(江未子) はい。家族以外の人と食卓を囲むのが日常でしたね。
(康雄) お風呂もいっしょですよ。まずお客さんが入って、そのあと家族。ずっとお風呂を沸かしとかないかんかったですね。
(江未子) いつも家にたくさんの人が出入りしているでしょう。年ごろの時期は嫌でしたよ。サラリーマンのおうちがうらやましいと思ったりもしました。でも、最近きょうだいと話すんです。「あれはコミュニケーションの英才教育だったね」と。
―――な、なるほど!
(江未子) きょうだいだけでも5人いるのに、いろんな人の中でもみくちゃになって育ちましたから。結局、きょうだい5人とも土日祝がお休みのサラリーマンにはなりませんでした(笑)。
―――みなさん個性的!
(江未子) 個性的な両親から生まれて、個性的な家で育ちました。ちょっと変わり者の多い、個性的な集団ですね(笑)。
◆「機嫌が悪い母を見たことがありません」
―――ご一家を切り回していたお母様はどんな方でしたか?
(江未子) サザエさんみたいにおもしろいエピソードがたくさんある人です。私の誕生日ケーキを台所の棚の中に忘れて引っ越したり! あとで業者さんが見つけたときは、カビだらけだったでしょうね(笑)。
(康雄) 子どものころは、人の後ろに隠れて黙っているようなおとなしい子だったらしいですけどね。結婚したら、ハッスルばあちゃんとしょっちゅう話さないかんから、それでだんだん芽が出てきた(笑)。
―――お姑さんと居るうちに、内に秘めた才能が花ひらいたんですね!
(江未子) 自営業で大人数の生活だから、しゃべらないわけにいかなくなったんでしょうね(笑)。
(康雄) 会計も全部やってもらっていましたから。レジやないから、手書きで計算してね。毎月すごかったですよ、伝票の量が。
―――5人育てるだけで大変なのに、治療院もあって。日々、仕事が絶えなかったでしょうね。
(江未子) 「目をつぶったら寝れる」と言ってましたね。
――― 一瞬で。そうでしょうねぇ。
(江未子) 洗濯物をもって歩いている姿を思い出しますね。ただでさえ大家族は洗濯が大変なうえ、治療ベッドのシーツから何から大量。梅雨の時期までストーブを焚いて乾かしていました。今考えると、火事にならなくてよかった(笑)。
―――洗濯もお料理も、毎日のことだから本当に大変ですよね。
(江未子) それでも、いつでも母の手料理が並ぶ家でした。もてなすのが好きな人で、大人数の調理も嬉々としてこなしていましたね。愚痴も聞いたことがないです。
(康雄) ないですね。
(江未子) 人に腹を立てることもない人です。子どもの躾で叱ることはあっても、機嫌が悪いことがないんです。
―――いろんな人と接して、イライラすることもありそうですが。
(江未子) 「そういう人もおる」とよく言っていましたね。母がもともとそういう人だったのか、嫁いでからの暮らしでそうなったのかわかりませんが、幸せな生き方を知っていた人だと思います。
◆ 80歳で新築! 皇法健康所移転は奇跡の連続
―――お母様がお亡くなりになったのが2021年9月とうかがいました。
(江未子) はい。しばらく前から調子は悪かったのですが、最後は急なお別れでした。何もかも母がやっていた家なので、父をどうするかと。
―――結果的には、それからちょうど1年で、お父様の新しいおうちを建てて、健康所を移されて。すごいスピードですよね。
(江未子) そのころ、越してきて以来、21年間ずっと山林だった我が家の隣が造成地になったんですよ。1年ほど続いた造成工事が、ちょうど終わったころで。母が亡くなったとき、ふと「隣に来たらいいんじゃない?」と思いつきました。
―――その発想が驚きです!
(江未子) そこからいくつもハードルがありましたよ。まず、私の主人に相談して、OKをもらいました。次に、きょうだいに提案しました。葬儀の準備をしているころでしたね。
―――素早い! ごきょうだいはどんなリアクションを?
(江未子) 目を丸くして、「何言い出した?!」という感じでしたね(笑)。
―――そうでしょうね、心の準備が‥‥(笑)。
(江未子) でも、いろいろ考えると、みんな「それが一番良かろうね」となって。
―――肝心のお父様はなんと?
(江未子) 父はすぐに「江未子のところに行きます」と心を決めていました。そういうタイプなんです。もともと、父の説得に時間はいらないと思っていました(笑)。
とはいえ、その時点では、隣の土地を買えるかどうかはわかっていません。造成工事が始まるときにもらっていた「工事中に何かありましたらこちらへ」というお手紙を探し出して連絡し、土地の情報をたずねてみました‥‥。
――― お母さまが亡くなってほぼ一週間で、申し込みまで進んでいるじゃないですか!
(江未子) 怒涛のスピードでしたね。人気の区画だったので申し込みが4件重なり、抽選になったんですが、抽選日に蓋を開けてみると、ほかの方たちが辞退されていました。
―――結果的に無抽選だったんですね。
(江未子) ほかにもミラクルがありました。そもそも、お金が足りるのかという問題もあったんですが(笑)、なんと、和白の土地の売却代金が、新居の振込金額とほぼぴったりだったんですよ。
―――えー!
(江未子) 首尾よく売却できなかったらローンをどうするか、頭を悩ませていました。ちょうど和白の地価が上がっていたので助かりましたね。不動産屋さんや税理士さんにも相談して、たくさん力になっていただきました。
80歳になる父が家を建てられたのは奇跡だと思います。それもこれも、母をはじめ、お空にいる応援団の計らいでしょうね。
◆「寂しいことないですよ。よけい密になった気がします」
―――お話を聞いていると、江未子さんがリードしてのお引越しだったのでしょうか?
(康雄) はい、もう一切おまかせです。和白の家の断捨離も、娘たちががんばってくれました。
(江未子) 断捨離はすごい量でしたよ。あと10年遅かったら、私もできなかったかもしれません(笑)。
本棚4つ、タンス7竿、衣装ケースは50以上あったんじゃないかしら。ほかにも、古い家電に茶箪笥に‥‥挙げればキリがないです。母は思い出を大事にする人だったので、アルバムはもちろん、私たちきょうだいの保育園のシール帳までありました。
父にたずねると「思い出は心の中にある」と言うので、写真も相当処分しましたね。
―――お父様は、住み慣れた和白の家を離れ、思い出の品々を断捨離することを悩まれませんでしたか?
(康雄) よく言われましたけどね、「未練も何もないんですか?」って(笑)。「娘のところに行きます」と、それだけです。
(江未子) うちの娘も「ばあちゃんが亡くなっても、じいちゃんは落ち込んだりせんかったね」と言っていました。
(康雄) 「上から見よるな」と感じますからね。くらしの中で「これどうしようかな」とか思うことあるでしょ。しばらくして、ふっと目がいったり足がいったところに「あ、こんなものがあったんか」と気づく。そんなことが不思議とよくあるんですよ。
―――空から教えてくれているんですね。
(康雄) 余計に密になったような気がしますよ。響き合うというのかな。夜は「寝るで~」、朝になったら「起きたで~」とあいさつしたりね。そんなふうだから、寂しいことないですね。
◆ ご縁を大切に、施術を楽しむ日々
―――お父様は、ブログに施術の記録を綴られていますね。それぞれの患者さんに、的確に、しかも心をこめて向かい合っておられる様子がわかります。
(康雄) 「もういっぺん来てください」とは言いたくないですから。一回で元気になって帰ってもらうようにつとめています。
「先生、なんも言わんかったのに、なんでわかったんですか? そこをやってほしかったんですよ」
「そうやろ、触ってみたら、ここかなと手がぽっと動いたばい」
とか言いながらやっています。
―――先ほどの私の ” おためし施術 ” も、とても楽しそうにやっていただきました! でも、中には、すがるような思いで来る人もおられますよね?
(康雄) 「お医者さんに、もう手術もできない、治療のしようがないと言われました」という人も来られます。そんなときは、「それで私との縁ができたんだから、この縁を大事にしましょう」なんて言ったりね。やっぱり、この年だから言えることもありますよ。いろんな人を見て、80までやってきてますから。
どんな人のことも、よくよく見て「どこをどうしようかな」と考えながら触れていきます。そうすると、ふっと手が動いて「ここかな」とわかるんです。
(江未子) 父は本当に施術が好きだと思います。年齢的にも、施術は日中だけにしてほしいのですが、どうしてもというご依頼があれば、ついつい時間外も予約を受けつけたり‥‥。ひまができたら、私の主人や娘を呼んでやっているぐらいです(笑)。
(康雄) 子どもや孫の施術を楽しむためにも、私自身が元気でいないとですね。
◆ みんなの寄り合い所に
―――お母様のお見送りとご法要、不動産売買を含むご実家のお引越し、それに伴う断捨離‥‥濃厚な一年間でしたね。
(江未子) 人生で一番働いた一年だったと思います(笑)。
母が亡くなったあと、父が最初に言ったのは「死ぬまで仕事をさせてください」ということでした。なんとかそれを叶えたいと思って、我が家の隣に移転という形になりました。
―――すごい親孝行だと思います。
(江未子) そんなつもりはないですが、意外に父が感謝してくれたので、親孝行になったかもしれませんね(笑)。
もともと、施術以外は何もかも母がやっていた家です。母が先に亡くなってどうなるかと思ったけれど、おかげで父と過ごす時間が増えました。父も、食器洗いやアイロンがけ、できることは何でも自分でやっています。きっと、母は父の最後のステージまで用意して旅立ったんだと思います。
―――新しい皇法健康所におじゃましてみると、訪れる人のための細やかな心配りがあちこちに見えます。
(江未子) 玄関は、車いすで通れるようにスロープにしました。トイレにも、車いすを横に置いて介助しやすいスペースをもうけています。そうそう、実家から大量の炭も運んで、床下に入れてもらいましたよ。
―――炭を? それはどういう…?
(江未子) 炭には浄化の力があるんです。母が実家のあちこちに置いていたのをかき集めて、洗って干して乾かして、段ボール何箱分あったかしら(笑)。これで、たくさん具合の悪い方がお越しになっても大丈夫!
2階には鏡張りの研修室をつくりました。エクササイズや研修もできます。いずれ、父の孫たちがやりたいことのために使う日も来るでしょう。ダンスやバレエを教えたり、託児をしたり‥・・。
―――新しい場所で、またたくさんの人が癒されますね。
家族が集うだけでなく、いろんな人にひらかれているのが素敵です。
(江未子) みんなのお家といいますか。「あそこに行けば元気になるよ」と言われる場所になるとうれしいです。かつてあった、広場や寄り合い所のように。
(康雄) 「人を癒して癒される」という理念をもって、人から人の紹介で45年、ここまで仕事をしてこられたことに感謝あるのみです。これからも、一期一会の縁としておひとりおひとりとゆっくりした時間をとり、日々愉しく仕事をさせていただきたいと思います。
(おわり)
(編集後記)
半世紀以上、4代の人々が登場する家族の歴史を、前後編にわたってお届けしました。人の営みって、不思議で、愛おしくて、奇跡的ですね。どの人、どの瞬間が欠けても、今こうなってはいないんでしょうね。
ご家族や懐かしい思い出について話すおふたりはとても楽しそう。知らない人たちも含め、大勢でわいわいと食卓を囲んでいた光景が目に浮かびました。
康雄さんも江未子さんも、亡くなったお母様や姪御さん、ハッスルばあちゃんをいつも身近に感じながら、今このときを大切に生きている。お話を聞いていると、幸せな生き方ってこういうことなんだなとよくわかります。
そして、その幸せを、ファミリーの外にまでどんどん分けてくれるのがすてきです。おうちにもご家族にも良い気が流れていて、お話するだけで元気になれます! きっと、この記事を読んだみなさんも、ちょっと元気になりましたよね?
(イノウエ エミ)
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