見出し画像

インタビュー: 「指輪がスッと入ったんです」 皇法健康所と家族の歴史(前)

1978年、福岡市東区和白に誕生した「皇法健康所」。所長の平井康雄さんは、東洋医学に基づく独自の方法で、人々の健康と美容を応援してきました。
奥様のご逝去を機に、2022年秋、長女の江未子さんファミリーが暮らす宗像の地に移転。新たな時代を迎えています。
天高い秋の日、所長のお住まいを兼ねた真新しい新・皇法健康所を訪ねると、康雄さんと長女の江未子さんが迎えてくれました。
半世紀にわたる家族の歴史のお話です。どうぞ、ごゆっくりごらんください。
聞き手: イノウエ エミ 
撮影 : 橘 ちひろ
(2022年10月取材)

さようなら和白
平井家5人のきょうだいを育てたお母様の初盆法要
この日が和白の最後の日になりました

◆ 玄米と周囲に導かれた夫婦の縁


所長の平井康雄さん。5人のお子さんと11人のお孫さんをもつ

――1978年、36歳で和白の皇法健康所を創立されました。鍼や整体を始めたきっかけを教えていただけますか? 先生のお母さまも治療院をなさっていたそうですね。

(康雄) はい、母は地元の小倉でやっておりました。父が49歳で脳出血で倒れて左半身不随になったもので、東洋医学に出会って食養法や手技療法を研究するようになったんですね。
私も父をなんとかしてやりたくて、本を買って自分なりに勉強して、整体を始めました。そしたら、「自分はこれが好きやな」と思ってね。
しかし、私はそのとき、国鉄に勤めよったんですよ。

―――そうだったんですね。今のJRに。

(康雄) 家が苦しかったから、固定給が入るのはありがたかったんですよ。母が一か月アルバイトして、月給1,500円ぐらいの時代です。国鉄は、初任給で7~8,000円ありましたから。
「このまま定年までおって、自分に何が残るんかな」とも思いつつ、紹介してもらって入った会社やし、10年は勤めようと。それで、休みのときに母のところを手伝って治療しながら‥‥25で結婚したんだったかな。

―――ご夫婦のなれそめが気になります(笑)。

(康雄) 知り合ったのは、玄米食がきっかけです。妻の実家は志賀島のお寺で、村の人が集まって玄米釜6個セットを何度か取り寄せてくれたんですね。我が家は玄米食普及の会で九州の責任者をしていたものですから。
そのご縁で、びわの季節に「食べに来ませんか」と誘われて志賀島に行ったら、娘さんが迎えに来て運転してくれました。

―――それが奥様ですね! すぐに意気投合して?

(康雄) いやいや、自分たちより、まわりのほうが先なんですよ。特にうちの場合は、まず母と折り合いがつく人というのが絶対条件でね。なんせ、“ハッスルばあちゃん”なもんで(笑)。

―――前回、江未子さんからもうかがいました(笑)。

(康雄) 母や仲人さん、向こうの檀家さんたちがその気になって、どんどん進めるわけですよ。仲人さんが「お相手の指のサイズどれくらいですか? 指輪を作りますから」って。こっちは、手を握ったこともないんですよ(笑)。

―――ひえ~!

(康雄) 電話しようにも、向こうは村に一台しかなかったしね。しかも、放送で呼び出すんですよ。村じゅうに聞こえるから、そうしょっちゅうはかけられない。手紙のやり取りをしようにも、往復に一週間以上かかります。
そうこうしているうちに、結納の話まで進んでいるようなので、一度は話をせないかんねと、出張の機会に博多駅で待ち合わせることにしました。でも、お互いに顔もわかるかどうか‥‥。

―――もちろん、携帯もないわけですし。

(康雄) はい、だから何か目印になるものをつけて、待っていてもらいました。改札口を出たところにおってくれてね。
喫茶店に入って指輪を出して、「してみてくれん?」って。そしたら、スッと入ったんですね。

―――きゃあ~!

(康雄) それで、その足でタクシーで志賀島まで一緒に行って、向こうの家族にごあいさつして。

―――奥様のほうも、そうなることを予想されていたんでしょうか?

(康雄) そうなんでしょうね、なんとなく。

―――すでに「あうんの呼吸」だったんですねぇ。


◆ 365日、ハガキをしたためて

―――国鉄には、つごう何年お勤めだったんですか?

(康雄) 17年ですね。それから大阪の鍼灸学校に行きました。昼間はご縁のある会社で働きながら、鍼灸学校の夜間部に3年間。そのときは子どもが3人だったから、大阪で家族5人、一年くらいは暮らしたんやったかな。途中、4人目ができたので、妻と子どもは福岡へ戻りました。双方の実家が近いほうがよいということで。

―――双方のご実家に近いほうが何かと都合いいですものね。

(康雄) はい、それで、私のほうは卒業して国家試験も通ったから、すぐ小倉に帰ろうとしたら、大阪の仕事で懇意になった健康器具販売の会社の社長が、「ここで開業したらええ」と言うんですよ。「事務所もあるしベッドもあるから、うちのお客さんをみてやってくれ」と。

―――じゃあ、ご家族を小倉に残したままで…。

(康雄) はい。だからね、向こうにおる間じゅう、毎日はがきを書いて家族に送っていました。

―――え? 鍼灸学校のころから?

(江未子) 覚えています。毎日、ポストに父からのハガキが入っていました。

長女の江未子さん。結婚後、宗像に住まいをもって22年になる

―――え? 毎日? 新聞が配達されるように?

(江未子) そうそう(笑)

(康雄) 電話しようにも、遠距離ですごいお金がかかるからね。当然、話のタネが毎日あるわけないけど、なんとかかんとかね。酒を飲んで書いた日には、朝になったら自分でも何を書いたかわからんけど、とにかくポストに入れる(笑)。

―――そうまでして、毎日!

(康雄) それぐらいしかできることないですから。妻はひとりで子どもを4人食べさせて、育ててくれてるわけでしょう、将来もわからんのに。「俺もこっちでがんばりよるよ」という、ひとつの証ですよね。

―――はぁ~ すごい!

(江未子) ポストを開けたら父からのハガキが入ってるものだと思っていました。きょうだいみんなまだ小さかったから、毎日ちゃんと読んでいたわけではないですが、たまに、文章の中に自分の名前が書いてあるとうれしかったですね。

(康雄) 福岡に戻ったら、大きな箱に入れて保存してありましたね。


◆ 家族の新天地、和白へ 

―――大阪の社長さんに言われて現地で開業して・・・どのように福岡に戻ってこられたんですか?

(康雄) 一度、妻と子どもが会いに来てくれたんですね、大阪まで。

―――わあ、奥様が子どもたち4人連れて。

(康雄) 大阪の社長はそれまで「ええからこっちにおれ」と言っていたんですが、うちの子どもらが「お父さん、お父さん」と言う姿を見たらコロッと変わって。「これ以上、親子を離れ離れにさせとったらいかん」と。

―――お子さんたちが社長の心を動かしたんですね。

(康雄) 「要るもんは何でも持っていっていいから、早よ帰り」と言われて、ベッドだけタウンエースに積み込んで、阪急フェリーに乗せて帰ってきました。

―――さあ、やっと福岡に戻ってこられました!

(康雄) 私の地元の小倉と、妻の実家の志賀島。その中間ぐらいで家を探したんですが、子どもが4人いるでしょう。なかなか貸してくれるところがなくてね。ありがたいことに口を利いてくれる方がいて、どうにか和白の駅前のビルに入りました。2階が治療所で、5階が2DKの住まいでした。

―――それが、和白の皇法健康所の始まりなんですね。

かつての施術室


◆ 人から人へ、紹介をいただき45年

1980年築、和白のお住まい兼 皇法健康所にて。
2022年春、お母さまが好きだったジャスミンの花の季節に撮影

―――和白駅前のビルの一室に開業された2年後、治療所兼お住まいを新築されました。

(康雄) ちょうど、西日本銀行が和白支店を出したころでね。支店長がぎっくり腰で治療に来られて。

―――まあ! 

(康雄) それがきっかけで、融資してもらうことになったんですよ。開業してたった2年でしたから、まず無理だろうと思ったんですけどね。あとで聞いたら、実際にだいぶ大変だったようです。

―――支店長さん、がんばったんでしょうね。ぎっくり腰も首尾よく治り、康雄さんを信頼されたのでしょう。

(江未子) 引っ越しのときは、母は身重でした。父の出張中に産気づいて、自分で運転して産院に行き、5人目の末弟が生まれました。

―――家族7人、お父様の治療のお仕事で暮らしていたわけですよね。特に開業初期は、不安などありませんでしたか? 患者さんがどれくらい来てくれるかわからないわけで‥‥。

(康雄) 不安がないではなかったけど、患者さんが少ないときは、まぁ、それはそれでいいやん、と。

(江未子) 母がベジタリアンの料理教室をしたりね。

(康雄) そうそう、そんなふうに、人が来てくれるようなイベントを考えてやってくれていました。

―――お母様もすごいなあ。

(康雄) 「保険診療をしたほうがいい」というアドバイスもありましたけどね、私には私の治療がありますから。

―――そこは信念なんですね。

(康雄) とにかく、ひとりひとり大事にせないかん、という思いでやっていました。するとだんだん、来てくれた人が知り合いを連れてきてくれるようになりました。


◆ 学校の保健室で出張施術?!

江未子さんは5人のきょうだいの中で唯一、整体も行う。
「カラダとココロを整える魔法のバランスレッスン」COCOemi代表で著書も多数

―――所長のブログを拝読していると、幅広い年代の方を診ておられますね。中高生など、若い方も多いことに驚きました。

(康雄) もう25年前になりますか。中学のバレーボール部の顧問をされている監督さんとご縁ができたんですね。最初は監督の奥さんがぎっくり腰で来られて、次に監督ご自身が足の指の骨折で来られて、それから、バレー部の生徒さんが親御さんに連れられて来るようになりました。

―――部活で故障した生徒さんが来るということですか?

(康雄) はい。そのバレー部は強豪でね。大会の前なんかに怪我をしたら、どうしても試合に出たいわけですよね。

(江未子) すごい先生なんですよ。大会の前、校長先生に許可を得て、保健室で施術できるようにしてくださって。私と父が保健室に出向いて、部員さんたちをどんどん交代で施術したり‥‥。

(康雄) 九州大会に帯同して、体育館の端のほうで施術したこともありましたね。

(江未子) 先生がすごいのは、自分の生徒だけじゃなく、よそのチームの子もやってあげてとおっしゃるんです。

―――フェアプレー精神ですね~!

それで、佐世保とか鹿児島とか、あちこちから来られるようになりましたね。「あそこに行けばなんとかしてくれる」といって。
部活の怪我だけでなく、学生さんもいろんな症状で来られますよ。若い方からお年寄りまで、人から人へご縁をつないでいただいて45年、続けてこられました。ありがたいことです。


◆ 施術体験レポート: 体はつながっている!

インタビューの途中、「おためしで受けてみられませんか?」と所長。
え、いいんですか~?
江未子さん「どうぞどうぞ、父は施術が好きだから」 
それでは、お言葉に甘えて、施術を体験させていただきます!

ふだんの施術では、最初にこちらの経絡の図を示しながら説明してくださるそうです

ベッドに上がると、意外!
ぐいぐい揉んだり、ツボを押されるような整体ではありません。
所長が調合したお水やクリームをごく軽く塗布され、やさしく包まれる感じ? 
しかも、ライター稼業で首・肩・腰がガチガチのイノウエですが、所長が触れたのはふくらはぎや肘から下、そして足裏。
心地よさにうっとりしたのもつかの間‥‥

「さあ、これでどうでしょう?」と言われて肩をまわしてみると、か、軽い! 施術をしてもらった右と、まだしてもらっていない左では雲泥の差です。

さらに、手技をもうひとつ、ふたつ加えられると、びっくり!
首がすっきりと長くなっている! 頬のあたりがリフトアップしている!
カメラマンちひろちゃんからも「急に若返ったね!」と絶賛(笑)。

患部から遠く離れたところに触れられたのに‥‥。
「肩」とか「腰」とか、部位部位に名前があってまるで独立しているような気がしてしまうけれど、体はすべてつながっているのだと実感しました。
飄々と、とても楽しそうに施術してくださる所長の康雄さん。
ベッドから降りると気持ちが明るくなり、心の底から感謝の思いがわきました。

「皇法健康所」ウェブサイト  

賑やかな子育て期、一家を支えてきたお母さまのこと、そして、新天地・宗像への激動のお引っ越し‥‥
平井ファミリーの歴史のお話、後編もどうぞごらんください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?