見出し画像

中年オタクの乳がん闘病レポ ~with怖がりもふもふヘコモッティ~


1.発覚


はじめまして。中年です。

みなさまは、ゾンビランドサガというアイドルアニメをご存じですか?
これまで一度もアイドルに興味を持ったことがなかった私ですが、佐賀が舞台と聞き、なにげなく見たこのアニメに夢中になっておりました。
非業の死を遂げ「ゾンビィ」となった若者たちが、謎の男に導かれながら女性アイドルグループ「フランシュシュ」を結成し、佐賀を救うために奮闘するというお話です。
楽曲も素敵で、メンバーも個性豊かでかわいい! 彼女たちの過去や死因などを想像するネットの考察も盛り上がっていました。
泣ける場面もありますが、基本はギャグ多めな楽しい作品です。


そんなゾンサガの2期・リベンジが21年4月から放送決定!! やったあ!

楽しみにしていたのに、その直前に……。



まさか突如、がん闘病がスタートするなんて……。



21年3月 桜が満開の頃


左乳房内側上部にしこりのようなものを見つけた私は、乳腺科の予約を取ってエコーとマンモの検査を受けました。
がんを宣告された当時、どんな風に暮らしていたのか思い出そうと日記帳をめくってみましたが、ひぐらしのなく頃に業を毎週楽しみに視聴していたことしか書いてませんでした。

実は昨年から前兆はありました。左胸の内側上部あたり、なにかあるような気がする……?? と。 
うっすらと異変を見つけた時点で猛烈にいやな予感がしました。怖すぎて、しばらく現実を直視できませんでした。見なかったことにしました。

でも、年も明けるとしこり?はさらに大きくなってきて、「あるのかな?」じゃなくはっきりと「ある」状態になってきました。
あとで知ったことですが、乳がんはでき始めてから1㎝ほどの大きさになるまでは、およそ10年かかるそうです。1㎝からは急激に大きくなるそう。
細胞が倍に増えるため、ある程度の大きさになると一気に大きさが増すらしい。数学が苦手なのでよくわかりませんが、ドラえもんの栗まんじゅうみたいなイメージでよいのでしょうか(てんとう虫コミックス「ドラえもん」17巻「バイバイン」)

もう見て見ぬふりもできない大きさになってしまったので腹をくくるしかなく、動揺する心と混乱する頭のまま乳腺科を予約しました。

検査が進むごとに、医師の顔色もどうも暗いし、不吉な予感がやまない。エコーをしている途中で家族構成や家族との仲を聞いてきたりするわで、これはヤバい……。
フラグがものすごい。全身の震えが止まらなくなりました。

診察室に戻りエコーとマンモの画像を見ながら、先生は何かを言いよどんでいるようでした。

「がん……?」

やっとのことで絞り出すと、乳腺病院の女性医師は目を合わせないまま、苦しげな顔でうなずきました。

直後、頭がぐらんとしてめちゃめちゃ重くなって支えられなくなり、デスクに額を付けていました。
気が遠のく直前に見えた医師のデスクのシルバーが、いまも目に焼き付いています。

どっと身体に大量の冷や汗をかいて、目の前が暗くなり、気づくとベッドの上に寝かされていました。


…………



……???



ここは……?



あっ、そうか……私……




私、がんなんだ……。大変なことになっちゃった




ひぃ……


ひぃぃぃぃ……


ひぃぃぃぃぃぃぃ!(>ω<ノ)ノ


がん宣告時の心境は率直に書くとえげつなく暗くなりますもので、心象風景のみで失礼します


………………



…………



放心状態のまま、早く病理検査に出したいと返事をした気がします。ベッドに寝たまま針生検を行いました。
しこりの一部を採る検査のために胸に麻酔を打たれました。麻酔の注射が痛かったかどうかの記憶はないです。

大きな注射器みたいな機械で細胞を吸いとられました。“バチン”とでっかいホッチキスみたいな音がしました。これは麻酔が効いていて無感覚でした。
細胞は左胸からとりました。
しこりは左だけだと思っていたけど、右にもちいさいものがあるそう。左は直径3.5㎝ほど、右は1㎝程度との見立て。

あ、これ、やばいかも……?

よく知らないけど、乳がんのしこりってパチンコ玉みたいな大きさのイメージだったのに……。健康フェスタの「触れる乳がん体験」で、胸の模型をむにむにしたときに触れたしこりもそんな感じの大きさだったし。
それが直径3.5㎝って。でかすぎるやろ。カントリーマアムじゃん。

\(^o^)/オワタ

しかも2個なら、既に転移してるということ……?
もしかして末期とか言われる? どうしよう怖い怖いどうしよう。
異変を感じていたのに、怖がってすぐに病院に行かなかったせいだ。

先生から紹介状を書ける病院のリストを見せてもらいました。もう治療する病院の予約を取るなんて、よほど悪性が濃厚なんだな……。
持病があることもあり、他科と連携した治療が受けられる大学病院を選びました。少し遠いけど、広いコンビニとかあって楽しいし。

死が一気に目の前に迫ってきたようで、めっちゃくちゃつらかったです。
個人的なトラウマである中二の時の修学旅行に勝るとも劣らないつらさです。
がんになった人、みんなこの逃げ場のない発狂しそうな絶望を味わってきたんだろうな……。

どうにか運転して帰宅。恐怖から無性にどこかに隠れたくてたまらなくなり、用事が片付くとベッドにもぐりこみました。隠れてもしょうがないのですが、体が隠れたがる。ねずみになったような気持ち。

毛布に身を隠して横向きに寝ていると、なんか体に強い緊張の力が加わってじわーっと丸くなってくる。あぶられたスルメみたいに。

「きっと強い恐怖を感じたからこうやって内臓を守ろうとしてるんだ。本能だなあ」

とか感心しながら、ひたすらベッドの中で震えていました。

画像はイメージです


体がぎゅうっと押しつぶされるようで、呼吸をしているのに息苦しくてたまらない。眠れない夜が長くてつらすぎる。早く朝が来て欲しいと思うけど、朝が来たところでどうしようもない絶望。

恐怖をいくらかでも打ち消そうと、スマホからお笑いを流しっぱなしで寝ていました。ほんの少しですが気が楽になりました。
翌々日くらいからちょっとだけ正気を取り戻し、入院のための準備を始めました。主にネットショッピングで。この作業に没頭することで発狂しそうな恐怖が多少は紛れてきました。

そんな夜に、追い打ちをかけるように……。

突如、轟音とともに崩れ落ちた古い本棚


うそやん

私がん宣告されたばかりやで……?


地震ではなく、板の歪んだ30年物の本棚に、ぎゅうぎゅうに物をつめこんでいた自分のせいです。
どかさないと部屋から出られもしないので、泣く泣く片付けました。

同居する伯母が帰宅して、話を聞いて笑いながら握り寿司を差し出してくれました。
元気づけようと、さりげなく好物を買ってきてくれたんだろうな。胸がいっぱいであまり入らないけど……と思いながら食べたらおいしかったので全部食べました。

検査から10日後。
細胞検査の結果はやはりがん確定です。
ステージはまだ確定ではないけど「Ⅱ」と推測されるとのこと。

心身を疲弊させる強い恐怖は、ほんの少しだけマシになりながらもつづいていました。どうにも逃げようがないことはたしかです。
この「恐怖」は、生き物が死を身近に感じた時にわきおこるもので、きっとどうしようもないんだ……。そう割り切ろう。
でもどうにかしないと疲労困憊してしまいそうです。そういえば胸に異変を見つけても乳腺科に駆け込まずに、しばらく見てみぬふりをしてしまったのも、この恐怖に負けたせいでした。

怖がりたくないのに怖がったり、好きになってはいけない人を好きになったり、なんか人の心ってそういうままならないものじゃないのかな。知らんけど。
どうにかしてもうちょっと制御できないかなあ。

なので私を苦しめる恐怖は、私の「心とは別もの」だと考えることに。
それは心の片隅に住む“獣”が暴れているのだと想像をふくらませ、「ヘコモッティ」と名付けました。

さらに詳しい設定も付け加えました。オタクすぐ設定考える。
ヘコモッティは大きな灰色の狼で、いつも人に背を向けて、恐怖でブルブル震えながら恨みがましい青い目を背後に向けています。尾は大きくてもふもふ、全身ふっさふさ。
あ、ちょっと愛せそう……。

ヘコモッティ

がんばってイメージを形にしてみました。画力が極めてないのであれですが、本物は骨太でもっふもふです。

このヘコモッティの恐怖を和らげるための「餌」をあたえるイメージで、日々の中に楽しみや嬉しいことを見つけながら過ごしていこうと決めました。
甘いものとか、かわいいものとか、動物とか鳥とかYouTubeとかゲームとかお笑いとか物語とか。私の喜ぶものはヘコモッティの好物です。

これから怒涛の治療の日々が始まるんだと、即ポケットWi-Fiをレンタル。
今後はいつどうなるかわからないと思って、早く友達や知り合いにひとこと連絡をせねばと、すごく気が焦っていた記憶があります。
しかしこれは大きな勘違いだったことを後に知るのですが。


2.大学病院へ



4月。
今月からゾンビランドサガリベンジ放送開始!! 
いえええええぇーーーぃ!!☆.。.:・キタ(ฅ°∀°ฅ)コレ:.。.☆
おっはようございまーーーーす!!



……本来なら、こんなテンションだったでしょうに……。


確定から一週間後。大学病院の外科の初診でした。

いやだーーー! もう怖い怖い怖い。逃げたい。怖や怖や。

がんが見つかってから、毎日この日のことを想像していました。
神妙な面持ちで伯母と並んで静まり返った待合室の椅子に座る自分。
外科の医師はきっと眉間に深いしわの刻まれた白髪混じりの厳格な男性で、カルテを見ながら「どうしてこんなになるまで放っておいたのですか?」と苦々しい顔で叱咤するんだ。何も言えなくなりうつむいて涙をこらえる私……。

そんなイメージを抱きながら、怖くてたまらなかった外科に到着しての感想ですが……。

人、多っ!!!!

えげつなく人が多い。大学病院外科で手術するくらい重い病気の人ってこんなに多いんだ……。
さすが大病院だけあって外科には診察室がいくつもあり、待合室も広いのですが、長いソファには人がぎっしり。コロナのため着席不可の椅子もあるため、ぎゅうぎゅうというほどでもないですが、座れない人がたくさん通路に並んで立っていました。
予約時間を過ぎてもなかなか呼ばれず、人中にいるのが苦手なの体質なものでつらかった。「早く……早く……」と心で叫んでいました。毒の沼に浸かったままHPを削られつづけているみたい。
何時間も待ってヘロヘロでした。悲哀に浸っている余裕はなかった。

ようやく呼ばれて中に入ると、にこやかな中年の男性医師が出迎えてくれました。40歳くらいでしょうか。
優しそうな先生……とりあえずよかった……。

恐怖とコミュ障のためぎくしゃく体を動かし席につくと、主治医となるそのK先生は、笑顔のままおだやかな声でおっしゃいました。

「がんと言われたらショックでしょうが、乳がんは今ではよくある病気です。進行の穏やかなものが多いですので、治療をすればそう命に関わることはないですよ」

神だ……!

昭和、平成、令和と生きてきて私は今、を目の当たりにしている。

めきめき希望がわきました。医師に怒られる想像ばかりしてきたので、まさか優しい笑顔で励ましてもらえるなんて思ってもみなかったです。
この「そう命に関わることはない」は、たぶん私が世界の終わりみたいな表情をしていたので、安心させるためにやや大げさに言ってくださったのだろうと思いました。ありがたい。

さっそく神に手術の予約を入れてもらい(2ヶ月後くらいとの予想)、今後の詳しい検査の話を聞きました。
まず触診をして、脇の下にもしこり状のものをふれるので検査してみましょうと言われました。しこり3つ目!?
右左の胸のしこりと一緒に、脇の下のしこりもその場で採って細胞検査に出すことになりました。

両胸のしこりは太い針で採るので麻酔を使います(針生検)
まず脇の下のしこりから。こちらの検査は針が細いものなので、麻酔なしで取りましょうとのことでした(細胞診)
診察台の上に仰向けに寝転んだとき、心のヘコモッティがいきなり大暴れし始めました。

怖い。細胞を採る痛みが未知で怖い。検査の結果が怖い。転移が怖い。今後のあらゆることが怖い。

診察台に横たわり、脇の下にゆっくり針が侵入してくる痛みを感じながら、気分の悪さをじっと耐えてました。普通の注射の時とは違う、なんというか「臓器的なものを針先でさぐられている感」のある痛みでした。
激痛ではないけど、本能的に嫌なずっくりとした痛み。

長いなあ……。
怖い。検査より結果はもっと怖い。見たくない聞きたくない。もうやだ。
悲鳴をあげてすべてを捨てて逃げ出したい。ここを飛び出して空港に直行して飛行機乗ってエジプトにでも降り立ってナイル川のほとりをゆっくり歩きながら余生を過ごしたい。
目の前が真っ暗になってきました。同時に湧き出す冷や汗……。

左右の胸の細胞を採るのは麻酔で痛みもなく終わりましたが、あまり意識がなかったので、あんまり記憶もないです。

今後の治療の説明の紙に、先生は「ステージⅡ(?)、全摘手術、センチネルリンパ節生検」と書きました。
CTやPETなどで全身の検査をして、もし肝臓や骨や肺や脳など離れたところに転移があれば「ステージⅣ」らしいのですが、胸やリンパまでの転移なら手術での寛解も見込める「ステージⅡのaかb」になるのだそう。
もしリンパに転移があれば、胸だけでなく脇の下のリンパも切除するそうです。そのための「センチネルリンパ節生検」というものを手術中に行うと説明がありました。

「しこりが大きいので乳房全摘になります」と言われましたが、全然オッケー! 
以前からネット上のがん闘病記を読んでは、「もし自分が乳がんになったら、まず全摘手術を第一の選択にして標準治療をする。その他の選択に迫られた時には、命を最優先にしよう」と決めていました。

おしゃれくないし。書店とゲームショップが庭の陰の者だし。片胸を失ってもあまり困ることはなさそう。
ろくになんのケアもしない中年の体はだらしなく、胸や腹のぜい肉なんてだんだんボストロールみたいになってきてるし。うん、いい。
読書とスマホとパソコンとインコの世話だけできればいい。
いまはそれだけで人生ありえないくらい楽しいんだ。死にたくない。

何も知らずにアーモンドを食べるインコ
入院中、待ち受けにしていた写真

長くつづくがん闘病の中で、「自分はどんな人間で、何がしたいのか?」を心に問いかけなくてはならない盤面が多かった気がします。


3.待



4月は細々とした検査を受けるために病院に通いながら順番が来るのを待ち、5月はただ待ちました。

ベッドの空きがなく、手術の順番を待つ人も多いため、初診から手術までは平均で2~3か月待機になるそう。
順番だから仕方がないけど、待っている間はつらいなあ。早く取ってしまいたいな。

最初は、入院のための必要品をネットから取り寄せる行為に集中することで正気を保っていましたが、それもつきてきたある夜、ツイッターでこんな感じの記事を見ました。

「ぬいぐるみをハグすることで、脳内に幸せホルモン(オキシトシン)が分泌されて、恐怖心を和らげる効果がある」

なるほど~。いいこと聞いた。
さっそく近くにあった仕事猫クッションを引き寄せて、抱きしめてみました。

選ばれたのはハイテンションタイム

恐怖が大きすぎて即効果絶大とまではいきませんが、たしかに抱いているとちょっとだけ恐怖が和らいだかも……?

その感覚を味わった直後から、もともと大好きなぬいぐるみを収集することにとりつかれました。かわいいは癒し。かわいいは救い。

片付ける気力はなくひたすらベッドの上(本棚の前)に積んでいた

ニンテンドーswitchも買いました。ソフトもたくさん購入!

購入物リスト。楽しい——!!

ニンテンドーDS本体とドラクエⅣ・Ⅴのリメイクも買いました。
新品のゲームを見てるとうきうきするのは子どもの頃から変わらない。これらで存分に遊べるんだと思うだけで、だいぶん気持ちがやわらぎました。

このころの神経過敏なヘコモッティがしきりに訴えてきました。生産性のあるものからは死の臭いがする。生に密着しているものほど死も連想させると。

あらあら、ないているよ。かわいそうなヘコモッティ

かわいいもの、笑えるもの、くだらないもの。生きていくのに必須でないもので心を満たしたいと。
生活に必要でない娯楽ほど、心を落ちつけてくれました。

4月中に受けた検査の一つ、PET検査がかなりの恐怖でした。全身のどこかにがんがないかを調べる検査です。
どの検査にも共通していますが、受けるのはいいけど結果を聞くのが怖いのです。

PET検査の前の日は眠れず、深夜まで友達とLINE通話をしていました。
明け方に少しだけ寝て、フランシュシュのベストを聴きながら高速を走りました。高所から見渡すビル街の空がどんより曇っていた記憶があります。

検査をするための施設は地下にありました。普段はあまり入ることのない大病院の地下に降りていくのは、ちょっとだけアドベンチャー気分。
「B1」を押してエレベーターを降りていく時の気持ちは、謎の秘密組織のアジト探索に向かうかのようです。

ずっと病院地下はこんなイメージだったけど全然違った。広く明るく綺麗でした


地下の通路は、想像よりずっと明るくて広々としていました。
リネン室や霊安室の表示があり、それから放射線物質を扱う検査を行うためのいろいろな設備があるようでした。人通りは少なく閑散としており、ときおりすれ違うのはほとんどが白衣の医療従事者のみ。たまに患者さんとすれ違うと、「あの人も大きな病気なのかな。がん仲間?」と少し気になる。

「危険!」の標識を横目に見ながら目的の部屋に着き、重い扉を開けて、スリッパに履き替えました。放射線物質を漏らさないように厳重に管理されてるみたい。
まず腕に放射性物質の注射をして、一時間ほどリクライニングのベッドに横になって安静に。スマホも禁止の絶対安静です。

そのあとでいよいよ検査。設備の感じはCTやMRIによく似ていました。台の上に寝たまま金属の釜に入って、しばらくじっとして撮影します。
まず仰向けに寝転んで、体の上で組んだ両手ごと幅広のベルトを巻かれ、ファラオみたいになって釜に入りました。
まったく身動きできないので、どこか猛烈にかゆくなったらどうしようと思いました。

もし体のどこかに転移が見つかったらステージⅣ……手術不可、延命治療……。怖い。

すごく怖いのに眠気と疲労が勝っていたようです。どこからか残酷な天使のテーゼのジャズバージョンが流れてる……と思っているうちにぐっすりと寝てしまってました。
30分ほどで検査は終了しました。そのあと20分ほど休憩で終わりです。

午後からは、全身麻酔の説明を受けて帰りました。
なにやらアメリカンなデザインの3Dアニメキャラが説明してくれるタブレットを見て、そのあとで麻酔科の先生の問診でした。
この日の前には、心電図やら口腔状態のチェックやら手術に向けた検査をクリアーしてきていました。
さらにここでも手厚く説明をしてもらい「これだけ大勢のプロが私一人の手術に関わり、丁寧にやってくれてるのだから大丈夫。安心して任せよう」という気になってきました。

ぬいぐるみ増殖中

すきあらば妄想にふけるオタク脳なので、病院での長い待ち時間や検査の合間に、「この長い廊下でファイアーボールを投げたら気持ちよさそう」とか「病院の廊下をウィザードリィのダンジョンにして、魔物の恐怖でがんの恐怖を忘れてみたい」とか無限に想像していました。
そんな習性も、現実の恐怖を少しだけやわらげてくれていたかもです。

PET検査から5日後、結果を聞きに行きました。
前の晩はまた寝付けずに、明け方4時ごろまでワーネバの素材集めをやっていました。
病院には伯母についてきてもらいました(ショックな結果だとまたぶっ倒れるかもしれないため)

調べた情報によると、患部から離れた所にひとつでも転移があれば(遠隔転移)、既に全身ががんに侵されていると判断されるらしく手術は適応にならないらしい(※ただし長期生存や寛解が不可能ではない。医療の進歩とともにステージⅣでも長期生存できるケースは増えているそうです)
どうかまだ転移がなく、手術できる状態であってほしい。痛い手術や苦しい治療なんでもするからまだ生きていたい。もしあと数年でも生きられるなら、全力で好きなことをやりたい。

PETの検査は問題なしでした。さらに右胸のしこりや脇の下のしこりは良性であることがわかりました。
その他のCTやエコーなど様々な検査も、同様に異常なし。

嬉しい……嬉しいという言葉では言いつくせない。これからは治療をがんばるのみ!
いまのところステージⅡaということで説明を受けました。
決定しているのは左胸全摘手術。脇のリンパへの転移はなさそうですが、腋窩リンパ節も切除になるかどうかは、手術中のセンチネルリンパ節生検の結果を受けて決めるそうです。

術後の治療は、手術時に切除した部位を遺伝子検査に回して、その結果を受けて決めるとのこと。

その時からヘコモッティはだいぶんおだやかになりました
とはいえ、生まれて初めての全身麻酔と切除手術のことを考えるとまだ恐ろしがっている模様。
乳房の全切除、どれだけ痛いものなんだろう?

だけど不幸だという実感は薄かったです。心が折れそうなときは「でも中高時代よりマシじゃん」と己を励ましました。
思い返せば学生の頃は毎朝「学校燃えねぇかな」と思ってたし、社会人になってからは毎朝「職場に隕石落ちねぇかな」と思っていました。
人生がどうにか楽しくなってきたのは30歳を超えてからでした。
あの暗黒時代でさえも乗り切ったのだ。

恐怖がわいてくると同時に、このくらいの災いで私をへこませようと思うな、という怒りもわいてきました。がん細胞野郎め!
できるできる。がんばれる。

「チチをもげ」を口ずさみながら、ボストンバッグに入院の荷物をつめこみました。

ゾンサガでは、メンバーの一人であるゆうぎり姐さんの過去編が放送されました。ずっと見たかったやつ! 
すごくよかったです。やっぱりゾンサガはおもしろいなあ。
ベスト盤で繰り返し聴いていた大好きな曲「佐賀事変」が本編で流れることを心待ちにしていたのですが、その夢もかなった。生きててよかった!
リリィのパラッポはかわいすぎて、見ているとあらゆる苦痛が消えうせるので繰り返し見ていました。やっぱりかわいいは癒しだわ。

6月に入った頃には、ぬいぐるみはかなりの数になりました。
ベッドの上に並べて、周囲にも並べて、狭い空間で細くなって寝ていました。私を守ってくれる子たち。兵馬俑のようで頼もしい。

具現化されたわが狂気

当時はわりと平静を保っているつもりでしたが、あとからこの数のぬいぐるみを見ると、だいぶん頭おかしかったんだなあと思います。
これらぬいぐるみ(+人形や動物フィギュアなど)に囲まれて寝てました。

いぇーい
和室で記念撮影
なんとなく座敷童子の出る旅館を思い出す光景
かわいい身の回り品もぞくぞく増加。買う喜びで恐怖を軽減していたっぽい。いわばフバーハ
病室で食べるおやつも用意


4.入院


病室についてきた応援団


手術の二日前に入院しました。
コミュ障ゴミムシなので、4人もの大部屋は緊張するなあ……と思っていたのですが、予想に反して病室はとても静かでした。
感染症予防のためおしゃべりが推奨されていなかったこともありますが、抗がん剤治療などで会話をする元気のない方もいました。がん闘病の過酷さを思いしらされました。
文庫本のページをめくる音さえ響くほどの静寂。息を殺しながら、ボストンバッグのチャックをゆっくりゆっくり開けた記憶です。

次の日、センチネルリンパ節検査のための前準備があり、また地下の秘密施設に行きました。
センチネルリンパ節とは、乳管の外に流れ出た乳がん細胞が最初にたどりつくリンパ節のことだそうです。注射で放射線を含む物質を流し、その集まり具合で術中にセンチネルリンパ節を見つけ出して、がんがリンパ転移をしているのかどうかを調べるのだとか。
転移があれば腋窩リンパ節も切除、転移が見られなければ乳房全摘のみ。

主治医も注射に付き添ってくれた看護師さんも口をそろえて「この注射はかなり痛いです」と言う。怖い……。乳輪の周囲に3か所も注射をするというだけで怖いのに。
ネットで見ていると痛みには個人差があって、痛くなかったという人もいましたが、かなり痛かったという意見が多め。大の大人なのに号泣したという人もいる。ビビる。

台の上に寝転びます(※当時のメモに『両手を上にあげて動かないように縛られる。魔物に囚われたエッチなお姫様みたいなポーズ』と記載あり。でもどこを縛ったのか失念)
看護師さんが「手を握っていましょうか?」と言ってくれたので、甘えてお願いしました。
やがて針が刺されて……。

いたたたたたたたいたいぃ

なにこれ、すごい。注射ってレベルじゃない。憎しみをこめて体の内部をつねられているみたい。
「敏感な部分ですから痛いかも」とも聞いてたけど、そういう皮膚辺りのチクリとした痛みじゃない。筋肉注射に近いような、内部にどずーんとくる痛み。しかし注射にしては痛すぎる。
体感3秒くらいでした。それが3回。痛みは激強でも、ほんの一瞬だったので我慢できました。
あと手を握っていてくれた看護師さんが、1回終わるごとに「休憩をはさみますか? 強いですねぇ」とほめてくれたのが心強かったです。中年だって甘やかされたいのです。

人生で味わった痛みランキングでも結構上位だったかもしれないです。

麻酔が効かぬまま歯の神経を治療>砂場の角で膝を強打>センチネルリンパ節注射>指の骨折>細長い蜂に刺された

個人的な感覚だとこう。

手術後の傷跡がどのくらい痛いのかも、かなり個人差が大きいようです。でも開腹手術に比べると、身体へのダメージは少なく、回復も早いみたい。
とりあえず痛みが強い時は、我慢せずにどんどん痛み止めをもらおうと、固く決意しました。


5.手術


次の日。
いよいよ朝8時半から手術開始予定です。
全身麻酔も大きな手術も初めてで怖いけど、想像していたよりは恐怖は強くなかったです。
もうここまで来たら身を任せるしかないと開き直ってました。

この時のために、繰り返し手術室の扉をくぐるイメトレもやっていました。

「あー、ここが手術室かー。ドラマで見たとおりやな」

何度想像しても、陣内智則の姿と声でコントのように再生されるのですが。

左胸の全摘手術って、想像ではなんとなく“稲刈り”のように、乳房の根元からからぶちっと切除するイメージでした。
医師の説明によるとそうではなくて、乳首の周囲を横向きに“細長い猫の目状”に切開し、中から患部を取り出す。そして最後に皮を引っ張り合わせて縫うような感じらしい。
皮膚移植などはなし。やったね。

手術の説明用資料


採血を8本採りました。8本!? 人生においての最多採血本数でした。
検査用が3本、何かあった時の輸血用が2本、研究用が3本だそうです。

手術服に着替えて、使い捨てパンツを履いて、血栓防止のためのすごい締め付けてくるタイツを履きました。
伯母が家から来てくれて、手術室の前までついてきてくれました。初対面の医師が看護師さんと一緒に迎えに来てくれて、みんなで談笑しながら和やかな雰囲気で歩いて向かいました。
別の階からストレッチャーで運ばれてきた女性も同時に手術らしく、家族に見送られていました。
3階の手術室の扉は見えないガラス製でした。なんとなくステンレスっぽいシルバーの扉だと思いこんでイメトレしてた。

扉の先は、思い描いていた手術室内部とは全然違っていました。広いー!
大きな広間があり、何十名ものスタッフの方が働いていました。

広間は通路も兼ねていて、つきあたりで左に細く折れていました。この道沿いに計20のちいさな手術室への入り口があるようでした。 
辺りを見回すと、壁など要所はほとんどステンレスっぽい銀で覆われていて、なんとなく昔バイトしていたパン工場や食品加工工場を思い出しました。
若い医療従事者の方が大勢いて、医師の白衣とは違うポロシャツ風の制服に黒いパンツ姿といういでたち。誰もがヘッドキャップで髪を覆っているのも、食品加工工場でバイトをしていた頃を思い出します。
清潔を追求したら食品も医療も似た感じになるのかな。

学生のようにも見えるほど若い女性スタッフさんたちが、ほがらかに話しかけくれました。手術する側を確認して左手にマジックで〇をつけてもらい、リストバンドにも「左」と記入。血圧などを測ってヘッドキャップを付けました。
手術室に入ったところから、麻酔で意識を失うまでの間、ずっと誰かが緊張をほぐすように笑顔で語りかけてきてくれて、だいぶんリラックスできました。
毎日毎日、日に何度も繰り返している作業だろうに、患者にとっては人生の大勝負の日だということを慮ってくれているのがありがたいです。

通路を進んで行き、ついに手術を行う小部屋へ。中に入ると大勢の人がいました。そんなに大きくない部屋に10人以上はいたかと。主治医もいたそうだけど気がつかなかったほど混んでました。
滅多に入れる所じゃないし、しっかり観察して話のタネにしようと必死でした。でもその割に内部の様子はライトがでかかったことくらいしか思い出せない。

緑のベッドに上がりました。手術台は意外と狭い。たぶん歯医者の椅子より狭いんじゃないだろうか。ほぼ体にぴったりに近い。
下は低反発の快眠マットみたいにやわらかくて、ずんもりと軽く沈むような感じ。寝心地よさそう。
心電図や血圧の機械などをつけられました。

患部が左なので右手の甲に点滴をとります。太い針なのか、なかなかとれない模様。血管を探られるのが痛い。何度か抜いてはやり直し。心電図がピピピピと鳴って恥ずかしい。やり直して入ったのでホッとする。
針を抜いて血管内にチューブのみ残したと聞きました。上からテープを幾重にも貼ります。絶対に抜けてはいけない点滴なんだろうなと見てわかるくらい厳重に。

酸素マスクを顔に被せて、深呼吸をするように言われました。
指示通りにやったら「いい感じです」とほめられました。えへへ。

いよいよ麻酔というとき、助手の方々の掛け声があがりはじめました。
「酸素、○○」「血圧、○○」のように、それぞれの管理している数値を読みあげているみたい。
先ほどまで談笑していた時のものとは打って変わって、交差する声が、かなり緊迫したシステマティックなものになっていく。
なんとなくSFアニメの指令室を思い出すなあと思いながら聞いてました。

「シンクロ率41.3%」

「主電源接続完了」

「発進準備!」

みたいな雰囲気の声。かっこいい。いよいよ感が高まっていく。

そのうちに点滴からぼんやりする薬を入れて?、つづいて麻酔薬を入れると聞いた気がします(ここ曖昧。ぼんやり薬=麻酔薬かも)

あまり効いてないかもと不安になって周囲を見回していたら、全身がこころもち熱いような、ずーんと沈むような重い感じになってきて……。

背中とマットの接地面が重くなってきたかも……とか思っていたらあっという間に意識が……。





(暗闇)






……?


……あ、寝てた……? 手術は……。






もがー




口になんかつまってる……!? 呼吸ができない……! 苦しい! 

半覚醒の頭でパニックになりかけたとき、ずおおおおっとなにか長いものがのどの奥からひっこ抜かれる感触があり、息を吸うことができました。よかった。
眠っている間に装着されていた気管挿管のチューブが、目覚めた直後に抜かれた模様でした。
目を開けると、誰かが「終わりましたよー」と言ったので、終わったのかと思いました。
噂に聞くほど「ワープ」ではなかったものの、よく寝たなあという感じでした。

痛みは……? 
あ、ちゃんと痛い。左胸がずきずき痛い。

痛むけど、想像していたほどでもないかな……。まだ我慢できそう。
ひとまず申し出はせずに、様子を見ることにしました。
胸の横、脇腹辺りにドレーンの管も入ってるみたい。目だけ動かして自分の状態を見ると、どうやら全裸に近い状態で、胸だけなにか布的なものが巻かれている模様(この辺り曖昧)

そして胸に腰痛コルセットみたいなのをぎゅっと巻いて、手術着も着せてもらって、持ち上げれられてストレッチャーにのせられたようでした。
そのまま部屋に向います。この時点で麻酔は完全にさめて頭もはっきりしていました。
手術室から廊下に出たところで伯母と会い、「リンパ転移はなかったので腋窩リンパ節郭清はしなかったってよ」と教えてもらいました。よかったー!
痛みはこの時がピークでした。病室に戻ると痛み止めの点滴を入れてもらえて、1時間ほどすると痛みは和らいでいました。

手術が決まってからずっと、術後の痛みに怯えていたけど、意外と痛くないな……。
先生がよほどうまく切ってくださったのかな? リラックスしていたから痛み止めがよく効いた? 理由はわからないけどラッキーです。
胸部のバンドをギューッと巻かれていて感覚が鈍っているせいもあるだろうけど、それにしてもあまりに痛くない。痛み止め点滴さん大好き!
いつでも追加の痛み止めの錠剤を出すと言われていたけど、その後も一度も使わずにすみました。

朝8時頃に病室を出て、帰ってきたのは12時頃でした。
右手の甲は点滴につながれて、尿管が入っていて、心電図も付けられていて、脚には血栓防止のためシュコシュコと空気を送ってマッサージをしてくれる機械がつけられていて(気持ちいい)身動きができない。
手術前から主治医と麻酔科の先生にお願いして、術後すぐにMP3プレイヤーでお笑いを聴きたいと頼んでいたので、すぐに叶えてもらいました。

スマホを見たり、音楽プレイヤーを聞いたりできるので気晴らしになって、ひたすらじーっと寝て待機するのもさほど苦でもない。
身体をわずかに動かすたびに、尿管が違和感とともに鈍痛を伝えてくるのは気持ち悪い。

15時過ぎ頃に、看護師さんに支えられるようにしてトイレまでよちよち歩くテスト。歩けたので尿管を抜いてもらえました。
痛いのかと身構えたけど、痛みはさほどなく一瞬だけいやな違和感があったのみ。
尿管が取れると、とても体が楽になりました。

すぐに傷を見ました。左胸は失われてちいさな膨らみとなっており、真横にごつい黒い線が走っています。そこに交差するように無数の黒線。
ザ・傷って感じです。もっと痛々しい感じかと思っていたら、いさぎよい真一文字の傷。私が武士なら向こう傷はかくあるべしと喜んでいたでしょう。

傷の周囲から脇の辺りまで、感覚が鈍くて変な感じでした。これは現在も鈍いままです。歯科治療の時に部分麻酔をかけた頬みたいな感じ。

夕方、回診に来た主治医と医師の方々に「綺麗に縫ってくださってありがとうございます」とお礼を言ったら、みんな安堵したように笑っていました。

この日は軽い睡眠の薬をもらったけど、日頃から昼夜逆転気味なのもありほとんど眠れませんでした。
次の日の朝までの長い拘束時間が、非常に辛いという事前情報は聞いていました。それなのに苦痛ではなくすごせたのは、スマホやMP3プレイヤーのおかげでした。お笑いや好きな音楽、友達との会話。
ネット環境を用意しておいてよかったー!


6.術後



次の日の朝、ようやく初めての水分と食事の許可が出ました。嬉しい。とくに2日ぶりの水分! 
食事がとれたので、右手の甲の点滴を抜いてもらえました。スマホが打ちにくいし、トイレも行きづらかったので嬉しい。
点滴を抜く時に、血管の中から3㎝くらいの太い魚の骨みたいな白いチューブが現れて驚きました。抜いた痕がずきずき痛むが10分くらいで治まってくる。

ここから入院中の日々は、寝る前にもらっていた睡眠導入剤の副作用か、長い時間を寝て過ごしていた気がします。
MP3プレーヤーを聴いたり、スマホでAmongUs実況動画を見るのに夢中になったりしていました。1日1日があっという間に終わりました。
運動した方が傷の治りが早いと聞いて、手術翌日から毎日、8階の病室から1階のコンビニまで散歩して買い物を楽しんでました。オロナミンCとやわらかいかくんと、ロールケーキを買うのがマイブームでした。

手術した翌々日には、ゾンサガRの11話を見て深く感動して、少数の友達とだけつながっているツイッターの鍵垢に長文感想を連投したりしていました。

前々日に乳房全摘したとは思えないキモオタテンション

この頃、めためたゾンサガRのOP主題歌の「大河よ、共に泣いてくれ」をヘビロテしまくってました。元気の出る神曲ですよ!!
1期OPの「徒花ネクロマンシー」がよすぎたので、まさかそれを超えるほど大好きな曲になるとは思わなかった。死してなお情熱を燃やす彼女たちの生きざまが一直線に伝わってきて胸が熱くなります。
さくらちゃんや純子ちゃんの「あー!」ってところを聞くと、なんかもう胸熱でこっちも「あー!」ってなる。

2期は1期より「命ある人との違い」に焦点を当てたような話が多い。死者ゆえに将来に希望を持つことは許されず「現在」に情熱をぶつけるフランシュシュの姿が、この先のがんの転移のことを考えると怖くてたまらない自分と重なる。
フランシュシュは未来に怯えてうち沈んだりせず、いまを楽しんでいるから輝いてるんだ。私もそうしたいなあ。

そして、思いました。

なんか、意外と乳がんの入院生活向いてるな。想像していたよりずっと楽だな。
音楽を聴きながら好きなだけ寝て、スマホで動画を見たり文章をつづったり友達と会話したりして、運ばれてくるご飯を食べて、気が向いたら自動販売機やコンビニになにかを買いに行く。カフェやファミレスもある。
私が人生でしたいこと、ほぼここでできてしまう。

人中と日光が苦手なので、家にいても特別な用事がない限り、遮光カーテンを閉め切った部屋でベッドに寝転んで、パソコンとスマホに向かうだけの日常。
もともとの生態が成人女性というよりダニに近いので、病室にいてもさして不便を感じませんでした。
伯母に世話を頼んでいるインコたちに早く会いたいくらい。

もうすぐ20歳を迎えるロディ


伯母が慣れない写メを送ってくれました。

誘拐犯から送られてきた生存確認?


身体の外にぶら下げていたこぶし大の容器のついたドレーンには、赤い体液が貯まっていました。

かわいいポシェットに入っているドレーン

最初は鮮血の色ですが、これがだんだんと澄んできたら退院できるそう。

9日目に主治医から退院の許可が出て、ドレーンを取り付けている糸を切って抜いてもらいました。

胸の横(脇の下のほう)から管が出ていたのに、鎖骨に近い辺りから「ズルズル……」と蛇が這うようにチューブが抜けていく感覚があって驚きました。15㎝ほど入っていたらしい。
すっきりしたー。これでベッドの上で好きなだけごろんごろんできる。

入院から10日目に退院。
主治医も他の先生方も看護師さんも、常に立ち止まる暇もないくらい忙しそうでしたが、いつも優しく対応していただいて感謝することしきりです。

10日間の入院代+手術代です。想像していたよりは安かったです
他にかかった費用では、PET検査が高かったです。たしか5万円くらい


退院の日、ゾンサガRも最終回だったので、勝手に運命を感じていました。
毎週木曜日が楽しみだったし、メンタル面ですごく闘病を支えてもらったなあ。

実は入院中に、自分へのご褒美にあるものを注文していました。


おお……!!
ねんどろいど ゾンビランドサガ「源さくら」! 愛くるしい!



7.通院



術後一ヶ月。
傷の様子を見てもらって、病理検査の結果を聞きました。今後の「再発・転移」の予測をたてて、予防のための治療法を決めるための検査です。
乳がんの性質は100人いれば100通りあり、それぞれ違うそうですが、だいたい大きく4つのタイプに分けられるそうです。その性質によって治療法も異なるとのこと。

他のがんのことはよくわかりませんが、乳がんは全身病ともいわれるそうです。
ある程度進行したがんでは(浸潤がん)、血管やリンパにのってがんの“種”みたいなものが全身に運ばれていく。そして、それが数か月後か数年後か、いつか開花してしまい「転移」という形になる。
その可能性を少しでも下げるために、ステージ0のごく初期のもの(非浸潤がん)を除き、術後10年にわたり転移を防ぐ治療をしなくてはなりません。

術前に「3.5㎝」と予想されていた腫瘍は、実際に取ってみたら「2.2㎝」だったそう。そんなに変わることがあるんだ……!

私のがんの転移リスクは「低~中程度」という結果でした。
病理検査の結果から推測される10年生存率は90%だそうです。乳がんステージⅡのほぼ平均値です。
NHK がんの種類・ステージ別のデータ詳細  ※2009年にがんと診断された患者のデータ)

10年が90%というのは、がんにしてはかなり高い生存率で、それはとても喜ばしいことです。
でも命に関わること。不安はつきません。10年以内にこの病気で命を落とす確率が10%なら、転移をする確率はもうちょっと高いでしょう。

主治医が提示した治療は「女性ホルモンを抑える飲み薬」のみでした。
病理検査から推測するに、ホルモン治療が非常によく効くタイプの乳がんで、反対に化学療法(抗がん剤)の効果は高くないと見込まれるとのことでした。

すごく迷いました。体に負担が大きくても、効果が薄くても、わずかでも転移の可能性を減らせるなら、化学療法をやりたい気もしました。
でもデメリットも大きい。体へのダメージ、金銭的な負担……迷う迷うどうしよう……。
主治医と話し合いを重ね、家族ともじっくり相談しました。
結局、化学療法はなしで、ホルモン療法のみにすると決めました。

大学病院に行く途中で見かけた白猫と黒猫


8.まとめ


桜を見ると、がん患者になって1年経ったんだなあと実感


手術から1年近く経ちました。現在は3か月に1回、血液検査で腫瘍マーカーのチェックをして、転移の有無を調べています。加えて、術後1年の時にはCTを撮って検査をします。
検査結果を聞くのは毎度怖くて仕方がないですが、いまはせっかく生きているのなら楽しく生きたいという気持ちが強く、悪いことはあまり考えないようにしています。

いまはタモキシフェン(抗ホルモン剤)を服用しています。乳がんの再発リスクを軽減できますが、代わりに子宮内膜がんの確率が微増するそうです。
半年に1度、婦人科でこちらも検診を受けています。
この検査は痛いし結果が怖いしで気が重いけど、がんの早期発見の大事さは思い知ったので、もう逃げずにちゃんと行こうと思います。

がんを宣告された時は「こんな社会のはみ出し者の弱小雑魚オタクに、過酷だと聞くがん闘病なんてできるはずがない」と絶望しました。
でも実際は意外と逆でした。室内でじっと孤独と恐怖に耐える日々。インドアひきこもりオタクだからこそ、救われた盤面の方が多かったのです。

ちいさな楽しみを集めて大きな不安に立ち向かっていると感じた時、「ラスボス前でかつての仲間たちが集合」する図を思い出してました(BGM:FFⅣゼロムス戦)

でも自分だけではどうにもならなかったことで、これまで想像していた以上に多くの方々のおかげで生きているんだなあと実感もしました。
身体の傷跡も、私を救おうとしてくれた人たちがいる証拠だと思うと、愛おしい気がします。

ヘコモッティはときどき震えていますが、大暴れして困らせることはなくなっています。
いつリミットがくるわからない時限爆弾を体内に抱えている気持ちはありますが、1年前からすると信じられないほど平穏に暮らしています。


病気が見つかる前に行った佐賀県唐津。ゾンサガの聖地
落ち着いたら絶対にまた行く~!
やあ
スマホかじりたい?



フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com

ガーリー素材 https://girlysozai.com

怨霊フォント http://www.ankokukoubou.com/font/onryou.htm

うずらフォント http://azukifont.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?