2018年10月公開小説表紙_決定_

追想による救済―短編『夜の花嫁』あとがき―


お久しぶりです。
自己体験作家、齋藤迅です。

遅くなってしまいましたが今回は10月12日に公開した短編『夜の花嫁』のあとがきを書いていこうと思います。


あとがきの前にひとつだけ。


「自己体験作家」の言葉通り、今回も僕の体験したことがもとになっていることはいうまでもありません。
ただ、今回まず断っておきたいのは大分脚色をした物語になっているということ。
なんでこんなこと言うのかというと、読んだ方はおわかりかと思います。

まあ、なんというか、今回は性的な描写がね。

「お前彼女の唾液飲むの?」

とかめちゃくちゃ聞かれるようなのがありましたからね。
僕の方は兎も角、モデルとなった女性の為にもこれだけは宣言させていただきます。


DVが壊した2人の人間。



さて、それでは本題に入りましょう。
今回の作品はDVというものがひとつのキーワードになっています。

確認しておくと、「DV(=Domestic Violence)」とは簡単に「家庭内暴力」という意味です。

快活だった少女「曜」が家庭内暴力を受けたことをきっかけに、段々と性と死に狂っていく今回のストーリー。
恐らく、現代社会においてありふれたことなのでしょう。

ただ、ありふれていることは悲劇に成り得ないという言説には接続しない。
ありふれたこの出来事は、どこまでいっても悲劇です。


僕が中学2年生の頃にお付き合いさせていただいたとある少女が、そのような事件に巻き込まれたこと。
帰り道、突然走り出していなくなってしまったその少女を捜し回り、何とか説得して家まで連れて帰ったこと。
そしていつしか僕と彼女の関係が共依存的なものになってしまったこと。


これらはすべて実際に起こった出来事であり、僕の人生の中でもとりわけ大きく、僕に影響した出来事でした。

幼い日の僕は、『夜の花嫁』の「僕」と同様、大人に頼るのが下手で自分で何とかできると過信していた。
世間を知らないことがあれ程罪であったことは、多分他にないんじゃないかと思います。



そして、僕はこの出来事について、ずっと後悔を抱えて生きてきました

一時期はその感情がただのヒロイックシンドローム的な何かじゃないか。偽善、或いは自己に対する慰めではないかと考えていました。

2017年に書いていた掌編小説に『背負う』というものがあります。
これは正に、僕のその後悔について書いたものであり、「あの子に殺されるとしたら、それは当然の報いなのだろう」と、そう思うまでには思い詰めていた時期の作品です。

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ただ、転機がありました。

2017年9月10日、父が新たな奥さんを迎える結婚式を挙げたその日。
友人のライブにその彼女が来るという情報を得た僕は、その場所に行きます。
事前に話をとしていた彼女との共通の友人の助けもあり、僕は彼女と再会。
謝罪をして幾らか話をしました。

そこで聞いた僕と別れてからの彼女の人生は、僕に新たな考えを授けました。
彼女の壮絶としか言いようがない人生は、傍観者的人生を送ってきた僕が想像すらしてこなかったようなもので、本音を言えばより罪悪感を覚えたりもした。

ただ一番大きく感じたのは、僕が思っていたとおり、あの出来事は恐らく彼女の人生を大きくねじ曲げた(その結果の今の人生が、彼女にとって良いものか悪いものかという議論は今回はしないでおきたいと思います)。

そして同時に、僕のことも狂わせていたのだ、ということです。



罪悪感は果たして、愛になり得るだろうか。


自身が狂っていたことに自覚的になった僕は、あの当時のことを日常的に思い返すようになりました。

僕が抱えてきた感情が一体何だったのか。
この疑問は「罪悪感とは果たして、愛になり得るだろうか」というあの言葉に託され、物語の軸を作りました。

ここでの「罪悪感」とは、僕が彼女の人生を狂わせる原因の一端を担ってしまったのではないかと思うからです。
僕の立ち回りがもう少しうまければ、もっと状況は良くなっていたかもしれない。
共依存的な関係が、その事件以前の彼女の人格を殺してしまったのではないか。


無論、この話は彼女本人によって一笑に付されてしまいましたが。
僕の中では今でもぐるぐる回り続ける思いです。

抱えてきた感情は恐らく、様々に変化しています。
今回の作品ではその変遷については描かれていませんが、その感情はずっと同じだったなんてことはあり得ない。


そして、こういう「後悔」を起点とした感情というものは、得てして人の心に延々と住み着くものだと考えています。



ところで皆さん、今回の作品は「回想」という形で始まり、過去の「僕」に助言を授ける男が出てきますよね。



後悔の残る過去を思うとき、僕は「あの時こうしていれば」という都合の良い改変をしたりします。
もちろんそれはただの想像であり、結末――今ここに在る事実は変化しようがありません。

しかしその行為は一種の慰め程度にはなり得る。
だから僕はいつも、その行為を繰り返してしまいます。

この作品には幾つか意味と意図がありますが、「読んだ人が後悔のある過去を回想し、何かの救いを見つけることができれば」というのが、その一つです。

『背負う』を公開したときに、僕は「後悔とは、あなたがあなたを赦せないということだ」と書きました。

じゃあ、人は自分の事を赦せないままに生きるしかないのか。
それはきっと違う。
過去を見つめ直し、自分の中でどうにか片をつけなきゃならない。
妥協と苦しみを受け入れ、その先に行くしかない。
そしてそれは、限りなく不可能に近い場所にあるせいで不可能に思えるけれども、決して不可能ではないと思います。


『夜の花嫁』で「僕」は救いのない終わり方をしています。
一度した失敗を回想という形で追体験する。
どうしようもない後悔を抱えた「僕」が今後、どのような人生を送るかということについては想像に難くないでしょう。



でも、それを外側から見ている僕たちには、「僕」とは別の生き方をすることがまだできるかもしれない。
今回の作品から、そう思ってくれる方がいたら良いなと思っています。




さて、今回はここまで。
暗い話が続いてしまったので、来月は気持ち明るめの話を書こうかと思っています。
父子家庭だった僕の家庭。僕と父の関係を書いていこうかと思います。

まあ、僕の体験を基にしているのでめちゃくちゃハッピーなんてことにはならないでしょうが、それでも今月や先月よりかは明るいかなって。

来月の話を書くために、親との関係についての話を聞かせて下さる方を募集しています。
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