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スコラ・カントルム・バジリエンシスという学校

自己紹介記事でも書いたとおり、私はスイスバーゼル(Basel)という町に住んでいます。

バーゼルは、ライン川沿いに古くから開けた町で、現在に至るまで商工業が盛んです。ロッシュノヴァルティスといった、有名な製薬会社が拠点を構えていることでも一般に知られています。
時計や宝石の見本市(バーゼル・ワールド)も有名ですね。
さらにバーゼルは、フランスとドイツの両方ともに国境を接していて、その「三国国境」はなんと、川の中にあるんですよ。下の地図でご確認下さい。

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コロナ禍になる前は、国境を楽々と移動していました。自転車に乗ってドイツに行き、ついでにフランスに寄ってからスイスに帰ってくる、なんてことも簡単にできていました。
近くにも空港もあって、概してヨーロッパの各地への交通の便がとても良いところです。

そんなバーゼルですが、この町にはヨーロッパの古い音楽の研究・教育機関が、いち早く置かれたことでも世界的に知られています。それこそ、今回私がご紹介するスコラ・カントルム・バジリエンシス(Schola Cantorum Basiliensis)です!

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旧市街の一角に、この学校はあります。バーゼルにいくつかある音楽大学の中でも、ここは古い音楽の理論と実践に特化した専門学校で、正式の校名がラテン語になっているのも、そういういわれがあります。
「バジリエンシス」とは「バーゼルの」という意味ですけども、それだとやや分かりにくいので、地名を格変化させず最初に置き、「バーゼル・スコラ・カントルム」と一般には呼ばれています。さらに略して、単に「スコラ」と言うことも多いので、この記事は以下「スコラ」で統一します。

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↑ スコラの校長室(左)と、教務課(右)。

私はこのスコラで学ぶため、現地での入試を経て、2008年の秋にバーゼルに移ってきました。
日本ではちょうど今が新年度、かつ学期始まりの時期にあたりますが、スイスの大学の年度は普通、9月始まりです。
スコラが属しているバーゼルの音楽院は、正式にはMusik-Akademie Basel と言い、いわば「市立」の大学です。しかしスコラは設立当初「私立」で、ごくごく小さな学校でした。

その設立者の銅像が、スコラの建物の入り口の真横にあって、今日も行き来する学生たちに、睨みをきかせて(?)います。

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↑ パウル・ザッハー。ストラヴィンスキーやヒンデミット、バルトークなど、20世紀の著名な作曲家たちに作曲を依頼し、指揮・初演を次々行った人物です(お金持ちっていいなあ・・・)。
この人がスコラの初代校長。我々はとにかく足を向けて寝られません!

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↑ スコラの校長室がある建物は、もうしばらくすると(4月後半)、こうして藤の花で綺麗に彩られます。これが見られるのと、スコラの入試の時期がほぼ重なりますが、今年の入試もまた去年と同じく、オンライン方式に。

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↑ これは、スコラの中庭にある女神の石像で、私が勝手に「スコラの女神さま」と呼んでいる、霊験あらたかな存在(こう書くと急に日本ぽくなった・・)です。一度大修理を受けて、近年元の場所に戻って来られました。
後ろの建物の下の階には、スコラ専用の教室がいくつか並んでいて、学生の頃はよく、夜遅くまで中で練習をしたものです。

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↑ コロナ禍により、学内でのマスク着用が義務になったとき、この女神像もマスクをさせられました。今はさすがにしていませんが・・これは去年の夏に撮った写真。

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↑ 女神像の後ろに見えていた、建物の入り口の上にあるバーゼル音楽院のロゴは、角笛を吹いている天使をかたどったもの。私立の学校だったスコラが、市立のバーゼル音楽院と統合されたのが1954年なので、これが設置されたのはそれから2年後ということになります。

(注:スコラは現在、各教室への外部者の立ち入りを厳しく制限しています。以下の教室の内部の写真は、一連のコロナ禍の前に撮影したものです)

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スコラのほとんどの学内演奏会は、一般にも公開されています。これはヴィオラ・ダ・ガンバのクラスの発表会が行われたときのもので、楽器がごろごろ転がっていますね。
スコラの大きな教室には、複数の鍵盤楽器が置かれていることが多く、ここにはチェンバロ(ウィリアム・ダウド製作)、フォルテピアノ、そしてスコラの卒業生が自作した(!)イタリアンモデルのオルガンが、常時備えられています。

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↑ 別の教室にあるオルガンです。これはなんと、18世紀後半に造られたオリジナルの楽器です!しかもちゃんと音が出ます。本体に風を送る装置(ふいご)を、下のペダルを踏んで操作するようになっています。

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↑ リュート科の学生として、私がレッスンのために5年間通った部屋です。今は下のカーペットは取り外されて、響きが良くなりました。
よく見ると、リュートの歴史の始めの方でもご紹介した、聖母マリアのカンティガ集に出てくる初期のリュートの絵が飾ってあります。
この教室では特に、思い出がたくさんあります!

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↑ その向かいの教室。かつて声楽の教官が使っていた部屋で、最初足を踏み入れたときに、京都・広隆寺の弥勒菩薩の写真があって、びっくりしました。理由を聞いたら、単にご本人がこの仏像が大好きだから、というもの。
この教官(既に退官済み)に限らず、スコラには昔から親日家の教官たちが多く、これまでに日本人の演奏家を多く輩出しています。

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↑ 年代もののトイレ。便器が陶器製です。
スコラの校長室がある建物に、たった2台だけ存在しています。同じ棟には新しいタイプのトイレもあるのに、「用を足すにはやっぱりこれに限る!」といって、選んでしていた人がいたとかいなかったとか。

さて、最後にとっておきの場所をご紹介。

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↑ 同じ敷地内にある、バーゼルの音大の図書館です。
私がスコラに入学したての頃は、スコラ専属の図書館というのがあって、利用可能な時間が短くて大変でした。それがバーゼル音大の図書館と統合の上、この新しい建物に移ってから、一気に使い勝手が良くなりました。

何しろ、楽譜・書籍・雑誌類のほか、CDやレコードの所蔵量も、スイスの音大、いやヨーロッパにある音大全体で見ても群を抜いて充実しているので、私は頻繁に利用させてもらっています。
というより、学生時代はほとんどここに「棲んで」いました・・

さて今回は、私の母校の紹介でした。

個人的に、スコラでの思い出やエピソードには事欠きません
この学校で学んだことが、今では自分の活動の核の一つになっています。
また折りにふれて、そのようなこともこちらで書ければと思います。

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