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三峯神社を訪ねた、徒歩で。

疫病が蔓延し、外界との隔離生活を強いられている202X年の日本。

私も御多分に洩れず、出社勤務ではなく在宅でのリモートワークをしている。
はじめのうちは新しい文化のオンラインミーティングにもワクワクしたものだが、この頃、もうそんな気持ちもおきない。

私は吉祥寺のワンルームマンションで一人暮らしをしていて、住宅の構造上、仕事場としきりなくベッドがある。
作業が煮詰まると、テーブルのパソコンはそのままに、ベッドでゴロゴロしながらソシャゲをしてしまう。

最初は、集中力の欠如か、持ち前の怠惰な性癖だろうと、思っていたが、そのサボり様は、どうも度が過ぎていた。
自分のタスクの期限が守れず、大事なミーティングに参加できず、ついに連絡を返すことすらままならなくなった。

「やらなきゃ、やらないと、なんでやれないんだ、どうしてやらなかったんだろう。」

そんな思いが、頭の中でグルグルと回り、自己嫌悪に陥るが、体は硬直し、何日も眠れぬ日々が続き、しかし指先だけは元気で、暗くした部屋のベッドで布団にもぐりこみながらソシャゲの中の敵をダウンさせ続けていた。

仕事量が圧倒的に減った私に、とうとう減給処分が下り、すぐに生活は困窮しはじめた。

それでも、仕事に取り組む意欲が湧かない。
7個当てはまったらうつ病かも、というチェックリストは6個目をチェックしかけて途中でやめた。

ああ、ダメかもなと思った。
具体的に何がということではないが、ダメかもなと。

そんな折、ボーッとテレビ番組を見ていると、ある場所が取り上げられていた。
“関東最強のパワースポット!『三峯神社』!!”
今、若い世代を中心に人気だという紫色のアフロヘアーの占い師いわく、埼玉県秩父市三峰にあるこの神社には、“氣”が充満しており、参拝するととんでもなく運気が上がるらしい。

いつもなら無神論者を気取り、くだらねえとつぶやいてチャンネルを変えるところだが、どうしても気になった。すがるように。

困った時にだけ神頼みする自分の節操のなさに失望しかけたが、自分に失望することへの耐性がついていたのか、親指は勝手にフリック入力して「三峯神社 アクセス」と検索していた。

隣県埼玉ならそこまで遠くないだろうとたかをくくっていたが、僕には車の免許がない。
東京西部の端っこ吉祥寺から、電車とバスを乗り継ぐと片道5時間近くかかってしまう。

1Rでベッドからテーブルへの移動に苦戦している自分が、ちちぶ3号に乗って霊峰まで行ける訳もなく、神頼みすら諦めた。

地図アプリの画面をそっと閉じようとした時、自宅周辺に『三峯神社』があるのを見つけた。東京にも分祀がいくつかあるのかなと、調べてみると、そう多くはない。

なのに、なぜか吉祥寺、西荻窪、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、と中央線の各駅の近くにだけ三峯神社の分祀が集中しているのを発見した。
中央線沿いに住んで三十余年の私でも、その存在を知らなかったし、よく調べてみたが、なぜこの地域に集まっているのか、理由は分からなかった。

なにか不思議なゆかりを感じたので、三峯神社を訪ねた、徒歩で。

一日で、五つの三峯神社を参拝する中央線お遍路旅。
クロックスで一度家を出たが、戻ってニューバランスに履き替えて出発した。

まず一つ目の神社は吉祥寺の『三峯神社』。

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旧五日市街道沿いにひっそりとある小さな神社。
ラブラドールのような耳の垂れた狛犬が特徴的だ。
何に手を合わせたら良いか、とりあえず「健やかに過ごせますように」とだけ祈った。

次の神社まで、歩きながらボーッと考えていた。

道端に、グニャグニャに溶けて曲がったプラスチックの定規が落ちていた。
そうか、この定規は、もう二度と、正確に図形をはかることはできないのか、と少し同情した。

そういえば、霊に対してかわいそうと思うと取り憑かれるらしい。
溶けた定規に取り憑かれたら、お祓いにいっても説明するのが面倒だ。

あと、バレンシアガと大きくロゴプリントされた服を着たまま死んだ人間は、そのままの格好で地縛霊になるのだろうか。再来年とか結構しんどそうだ。

そんなことを考えていると、
二社目、西荻窪の『三峯神社』についた。

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ここは私有地なのか、入り口の扉に鍵がかかっていて参拝ができなかった。
仕方なく、外で手を合わせた。
道ゆく人からみたら、コンクリート塀に向かって祈願している街の変わり者だが、賽銭がわりに羞恥心を差し出して、次の神社へ向かう。

道すがら思いがけず、中学時代の友人がやっていた喫茶店の跡地を通った。
彼は敬虔なクリスチャンだったが、近くに三峯神社があることは知っていただろうか。
ご利益があったかなかったか、今はどこか別の土地で喫茶店をやっているらしい。変わらず、こだわりのタンザニアコーヒーを淹れていることを願う。

三社目、荻窪の『三峯神社』。

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ここは白山神社の境内社にあった。
飲み屋が多い中央線で、はしご酒ならいざ知らず、はしご三峯をしている。

考えてみると、神社に来るのも久しぶりだ。
私の周りの人間たちは、特に同僚たちは、なんとなくスピリチュアルなものに懐疑的な空気がある。
手を合わせたって成果は出ない、手を動かせ。
そんな現実主義な考え方が好きだったし、そうしてきた。

要領よく生き、図太い骨髄の生命力を持っているつもりだった。
苦労ならいくらでもできても、墨泥のような怠惰に呑まれていくのは耐えられなかった。
こんな現状を、誰かのせいにしたいが、自分の顔しか浮かばない。

四社目、阿佐ヶ谷の『三峯神社』。

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杉並区天沼あたりの住宅街にひっそり建立されているかなり年季が入った神社だ。
同じ敷地にもう二つの社があり、鳥居には『厳島神社』とかかれている。
杉並に『三峯神社』と『厳島神社』があるとは知らなかった。

手を合わせ、祈り、神社を後にする。
そして、ほとんど作業的に、足を動かし、また歩き出す。

やさしいひとたちは、「苦しい時には逃げていいんだよ」という。
なるほど、逃げようと、有給をもらって旅にでも出ようと考えたが、逃げた旅先にも鬱屈とした自分が勝手についてくる。
結局、この街で向き合うしかないのだ。

五社目、高円寺の『三峯神社』。

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ついにたどり着いた。
一日に複数の神社へ行くと神様が喧嘩してしまいあまり良くないとどこかで聞いたことがある。でもまぁ全部、三峯神社なら大丈夫だろう。

五社をゆっくり巡り、結局5時間近くかかった。
これなら秩父までいけたのではないか。

歩きながら、発見もあった。
吉祥寺の古いマンションのオートロックは簡単に突破できそう、荻窪には意外と平屋がある、阿佐ヶ谷のマダムは上着のサイズが大きい、高円寺には防犯カメラが多い、など、どれも人生にとって無利益な発見ばかりだ。

結局、くだないことばかり考えただけで、心境に変化があったかといえば、そんなことはなく、残ったのは足裏と前脛の痛みだけだった。

クタクタになり、帰りは徒歩ではなく、中央線快速で家路についた。
その夜は、無駄に疲れて、よく眠れた。

夢を見た。

数メートル先も見えない濃霧におおわれた深く暗い森で、ひとり彷徨っている。
そこに発光する白狼が現れた。
その狼は、私に目配せをするかのように度々こちらを振り向きつつ、先へと進む。
私はその後ろを必死についていく。

どれだけ歩いたか、突然、霧がぱぁと晴れ、森を抜けた。
同時に狼は姿を消していた。
そして、眼下になにやら掘立小屋のような建物が見えた。

びっくりドンキーだった。

子どもの頃に家族といった関町店とも、学生時代に仲間といった大泉学園店とも違うが、一階はやはり駐車場だ。
次の瞬間、私は店内に移動しており、すぐさま料理が運ばれる。
少し茶色味がかったマヨネーズの上にあるプチトマトと、過度に柔らかく食感を殺したあのハンバーグを一口食べた時、懐かしさと安心で、急に、涙がじわぁとにじんできた。

そこで目が覚めた。

どうということはないその夢を見て、なぜか、
今日も生きよう、
と思った。

そして、頑張れたご褒美に、晩ご飯は、
びっくりドンキーでチーズバーグディッシュ300gライス大盛りを食べるのだ!

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