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幸せですか?
という問いに、自信を持って、ハイと答える人の割合は約2割。まあまあ幸せです、と答える人は約6割。やはり経済大国から陥落したとは言え治安が守られている良い国なのだと思います。

自分は、と言えば
電子レンジが無い、風呂も無い3畳6畳縦長の文化住宅にて、母と3人兄弟、ビンボーな家で育ちました。

即席ラーメンとご飯で夕食
という日もありました。
我が家定食、と母は拵えて出してくれて

子どもの私には、この特別感が、かえって贅沢な逸品でした。母は複雑な気持ちだったと思います。

幸せ、というのは、価値を手に入れること。
特別感で飾られたものが与えられたときに感じるもの

社会人になって
色々と見えてきた時

自分の家が、実は非常に貧しい家庭であったのだと気付きました。

中流だ、我が家は

真に受けていたために、歪まなくて済んだのかなあ、と、思いました。

しかし
幸せに、豊かになることに、なんだか罪悪感を抱いてしまう
何とかシンドロームっていうのでしょうか

ここから脱却するのは難しい

じゃあ、私は幸せなのか?
どうか?

それを自覚するためには
まず人生の意味を考えなければならない

さて私の場合
ひょんなことから、

高校時のクラスメートがクリスチャンで
かつ
その当時、アニメソングをフルコーラスで流してくれていた、ラジオ大阪の土曜日の深夜番組を聴いていた中で、聖書の宣伝がされていました。

この2つのシチュエーションが重なり、キリスト教会に通うようになりました。

世界の真理を語り、人間の本質をグサグサ貫く鋭利な書物

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
詩篇 23篇1~4節
聖書 新改訳2017

辛さ、悲しみ

どんな出来事も
私たちのルーツ、主
その御方によって与えられた特別な計らい

コレこそが幸せと言えるだろう

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