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祖母との約束

幼少期、父方の祖父母と同居していた私。
特に祖父には勉強、野球、将棋に麻雀といろいろ教えてもらった。
そんな父方の祖父と祖母は15年ほど前に他界。

あまり書いてこなかったが、母方の祖父母ともよく遊んでもらった。
小学生の頃、月に2度ほど、車で40分かけて母方の実家へ行っていた。
母方の実家は田舎にあり、大きな昔ながらの家に大きな庭、田んぼや畑が広がっている、そんな場所。
寡黙な祖父と活発的な祖母がいつも娘(私の母)や孫(私や兄弟)の訪問を楽しみに待っていてくれた。

祖父と遊んだ覚えはほとんどない。
本当に寡黙な職人みたいな性格の祖父。
親戚一同で食事をしてもほとんどしゃべらない。

しかし、祖父が畑に野菜を収穫しに行く時に着いて行くのが好きだった私。
どういう大根が美味しいのか、玉ねぎの収穫の仕方などを2人の時はしっかりと教えてくれた。
夏は祖父母の家でBBQをやるのが毎年恒例だった。
近くのアユの養殖場でアユを買ってきて、串打ちするのが祖父の仕事。
孫と一緒にやるのではなく、コツコツ1人で串を刺す祖父。
炭に火を起こし、塩を振ったアユを焼くのも祖父。
焼けたころ、皆が集まり食べだす、祖父は黙って焼き続ける、そんな感じだった。

祖母は対照的にすごく社交的。
皆で集まっている時も笑いながら大きな声で話題を振る。
母が21歳と時に私が産まれ、その母も祖母が22歳の時に産まれたこともあり、祖父母にしては比較的若い祖母。
ボーリングも一緒にやった思い出もある。
毎回、祖母の家に行くたびにたくさん野菜を持って帰った。
帰りの車はネギの臭いでプンプンなのも思い出。

食事が大好きだった印象も強い。
私が小学生の頃、しゃぶしゃぶが好きで、
「しゃぶしゃぶ行きたい」
と祖母にねだったら、皆でしゃぶしゃぶの食べ放題に連れていってくれた思い出がある。

父や母や兄弟にそのエピソードを話したら誰も覚えていなかったけど。

昨日、母の実家へ両親と兄弟と行った。
母の実家だが、祖父も祖母もいない。

祖父は8年ほど前に亡くなった。
寡黙だった祖父だったが、私の子供が産まれ、一緒に行った食事会では曾孫をあやす、そんな一面を初めて見た。
その1年後に脳梗塞で搬送され永眠。

祖父がいなくなっても祖母は元気だった。
1人で畑をし、娘である母親とも食事によく行っていた。
私も子供を連れて、回転ずしに祖母と5年ほど前に行ったなあ。

1年半前、祖母が脳梗塞で病院に搬送されたと母から連絡が入る。
一命はとりとめたものの、病院に入院、右半身麻痺が残る。
そのまま特養へ入居。
その後、脳梗塞の再発を繰り返し、現在は特養でほぼ寝たきり。
声をかけても反応も薄い。

昨日、特養で祖母と面会。
「おはよう」「おはよう」
挨拶は出来る。
「僕の事わかる?」「わかる」
「この子、おばあちゃんの曾孫だよ」「…」
単純な返しは出来るが応用は難しい。

最近は褥瘡があり、ベッドで寝たきりのことが多く、それに伴い反応も徐々に悪くなっているとのこと。
元気なころは
「孫がリハビリの仕事をしておりますのでここで雇ってください」
と私の就職活動をしてくれていたらしい笑。

「おばあちゃん、僕が小さいころ、しゃぶしゃぶ連れていってくれたよね」
「…」
私の記憶が間違いないことをおばあちゃん証明してくれ。おばあちゃんしか証明できる人がいないよ。
絶対、約束だよ。

また、夏会いに来るからさ。

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