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500記事記念~負け続ける為に書いているnote~

いつも記事を読んでくださっている皆様本当にありがとうございます。

私を以前から知っていて読んでくださっている方、
Noteに流れてくるからたまたま読まれている方、
私と知り合ったので検索してみたら記事が出てきたので読んでくださってくれている方、
前職時代の知り合いで、あいつそういえば何やっているんだろうと話のネタに検索してみて「こんなことやっているらしいですよ?」と上司とのタバコのおつまみの為に読んでくださっている方、
など様々な理由がありますが、偶然が重なり、私という人物の一片をこのnoteを通じて知っていただけていることに感謝です。

2年前の8月に前職を離れ、9月1日から本格的に書き始めたnote、月曜日~金曜日までは1300字程度書こう、それを続け、今回が節目の「500記事」になります。
200記事の時にも同様の内容を書きましたが、私はだいたい1200字~1500字を1記事では書いています。
500記事だと、ざっと75万文字になるわけです。
文庫本1冊ざっと10万文字と考えると7~8冊イケてます。
本屋で小さなコーナーができるくらいの冊数になったのではないでしょうか?

「しみずさん、よく毎日続けられますね。」
よく言われる質問。
興味がある人30%、一応誉めておこう70%(しみずの直感)


私は小学生の頃、日中はずっと母親に連れられて買い物や友人の家に着いて行っていた。弟が2人いたが母親によく質問していたことがある。

「兄弟3人の中で誰が一番好きなの?」

母親は時々で答え方を変える。
「みんな大好きだよ」
という時もあれば
「みんな大好きだけど最初に産まれてきてくれた子は特に可愛く感じるね」
という事も。
後者の回答を得られた時、非常に嬉しい。
「母親に褒められたい、母親の一番になりたい」
私は物心ついた時から母親に愛されたいという欲求が強くなっていたと思う。
勉強を頑張って100点を取る、学級委員に立候補する、積極的にお手伝いをする、近所の人に挨拶する、自分がやりたかったというよりは、そう行動すると母親が喜んでくれるだろうなという事を忖度しながら生きていた

25歳で就職した前職、クライアント様の成果を出す、ここに邁進していた。

他の担当者よりも成果を出す」

社長に褒められたい、会社で偉くなりたいというよりは、
「あいつは凄い」と言われたい欲求は強かったと思う。

幼少期と前職時代のエピソード、共通するのは「他者との比較」である。
誰かと比較し、勝つ、勝つことにより自分の存在意義を確認するという作業。

独立して2年、大きく価値観が変わった。
今までの経験や価値観を否定するのではなく、今までがあったから「今ここ」にいることができていると思う。

2年前の9月から続けているこのnoteは誰かとの比較ではない。
1番になる、フォロワー数を〇名にする、といったことでもない。
ただ自分と向き合うために毎日続けている。

自分自身が自分に対して不安になると、他者と比較したくなる。
他者と比較することで自分の効力感を満たしたくなる。
すると他者の出来ていないこと、良くないことに目が行くようになる。

「勝たなくてもいい、負けていいんだ。」


負けを認めるということは相手の良い所に目を向けることが出来ているということ。
負けを認めることは勝つことよりも勇気がいること、そのためには自分の芯がないといけない。
今の私にとってその「芯」がこのnoteなのかもしれない。

ということで負け続ける為にnoteを毎日書き続けます。

これからもよろしくお願いします。

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