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誰もnoteはノーとは言えなくなった

日頃、仕事以外に口を出さないボスがnoteを始めようと提案したので吾輩も驚いた。弊社のWebサイトにもFacebookにもTwitterにも、まったく関心が無いボスがnoteを始めようと自分から言い出したから全員がビックリした。

「みんな、8月7日土曜日から始めよう。休みだからのんびりと好きなことを書いて、できた者から投稿しょうか。。。 エッセイでいいかな?自由好き勝手に書きたいことを書いてよ。」

え~~!みんな投稿するのかい???

担当がやるんじゃないの?


「楽しみやわ。どんどん投稿してよ。ぜんぶ読ませてもらうよ。」

ボスの嬉しそうな顔を見て、さすがに誰も noteはノー とは言えなくなった。ww

ボスが見るとなると適当にも書けない。

吾輩はボスの真意を聞いてみた。

「たまたま note を見てると夫々がそれぞれに様々な文章を書いていた。文章はその人物の人となりが如実に表れる。人は、その人物なりの生き方と生きた時間に応じた知識と教養と情緒を身に着けていく。それが融合して一つの思想になる。そうやって、さまざまな思想をインプットしながら矛盾に迷い、真実を求め、絶望し、怒り、悲しみ、泣き、あきらめ、笑い、気づき、喜び、悟り、さまざまな思想が融合して一つの哲学になり不動の信念に変わる。知識だけが大きくても、教養だけが大きくても、情緒だけが大きくても、バランスの取れた人物にはならないし、学ぶべき思想も哲学も生まれないから不動の信念は宿らない。本能と感情脳と大きな論理脳を持つ霊長類の面白いところだよ。ネコさん、みんなが現在の己の人間としてのバランスを確認するのに、note は最高の道具だと思うんだよ。」

なるほど。

吾輩は長年敬愛するボスのお陰で、この年になって、また一つ勉強させてもらった気になった。

エムケイコンサルティング 山根次郎

吾輩の投稿も5つになりました。よろしければお暇な時にでもお読みくだされば光栄です。

吾輩が25歳の喧嘩好きのヤンチャだった時、神戸の繁華街で、吾輩と同じ年恰好の青年が4人のチンピラを相手に大立ち回りを演じようとしていました。吾輩が加勢しようとすると、青年が「お主!手出し無用や!」と大声で怒鳴りました。その声に圧倒されて割って入れず見ていると、あっという間に4人とも地面に這いつくばって呻いていました。ボスとの衝撃の出会いでした。それから約十年後、ボス33歳、吾輩35歳の時、この人には世の中で怖いものなどないのかと思っていたボスの人を思うが故の苦悩を目の当たりにした忘れられない仕事です。