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【コンサル物語】シカゴ

 19世紀末から20世紀初頭、アメリカの大手会計事務所は監査業務に加え、財務調査や、会計業務に関わるコンサルティング業務を始めました。コンサル物語でも少し前に触れた通り、当時のアメリカで、コンサルティングはボストンのMIT技術者から始まり、フィラデルフィアのフレデリック・テイラー等も歴史的に有名な話です。では、会計事務所を中心とした財務調査や会計コンサルティングとはどこで行われていたのか。その歴史を紐解いていきたいと思います。

 一つの解釈に、それがアメリカ中西部の大都市シカゴを中心に行われていたというものがあります。『The World's Newest Profession』(クリストファー・D・マッケナ)には次のようなことが書かれています。

ほとんどの経営エンジニアリング会社は20世紀始めにシカゴで生まれ、後に経営コンサルティング会社となっていく。例えば、会計事務所のアーサー・アンダーセンであり、ブーズ・サーベイ(後のブーズ・アレン・ハミルトン)であり、マッキンゼーである。1920年代から30年代にかけて、彼らはニューヨークやボストンの投資銀行から中西部の企業の経営分析の依頼を受け、大きく成長した。そして、1940年代にはシカゴのコンサルタントがアメリカ国内のライバルを圧倒するようになっていた。

『The World's Newest Profession』(クリストファー・D・マッケナ)

 アンダーセンは1913年、ブーズは1914年、マッキンゼーは1926年にそれぞれシカゴで設立されています。20世紀始めの同じ時期に同じ場所で、その後21世紀まで続くコンサルティング会社が複数誕生したことはとても興味深い話です。コンサル物語ではその背景に迫っていきたいと思いますが、まずは当時(20世紀初頭)のシカゴがどういった所だったのか見ていきたいと思います。

 シカゴの地理的な情報は下の図が参考になります。

『大学で学ぶアメリカ史』(和田光弘 編著)

 上の図から分かる通り、シカゴは緯度的にかなり北の方にあり、日本の札幌や函館に近い位置です。アメリカの中央に位置しているということで、道路、鉄道、水路、(後に空路)の発達とともに主要な輸送ハブとして大いに発展する歴史をたどりました。

 鉄道については下の図の通り、シカゴ(赤点)から西に向かって多くの路線が出ていることが分かります。東からの主な路線はシカゴで終わり、西への路線はシカゴから始まっていた時代です。

『アメリカの歴史』(有賀夏紀・油井大三郎 著)

 また、水路では、1848年にイリノイ・ミシガン運河が開通し、シカゴが接する五大湖から、シカゴを経由してミシシッピ川とメキシコ湾に至る輸送が可能になりました。このように交通の要所として繁栄してきたシカゴの人口は19世紀後半に急増し、その成長速度から世界史上最も急成長した都市と言われています。

『Encyclopedia of Chicago』(http://www.encyclopedia.chicagohistory.org/pages/198.html)など
1832年のシカゴ(Wikipediaより)


1900年のディアボン通りとランドルフ通りの様子(Wikipediaより)

 話は少しそれますが、1871年にシカゴでは大火による災害が発生しました。この火事によりシカゴの大部分が焼失してしまいましたが、大火を機に産業の中心は農業から工業へと変わり、建築物も木製から鉄筋へと変わったことでシカゴが大きく発展していったと言われています。

 シカゴ大火は1871年10月8日の夜9時、牛小屋の牛がランプを蹴飛ばしたために起こったとの説があります。火は3日間にわたり燃え続け当時のシカゴの街の3分の2にあたる9平方キロメートルを焼き尽くしたそうです。

 在シカゴ日本国総領事館のHPに出ていますが、実はこの大火の3ヶ月後に、日本から欧米視察に出ていた岩倉具視使節団がちょうどシカゴを訪れています。消失したシカゴの様子を見た一行はその場で5000ドルという多額の寄付をしたそうです。当時の明治政府の国家予算が7000〜8000万円、当時の為替レートを仮に1ドル≒1円だとすると5000ドル≒5000円となり国家予算の1万分の1近くを寄付したことになります。(ちなみに令和4年度の日本の国家予算は一般会計総額で110.3兆円です。その1万分の1は約110億円)

 都市の発展とともにシカゴにはたくさんの企業や工場が生まれました。製造業が大きく成長していた時代です。そして、企業では優秀な専門性を持った会計スタッフが求められ、シカゴは会計専門家の中心地となっていきます。外部の会計事務所がそういったサービスを提供するようになり、また大学(シカゴ大学、ノースウェスタン大学等)が会計教育を推進していった歴史がありました。


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