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【コンサル物語】IBMに35年間のコンサルティング禁止令(Big8コンサルティング発展の裏で起こっていたこと)

1952年に世界初の商用コンピューターとしてアーサー・アンダーセン社によってGE社に導入されたUNIVACはEMCC社(エッカート・モークリー・コンピューター・コーポレーション)(後のユニシス)という会社のものでした。アメリカのコンピューター研究の最前線にいたエッカートとモークリーが所属するEMCC社は、当時商用コンピューター分野のリーダーでした。

今回は、EMCC社に遅れを取りながらもコンピューターの開発・販売に本格的に参入し始めた頃のIBM社について書きたいと思います。

IBMは1960年代以降、アメリカコンピューター産業の覇者となっていきます。IBMが作ったコンピューターを使い、Big8(ビッグエイト)会計事務所がコンサルティングをする、そのような関係性もありました。

1930年代にパンチカードシステムで会計システムを独占していたIBMですが、第二次世界大戦直後にはコンピューター産業の展望を見誤り、商用コンピューターのビジネスには参入しないという経営判断をしていました。コンピューター関連の開発プロジェクトを社内で進めていたものの、軍事・防衛分野を中心とした科学分野への進出を加速する一方で、商用コンピューター分野への参入機会を逃していました。

IBMの商用コンピューター分野への参入の遅れは、EMCC社がUNIVACでこの分野の初期の市場を席巻することを許す結果となりました。IBMが商用コンピューターUNIVACを目のあたりにし、危機感を持ったのは1950年代に入ってからのことです。

ちょうど世界初の商用コンピューターがGE社へ導入される頃、IBMはコンピュータービジネスの変化を察知し、社内組織を再編して見事なまでの立て直しを行いました。

1950年代に実際に起こったのは、コンピューターの使われ方が、数値的計算から電子的データ処理へと変わったことだ。1951年頃、この変化に気づいたIBMは、間髪を入れず販売計画を変更し、研究開発、製造、販売の各組織を再編し、伝統的な経営力にものをいわせて、5年という期間でこの事業分野を制覇した。神話的というほどではないが、それでも見事な偉業であった。

『コンピューター200年史』

IBMは1953年に商用コンピューターIBM702を発表し、すぐに50台もの受注を獲得しましたが、1号機が納入されたのは発表から約2年後の1955年初頭でした。UNIVACの1号機の納入から実に4年も遅れていました。ところが、1955年にはIBMへの注文はUNIVACへの注文を超えました。それはこのIBM702の仕様はUNIVACに驚くほど似ていたものの、いくつかの点でUNIVACを凌いでいたからです。

IBM702の仕様はUNIVACに驚くほど似ていたが、基礎となっている製造技術には大きな違いがあり、これがIBM製品が市場でUNIVACを急速に引き離す鍵になった。高速で信頼性のあるシステムの開発では、IBMがいままで培ってきた圧倒的な電気機械技術に軍配が上がった。

UNIVACに勝っていたもう1つの点は、IBMのコンピューターがモジュール構成をとっていたことだ。要するにシステムは設置する現場で組み立てることができた。出荷も簡単にできた。これと対照的だったのがUNIVACで、一体構造だったため工場から顧客へ運搬するだけでも大仕事になった。 

そして、IBMの最大の強みは、サービス指向の企業としてすでに確立されていたことであった。コンピューターを使う上での訓練の重要性を最初から認識していたので、IBMはユーザーのためにそのプログラミングコースを設け、他社の追従を許さない段階に応じた顧客サービスを提供するフィールド・エンジニアリング・チームをそろえた。

(702シリーズ以外でも)IBMは、大学にコンピューティングの講座を新設したら、機械は半値以上割引いて提供すると言い、たくさんのコンピューターを大学に設置した。結果としてそれは、IBMのコンピューターで育ったプログラマーやコンピュータ科学者世代を作り出し、IBM製品に訓練された労働力を世に送り出した。

『コンピューター200年史』
IBM702のすべての関連装置(Wikipediaより)
EMCC社のUNIVACコンピューター

さて、IBMは1955年に受注ベースでUNIVACを抜き去りました。サービス指向の企業ということで販売だけではなくサポートサービスも充実し、IBMのコンピューターはますます普及していく時代に入っていきました。そうなるとコンサルティングにも進出し、コンサルティングサービスを提供していったのかということになりますが、答えはNOです。

UNIVACKを追い抜いた翌年1956年、アメリカ司法省はIBMに対してコンピューターのインストールや使用に関する専門的なアドバイス、つまりコンピューターコンサルティングを提供することを独占禁止法で禁じました。そのため、IBMはその後1991年までの35年間、このITコンサルティングという利益の源泉を供与することができず、アーサー・アンダーセンを始めとする大手会計事務所がコンサルティングを拡大する機会を与えてしまった、という歴史の解釈もできるのです。

逆に言うと、アーサー・アンダーセン社等が1950年代からシステムコンサルティングにある意味容易に参入できた背景には、IBMに対する独占禁止法の規制があったとも言えます。

1956年に連邦政府から長年にわたる反トラスト法違反の訴訟を起こされたIBMは、事実上、ITコンサルティングという新しい分野を大手会計事務所に譲り渡すことになった。

特にアーサー・アンダーセンが利益を得たのは、1956年に政府がIBMに対して、コンピュータのインストールや使用に関する専門的な助言の提供を排除したためである。

1956年、IBMは司法省と和解し、同意協定を受け入れることにした。IBMの競争力を35年間制限するこの判決では、IBMのマシンをリースではなく販売すること、IBM独自の技術を競合他社に提供することが義務付けられただけでなく、IBMがコンピュータ・システムの購入や統合に関するアドバイスを提供することも禁止された。

『The World’s Newest Profession』

1956年、IBMのサービス(ソリューション)業務は、コンピュータ市場における優位性を利用してサービス市場を独占しようとしているとして、司法省から告発を受ける。結果、独占禁止法の適用を受け、IBMには「35年間にわたるコンサルティング業務の禁止」という重い足枷がはめられることとなった。

『コンサル100年史』

1950年代から、アーサー・アンダーセン会計事務所を始めとする当時のBig8会計事務所(後のDeloitte、PWC、EY、KPMG)が、システムコンサルティングの分野に比較的簡単に参入し売上を伸ばすことができた背景には、IBMというコンピューター産業の巨人がコンサルタントして参入できなかったということもあったのです。

さて、物語の少し先の話をご紹介して終わりにしたいと思いますが、1991年にIBMが35年間制限されたコンサルティングサービスの提供を解除されると、直ちにコンサルティング部門を設立しました。その後わずか5年後の1996年までに、IBMのコンサルティング部門の売上はIBM全体の1/4に達し、当時のアンダーセン・コンサルティング(後のアクセンチュア)と競合するまでになっていきます。そして更に6年後の2002年には、IBMはBig4(ビッグフォー)の一角PWCから同社のコンサルティング部門を買収することになります。

(参考資料)
『The World’s Newest Profession』(Christopher・Mckenna)
『コンピューター200年史』(M.キャンベル・ケリー/W.アスプレイ 著 山本菊男 訳)
『コンサル100年史』(並木裕太)


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