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【コンサル物語】シカゴから生まれた巨大戦略コンサルの話〜マッキンゼー、ブーズ〜

コンサル物語にとって20世紀前半のシカゴは非常に興味深い都市です。なぜなら当時のシカゴから発祥した会社の中には、アーサー・アンダーセン以外にも20世紀後半以降アメリカのコンサルティング業界で巨人となる会社があるからです。戦略コンサルティング・ファームと呼ばれるようになるマッキンゼー・アンド・カンパニー社やブーズ・アレン・ハミルトン社がその代表です。両社に関する歴史を見ていきたいと思います。

20世紀前半のシカゴで自身の名を冠した事務所を設立した、アーサー・アンダーセン、ジェームズ・オスカー・マッキンゼー、エドウィン・ジョージ・ブーズの3人が生まれたのは、アンダーセンが1885年、ブーズが1887年、マッキンゼーが1889年です。彼らは見事に同世代でした。アンダーセン氏がアンダーセン・アンド・カンパニーを設立したのが1913年(28歳)、ブーズ氏がブーズ・アレン・ハミルトンを設立したのが1914年(27歳)、マッキンゼー氏がマッキンゼー・アンド・カンパニーを設立したのが1926年(37歳)ですので、1910年代と20年代は有名コンサルティングファームが一気に、しかもシカゴという一つの都市で生まれた時代だったのです。

ジェームズ・マッキンゼー wikipediaより
エドウィン・ブーズ stratgy&より

マッキンゼー・アンド・カンパニーは設立当初こそ財務調査を中心に会計コンサルティングや経営エンジニアリングを主力サービスにしていましたが、1930年代には中興の祖マービン・バウアーは会計離れを進め、会計コンサルティングから距離を置くようになりました。その後20世紀後半には最強コンサルの一角を占めているのは多くの方がご存知の通りかと思います。

ブーズ・アレン・ハミルトンもシカゴで財務調査サービスを中心にコンサルティングを始めた会社でした。1960年代のアメリカではマッキンゼーを凌ぎ、アーサー・D・リトルとともに3大経営コンサルティング会社でした。設立から90年以上後の2008年に民間向けコンサルティング部門を分離するなどの事業整理を行いました。ちなみにこの民間向けコンサルティング部門は2014年にPWCに吸収されました。

それぞれの会社の設立者、ジェームズ・マッキンゼーとエドウィン・ブーズの二人について見ていきたいと思います。

ジェームズ・マッキンゼーは(シカゴのある)イリノイ州に隣接するミズーリ州の貧しい農家に生まれました。小屋のような小さな家で育ったマッキンゼーでしたが、アンダーセン氏と同じように彼もまた教育に情熱を持つ人物でした。最初の大学はミズーリ州の州立大学で、そこで教育学を学び1912年に卒業しました。続いてミズーリ州の南に接するアーカンソー州のアーカンソー大学で法学を修め、その後シカゴ大学で哲学の学士号を取得しています。

アメリカが第一次世界大戦に参戦を決めた1917年、マッキンゼーも28歳で陸軍に招集され29歳まで従軍しました。除隊になるとすぐにシカゴ大学に戻り、会計学の修士号を取得しシカゴ大学で助教授、教授になっていきました。

その人物像はマッキンゼーを語る人々が言うところによると性格的に攻撃的で無情だったとのことです。

彼に会った人が感じるのは、彼の「貫禄」とー背が高く、6フィート4インチ(約193センチ)あるー率直な態度だった。彼はまた、非常に頑固だった。大学時代に一時的に失明したにもかかわらず、葉巻を止めないと再び視力を失う危険があるという医者の忠告を無視した。

『マッキンゼー』(ダフ・マクドナルド 著 日暮雅通 訳)

1910年代〜20年代にアンダーセン氏とマッキンゼー氏は大都市シカゴの中心部を挟み、北(ノースウェスタン大学)と南(シカゴ大学)で会計を教えていました。アンダーセン氏は1917年から18年にかけてノースウェスタン大学商学部で連法税の特別講座を開講し企業経営者などの人気を博しました。大学で教えていた税務分野での専門性が呼び水となり、アーサー・アンダーセン社は顧客から仕事を受けることができました。

マッキンゼー氏も1918年頃から税や簿記に関する著作を世に出しており、1922年の『予算管理』はこの分野に関する最初の名著であり、マッキンゼー氏の名を世に知らしめる結果にもなりました。実際のところマッキンゼー氏がマッキンゼー・アンド・カンパニー社を設立後最初の顧客は彼の著書『予算管理』を読み仕事を依頼してきたのです。

(参考)Googleマップより作成
シカゴの中心部を挟み、北(ノースウェスタン大学)と南(シカゴ大学)に位置している

さて、もう一人ブーズ・アレン・ハミルトンの設立者であるエドウィン・ブーズは1887年に東部ペンシルヴァニア州で一般的な家庭に生まれました。彼はシカゴのノースウェスタン大学を出ていますが、残念ながらなぜ東部のペンシルヴァニア州から遠く離れたシカゴの大学に入ったのかは私には分かりません。ただ、1910年前後の時期に後の世界的コンサルティング会社を設立するアーサー・アンダーセンとエドウィン・ブーズが共にノースウェスタン大学で学んでいたのは興味深い歴史の事実です。

ブーズ氏はノースウェスタン大学で心理学の修士号を取り、1914年、27歳のときにビジネス・リサーチ・サービス社という会社で事業を始めました。ブーズ氏の会社の事業が軌道に乗り始めた矢先、彼もまた第一次世界大戦へのアメリカ参戦の余波を受け1917年(30歳)のときに兵役につくことになりました。

マッキンゼー氏、ブーズ氏共に20代後半の貴重な時間を兵役に捧げるという経験をしたわけですが、これが当時のアメリカの若者の大方の姿であり人生の回り道を余儀なくされた時代でした。(アンダーセン氏については兵役の記録を見つけられず不明です)

20世紀初期(1910年〜20年代)のシカゴには、後に世界的なコンサルティング会社に成長する会社を設立したアンダーセン、マッキンゼー、ブーズの3氏がいました。一つの都市で同じ空気を吸い、時には街や大学内ですれ違った可能性もある、そんな時間を過ごしていました。彼らはシカゴという街でコンサルティングの先駆けとなるビジネスを通じ歴史的な関係を持っていたのです。

(参考資料)
『マッキンゼー』(ダフ・マクドナルド 著 日暮雅通 訳)
『ビジネスの魔術師たち』(ハル・ヒグドン 著 鈴木主税 訳)


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