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【コンサル物語】会計事務所がコンサルティングしたコンピューターUNIVAC(ユニバック)とは

1952年にアーサー・アンダーセン会計事務所のコンサルティング部門(後のアクセンチュア)がGE社に導入したUNIVAC(ユニバック)とはどのようなコンピューターだったのでしょう。二人の若い技術者を中心に苦労の末に完成したUNIVACの誕生は、コンピューター業界の歴史にとっても重要なことでした。

UNIVACは1946年3月にムーアスクールを去ったモークリーとエッカートが紆余曲折を経て1951年3月に完成させ、国勢調査局に納入した量産型の大規模ビジネス用コンピュータの第1号である。この UNIVACをもってコンピュータ産業が始動し始めたといってよい。モークリー44歳、エッカート32歳である。

『コンピュータの発明』

今回はUNIVAC開発の歴史を見ていきたいと思います。アメリカでコンサルティング、とりわけ大手会計事務所のコンサルティング部門を中心としたシステムコンサルティングが発展した背景には、コンピューターの存在は欠くことができないと考えられるからです。

1951年に完成したUNIVACではありますが、話は初期型コンピューターENIACの開発が佳境を迎えていた、1946年頃に戻して始めたいと思います。

ENIACはペンシルベニア大学ムーアスクールで二人の技術者エッカートとモークリーを中心に開発が進められていました。(エッカートとモークリーは後に、ENIACを発展させた商用コンピューターUNIBACを開発する人物です)

ムーアスクールには途中、コンピュータ開発に興味をもった著名な科学者ノイマンがENIACチームの顧問として参加しています。ノイマンは程なくENIACの欠点を理解しました。そして、欠点を克服するための新たなコンピュータ理論で設計された後継機EDVAC(エドバック Electronic Discrete Variable Automatic Computer)を考え出しています。それこそが、その後主流となるプログラム内蔵式コンピューター(いわゆるノイマン型コンピューター)として広まっていくものでした。

ENIACは1946年にペンシルべニア大学で実物が公開されましたが、その年の夏に大学で開催されたENIACのサマースクールでは、講義の最終段階で後継機EDVACの理論も公開されました。EDVACの理論は非常にシンプルなもので、講義の参加者達はEDVACこそが今後のコンピューターの主流になるということをすぐに理解できました。

ペンシルベニア大学の壁一面に設置されたENIAC
エッカートとモークリーは手前の左と中央

ムーアスクールでの真夏のコンピューター講義が終わり、受講者はアメリカだけではなく世界中に散らばっていきました。講義の熱が冷めやらぬ1948年に最初にEDVAC型(プログラム内蔵式)コンピューターを稼働させたのはアメリカではなくイギリスでした。

それはマンチェスター大学とケンブリッジ大学でした。この名門大学はアメリカより先にEDVAC型のコンピューターを完成させ、その後世界初の商用コンピューターの開発でも先行しました。残念ながらイギリスではコンピューター産業がそれほど発展しなかったのですが、コンピューターを使う側の産業会が保守的で、コンピューターの積極的な受け入れができなかったということがその理由の一つとしてあるようです。

プログラム内蔵式コンピューターの理論を生み出しながら、開発ではイギリスに先を越されたアメリカには、1950年前後のこの時期、30社程もの企業がコンピュータービジネスに参入していました。

イギリスは10社程度、他のヨーロッパ諸国は第二次世界大戦の疲弊もあり、コンピュータービジネスに参入するのはまだまだ先のことでした。イギリス産業界の保守性もあり、結果的にアメリカだけがコンピューターの市場を独占する構造が出来上がりつつあったようです。それは、10年〜20年後にアメリカの大手会計事務所がシステムコンサルティング分野を席巻していく要因の一つとも言えると思います。

アメリカでコンピュータービジネスに参入した30社程の企業には、3つのタイプがありました。

1つ目は電子メーカー、2つ目は事務機器メーカー、そして3つ目はコンピューター起業家達です。電子メーカーには例えばGE社といった電気機械メーカーが入っています。事務機器メーカーには、20世紀初頭からパンチカードシステム等を製造していたIBM社、レミントン・ランド社、バローズ社、NCR社などがありました。このグループは後にIBMを筆頭にアメリカでコンピューターメーカーの中心となっていきます。

そして残りの起業家グループですが、UNIVACを開発するエッカートとモークリーも、起業家としてコンピューターの開発に関わっていきました。ペンシルべニア大学でENIACを開発したエッカートとモークリーは大学を辞め、1946年にコンピューター企業のエッカート・モークリー・コンピューター・コーポレーション(EMCC社)を設立し商用コンピューターUNIVACを開発することになります。

UNIVACはユニバーサル・オートマチック・コンピューター(Universal Automatic Comtuter)の略でアメリカで開発された商用コンピューターです。ENIACを開発したエッカートとモークリーのEMCC社が開発を進め、EMCC社がレミントン・ランド社(後のユニシス社)に統合されてからはレミントン・ランド社が開発を進めました。

まだUNIVACが生まれる前、EMCC社でEDVAC(ENIACの後継機)の開発を進めていたエッカートとモークリーですが、彼らはビジネスにコンピューターを活用する可能性を見ていた数少ない技術者でした。1950年前後のこの時代、コンピューターをビジネスに活用するということはコンピューターメーカーの大部分は否定的だったからです。

1946年にペンシルべニア大学でENIACが公開され世間にコンピューターというものが認知されるようになると、その影響もあり、エッカートとモークリーは同年の10月に国勢調査局からEDVAC型(プログラム内蔵型)のコンピューターを初受注し契約に調印しました。このコンピューターこそが後にUNIVACと名づけられ、開発が進められたものに他なりません。

UNIVACの開発には莫大な資金が必要だったとされています。最終的には100万ドルはかかったと言われています。当時の100万ドルが現在の価値のどの程度に相当するのか。正確ではありませんが、規模感を掴むためざっくり試算すると45億円程度とはじきだされました。

The Inflation Calculator(The Inflation Calculator (westegg.com))で試算すると、1950年の1ドルは2022年の12.49ドルです。円との交換比率は固定相場に近いとみなし1ドル360円と考えると 12.49/ドル × 100万ドル × 365円 = 45億5885万円
1950年と2022年では円自体の価値が変わっているので実態は更に高額になるとも考えられます。

そして1951年UNIVACは遂に完成しました。エッカートとモークリーの会社EMCC社を吸収していたレミントン・ランド社(後のユニシス社)はコンピューターの性能を宣伝するためのデモンストレーションとして、翌年のアメリカ大統領選挙で大胆にも結果予測を行うことを試みます。

1952年大統領選挙の結果予測をCBSテレビが中継し、最初の開票速報を8時30分に出しました。UNIVACはアイゼンハワー候補の勝利を予想しました。大統領選挙の最終結果もアイゼンハワーの勝利となり、UNIVACの性能は大いに証明されたのです。

エッカートとモークリーによって開発されたUNIVACが
1952年の大統領選挙の夜、選挙結果の予測に使われた様子

UNIVACの誕生は、新しいコンピューター時代の幕開けであり、1950年代のコンピューター商用利用への活路を開きました。それは、コンサルティングの領域としてシステムコンサルティングが発展していくことでもあり、そして、システムコンサルティングの分野では、会計事務所のコンサルティング部門が重要な役割を果たしていくようになります。

UNIVACは1号機の国勢調査局から始まり、軍事利用、大学、そして民間企業への導入へと進んでいきました。

UNIVACは、当時としては、システムとして大変優れた機械で、1951年3月の1号機完成後、2号機は1952年2月に空軍管理局、3号機は1952年4月に陸軍地図サービス局、4号機と5号機は原子力委員会が抑え、ニューヨーク大学とカリフォルニア大学の放射線研究所に、6号機は1953年4月に海軍の応用数理研究所に納入された。

民間では1953年から、GE (General Electric)、PMI (Pacific Mutual Insurance)、メトロポリタン生命保険会社、フランクリン生命保険会社、デュポン社等々で1957年までにトータルで46セットを生産したとされ、価格は $1,250,000から$1,500,000程度であったとされている。

『コンピュータの発明』

アーサー・アンダーセン会計事務所のコンサルティング部門が、この高性能コンピューターUNIVACの公開後1~2年のうちに、GE社に導入コンサルティングをやってのけたということは驚くべきことです。私はそこにアンダーセン社の周到な準備とコンサルティングへの強い熱意を感じました。

(参考資料)
『コンピュータの発明』(熊澤徹)
『コンピューター200年史』(M.キャンベル・ケリー/W.アスプレイ 著 山本菊男 訳)


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