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【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(後編)

1980年代、アメリカの大手会計事務所(通称ビッグエイト)はどこも規模の経済を追い求め、事務所を維持しようとしていました。

すべての大手会計事務所が、新しい市場に参入し、経営資源を結集して利益を得るためには、規模の経済を実現することが競争上有利であることを明確に認識していた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

アメリカ国内で有力な会計事務所となるためには、約100個所で事務所を持つことが必要であった。アメリカ企業の多くが主要な100都市でビジネスを展開していることからすれば、トップクラスの会計事務所は同様の体制をとっていなければならないのだ。

『ビッグ・シックス』

1980年代最後の年、ビッグエイト8社の半分が合併を実現するという大きな動きがありました。アーンスト・アンド・ウィニー(合併前ランキング3位)とアーサー・ヤング(同6位)の合併とトーシュ・ロス(同7位)とデロイト・ハスキンズ・セルズ(同8位)の合併です。合併により、アーンスト・アンド・ヤング(EY)とデロイト・アンド・トウシュ(Deloitte)となり、合併後のランキングではそれぞれ1位と3位の規模になりました。

1989年合併前後のランキング

参考資料『ビッグ・シックス』

実現はしなかったものの、1989年には更に大きな交渉が進んでいました。アーサー・アンダーセン(合併前1位)とプライス・ウォーターハウス(同5位)の合併交渉です。実現していれば売上が30億ドルを越える世界最大の会計事務所の誕生であり、その後のコンサルティングの業界地図も違ったものになっていたと思われますが、水と油ほど違う両社の合併は交渉開始早々から困難だと言われていました。

今回は、失敗に終わったこの合併案を追い、どういう理由で破談になったのかを見ていきたいと思います。

アンダーセンとプライス・ウォーターハウスの合併は、当時のビッグエイトが戦略上必要としていた、グローバルでのプレゼンスとコンサルティングの二つを一気に手に入れることができるものでした。

アンダーセンとプライス・ウォーターハウスの合併案は、それぞれ全く異なる業務スタイルと重要な顧客基盤を持つ長年の競争相手が一つになることで、業界を一変させるだろう。統合案は、プライス・ウォーターハウスの国際的な組織とアンダーセンのコンサルティング能力の相互補完的な強みを生かすことができる。

『TRUE AND FAIR』

プライス・ウォーターハウスのエリート・クライアント群と、アーサー・アンダーセンの高い業務効率と強力なコンサルティング部門が一緒になれば、抜群に強力な事務所が誕生することになる。ビッグ・エイト同士の組み合わせの中で、両事務所の組み合わせは「一たす一が二より大きくなる」唯一の組み合わせであった。

『ビッグ・シックス』

しかし、お互いが強すぎたことが合併交渉において大きな障害になったと言われています。アーサー・アンダーセンはビッグ・エイトのトップ会計事務所にして、当時世界最大のコンサルティング会社でした。かたやプライス・ウォーターハウスはアメリカで最も歴史のある会計事務所の一つであり、1890年のニューヨーク事務所設立以来、長年業界のリーダーとして名声を欲しいままにしてきました。

アーサー・アンダーセンは監査業務の獲得を、プライス・ウォーターハウスはコンサルティング業務の獲得を、それぞれが合併効果として期待していました。互いに監査とコンサルティングを補完するはずでしたが、両社のプライドとある種のエゴが、交渉を暗礁に乗り上げさせたようです。

それが最も顕著に表れたのがコンサルティングをめぐる交渉でした。
合併交渉時の両社のコンサルティングの力は、アーサー・アンダーセンの方が圧倒的に上でした。そのような状況にも関わらず、プライス・ウォーターハウスはプライドが邪魔をしていまい実力差を認めることができなかったようです。

プライス・ウォーターハウスは両社のコンサルティング業務の適合性を問題視した。プライス・ウォーターハウスの収益のうちコンサルティングによるものは、アンダーセンの37%に対し19%に過ぎなかった。また、アンダーセンのコンサルティングはかなりの部分が大規模なコンピューター・システム導入の仕事によるものだった。合併すれば、プライス・ウォーターハウスの小規模なコンサルティング業務は、新しいパートナーに支配されてしまうかもしれない。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

プライス・ウォーターハウスにとっての最大の難問は、アンダーセンのコンサルティング部門であった。ビッグ・エイトのコンサルティング部門では、アンダーセン・コンサルティングがずば抜けた力を誇っており、規模がずっと小さいプライス・ウォーターハウスのコンサルティング部門はシカゴの巨人に支配されてしまう恐れがあった。

『ビッグ・シックス』

アンダーセン側も、コンサルティング部門が合併交渉の直前に独立した別組織アンダーセン・コンサルティングとしてビジネスを始めていました。そのため、独立したばかりのコンサルタント達は、合併によって手に入れたばかりの自由を失うことを恐れました。

1989年1月、アーサー・アンダーセンの大規模で精力的な経営コンサルタント部隊は、アンダーセン・コンサルティングとして独立した。これにより、コンサルティング・パートナーはより大きな自主性を与えられ、利益分配の仕組みも改善された。

『TRUE AND FAIR』

1989年1月、アンダーセンは、経営アドバイザリーサービスをアンダーセン・コンサルティングという独立したユニットに再編することで、コンサルタントの地位を高めていた。これにより、アンダーセンのコンサルティング・パートナーは、より大きな発言権を得ることになった。アンダーセンのコンサルタントは、合併の結果、自分たちの新たな権力と影響力が失われることを恐れていた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

また、コンサルティング業務と監査業務の利益相反の問題も合併交渉の前に大きく立ちふさがりました。プライス・ウォーターハウスはアメリカでの約100年にわたる会計監査の実績があり、何社もの超優良企業を顧客に持っていました。例えば、IBM、J・P・モルガン、デュポン、ヒューレット・パッカード、ウォルト・ディズニー、シェル石油等です。IBMやヒューレット・パッカードはアンダーセン・コンサルティングのクライアントでもあり、合併後には監査部門かコンサルティング部門のどちらかが顧客を失うことになることが予想されました。

プライス・ウォーターハウスのパートナーは、監査クライアントとの事業上の取引関係は会計士の独立性によって禁止されており、またSECの関連規則によっても禁止されていると考えていた。アンダーセンは、IBMやヒューレット・パッカードといったプライス・ウォーターハウスの監査クライアントと、実質的なコンサルティングの合弁事業に関わっていた。監査関係とコンサルティング関係のどちらかを選択する必要があった。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

アンダーセン・コンサルティングはIBMやヒューレット・パッカードと重要な合弁事業を行っており、両社ともプライス・ウォーターハウスの監査を受けていた。合併が進んでいれば、合弁事業も監査も放棄せざるを得なかっただろう。

『TRUE AND FAIR』

超優良クライアントを取られないように神経質になっているプライス・ウォーターハウスの監査部門の人たちは、アンダーセンのコンサルティング業務が、利益相反問題に触れる恐れがあると懸念してい た。彼らはとくに、公認会計士事務所が監査クライアントと共同事業を営むことを禁止するSECの規定に抵触して、IBMその他の優良コンピュータ・メーカーを手放す羽目になってしまうのではないかと懸念したのだ。

『ビッグ・シックス』

結局、コンサルティングをめぐるこういった問題が、合併失敗の原因だったと言われています。プライス・ウォーターハウスは合併による実利よりも、最終的には自社のプライドや歴史を守る道を選んだように見えます。ただし、その選択の先には、ビッグ・シックスの最下位に転落するという厳しいものが待っていました。

1907年、プライス・ウォーターハウスのシカゴ事務所で会計士のキャリアをスタートさせた男は、数年後会社を辞め、1913年に自らの名を冠したアーサー・アンダーセン会計事務所を設立しました。アンダーセン氏は事務所設立当初から、会計士の仕事は監査で終わりではなく、むしろそこから始まるのだと言っていました。最も重要なことは数字の背後にある営業の実態に目を向け、経営者に役立つ建設的な報告(コンサルティング)をすることであると。アーサー・アンダーセン会計事務所はその後急成長し、1970年代には世界最大のコンサルティング会社となり、更に1980年代にはビッグエイト会計事務所のトップに上り詰めました。そして、アンダーセン氏がプライス・ウォーターハウスを去って80年後、両社は合併の道を探りましたが、巨大になりすぎていた両社が一つになることは不可能でした。

1989年のアーサー・アンダーセンとプライス・ウォーターハウスの合併話は歴史的にみても非常に興味深いものでした。

(参考資料)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)
『TRUE AND FAIR』(EDGAR JONES)
『ビッグ・エイト』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・信達郎 訳)



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