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【コンサル物語】誇り高きエリートの1980’s プライス・ウォーターハウス(前編)

1980年代アメリカ。大手会計事務所8社(通称ビッグ・エイト)は、顧客であるアメリカ企業同士の合併・買収の波により大きな影響を受けていました。企業の再編は会計事務所が顧客と収入を失うことに繋がる場合があったからです。

1985年11月にゼネラル・フーズがフィリップ・モリスと合併したとき、プライス・ウォーターハウスはゼネラル・フーズをクーパース・アンド・ライブランドに奪われた。同様に、ゼネラル・エレクトリックがRCAを買収したとき、ピート・マーウィックは新しく合併した会社を監査し、トウシュ・ロスはRCAを失った。このような変化により監査費用は純減となり、合併後の新会社の監査費用が合併前の2社の監査費用合計の平均3分の2以下となった。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

今回は1980年代のプライス・ウォーターハウス社の歴史を紐解き、大合併時代を生き抜いた大手会計事務所の一例を見ていきたいと思います。

1890年、ロンドンに拠点を置くプライス・ウォーターハウス会計事務所がニューヨークに支店を設立したのが、アメリカでのビジネスのスタートでした。20世紀前半は他社を寄せ付けない圧倒的な存在感であり、同社からはアーサー・E・アンダーセン氏のような巨人も排出しました(アンダーセン氏は会計士のキャリアをプライス・ウォーターハウスでスタートしました)。プライス・ウォーターハウスは、1960年にピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)やアーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)等に抜かれるまで、アメリカ会計士業界で名実共にリーダーであり続けました。

規模では他社に追い抜かれたものの、1960年代以降もプライス・ウォーターハウスは歴史に誇りを持ち、いたずらに規模拡大を追いかけず伝統的な会計事務所であり続けました。それはコンサルティング分野への進出が他のビッグ・エイトと比べると抑え気味であったことにも表れています。

ところが、アーサー・アンダーセンのコンサルティング重視やピート・マーウィック・ミッチェルの合併・買収による規模拡大等の戦略とは違い、プライス・ウォーターハウスの誇りというものは明確な戦略と呼べるものではなく、プライス・ウォーターハウス自身が危機感を持ち始めました。そして、1979年には経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに会社の戦略評価を依頼しました。

1979年4月、プライス・ウォーターハウスは経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに戦略の評価を依頼した。マッキンゼーのチームは、広範な事実収集に着手し、続いて3つの業務分野の分析を行った。それは、プライス・ウォーターハウスの顧客基盤、顧客ニーズの特定、業界の専門性の分析であった。1980年3月、マッキンゼーはプライス・ウォーターハウスの全社戦略にとって重要と思われる問題について、その後2年間にわたる一連の協議を開始した。1981年5月、マッキンゼーは経営陣に対し、3つの業務分野に関するアプローチ計画を提示し1982年2月に調査を終了した。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

マッキンゼー社へのコンサルティングの依頼は非常に興味深いものです。この事実は、コンサルティング会社がコンサルティング会社をコンサルティングするという意味を持っており、互いに相手へのリスペクトが伴ってこそ成り立つものだったと思われます。

少し話はそれますが、この頃マッキンゼーにコンサルティングを依頼したビッグ・エイト会計事務所はプライス・ウォーターハウスだけではなく、デロイト・ハスキンズ・アンド・セルズ(後のDeloitte)もその一つでした。

(デロイトに変革の風が吹きはじめた1970年代の終わりごろ)デロイトは外部のコンサルタントに助言を求めるなどして、継承問題に関する情報を集めた。このことでマッキンゼーのマネジング・ディレクターであったロン・ダニエルを頼ったが、ダニエルは大企業の経営管理や組織作りの経験が豊富なシニア・パートナーのカッツェンバックが、デロイトのプロジェクトに最適であろうと推薦した。

『ビッグ・シックス』

さて、マッキンゼーの助言後に最初の大きな動きが見られたのは1984年でした。プライス・ウォーターハウスとデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズは、過去に例のないビッグ・エイト事務所同士の合併という話を極秘に進めていました。

1984年秋、2つの大手会計事務所の間で話し合いが始まった。ビッグ・エイトがこのような変化を示したのはこれが初めてだった。デロイトの103のアメリカ事務所と8,000人の従業員、プライス・ウォーターハウスの90のアメリカ事務所と9,000人の従業員、そして海外にある同等の組織を統合すれば、世界最大の独立系会計事務所が誕生することになる。この合併は、強力なコンサルティングサービスを生み出し、監査業務の衰退を食い止め、顧客基盤の補完による相乗効果で成長率を高める効果が期待された。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

勇気を出して決断しさえすれば巨人のなかの巨人になれるーその規模と名声をもってすれば競争で圧倒的優位に立てる。合併の利点として両者ともに、国際業務における相乗効果と大規模化の利益をうたった。

『ビッグ・シックス』

合併議論が公になってからは、巨大会計事務所の誕生のプラス面を協調する声と共に、独占的な地位に対する脅威を警戒する声が同業者から出ることもありました。
最終的にこの合併話は、両社ともアメリカのパートナー(経営陣)には支持されましたが、プライス・ウォーターハウス側がグローバルで強い発言力をもつイギリスのパートナーに反対され、立ち消えとなりました。

プライス・ウォーターハウスとデロイトのアメリカのパートナーは合併を強く支持したが、「ある重要な国」で合意が得られず、協議を打ち切らざるを得なかった。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

アメリカのパートナーたちは合併に賛成したが、強力な存在であるプライス・ウォーターハウスのイギリスのパートナーたちが拒否権を発動した。

『ビッグ・シックス』

プライス・ウォーターハウスにとって劇的な成長が期待できたデロイト・ハスキンズ・アンド・セルズとの合併話は、消滅してしまいました。1890年にロンドンからニューヨークに進出し、90年以上経ってもなおイギリスの影響力は大きく、それがイギリスを本家とする会計事務所の一面でした。

同社の新たな競争戦略は1980年代の後半へと続いていきます。

(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)

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