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Big4コンサルティングの歴史 第14話(日本編)


本編(第14話)のあらすじ

21世紀にBig4コンサルティング(Deloitte・PWC・EY・KPMGの各社)として知られるようになるコンサルティング各社は、日本でどのような発展を遂げてきたのでしょうか。それは戦後の会計士制度設立をきっかけに日本に進出してきた外資系会計事務所の歴史と重なる部分があります。本国の海外戦略と日本のビジネス環境の影響下で発展したコンサルティングの歴史を、PWCコンサルティングを例にご紹介します。

日本でのコンサルティングの歴史(PWC)

第1ステージ(戦後~1990年頃)

日本でのPWCコンサルティングの歴史は、大きく3つのステージに分けることができそうです。第1ステージは戦後から1990年頃までの、会計事務所の中で発展したコンサルティングの歴史、第2ステージはアメリカPWCの資本の下、1990年代~IBMへの売却までの歴史、第3ステージは21世紀に入りコンサルティング会社を再建する歴史となります。

最初に日本におけるプライス・ウォーターハウス会計事務所の始まりについて見ておきたいと思います。

アメリカの会計事務所が日本に事務所を設立するに至った背景には、日本において公認会計士制度が開始されたことが一つにありました。1948年(昭和23年)7月にGHQ(連合国軍総司令部)の主導により、アメリカの制度をモデルとした公認会計士法が制定されました。翌年3月には第1回公認会計士第1次試験が実施されています。

その翌月の1949年(昭和24年)4月にプライス・ウォーターハウスの代理店としてロー・ビンガム・アンド・トムソンズ(LB&T)会計事務所が東京事務所を開設しました。開設時のメンバーはLB&T会計事務所の外国人会計士1名と日本人5名でした。その後しばらくの間LB&T会計事務所として監査業務を行っていましたが、1962年1月にアメリカのプライス・ウォーターハウス社がLB&Tを吸収し東京事務所はプライス・ウォーターハウスの日本事務所となりました。

ちなみに、他のBig8各社の日本事務所設立もこの時代に相次いで行われています。ピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)は1949年、ハスキンズ・アンド・セルズ(後のDeloitte)は1954年、アーサー・アンダーセンは1962年、アーサー・ヤング(後のEY)は1963年、ライブランド・ロス・モンゴメリー(後のPWC)、アーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)、トーシュ・ロス(後のDeloitte)は1964年にそれぞれ日本事務所を設立しました。

プライス・ウォーターハウス社はこのような形で日本で会計事務所を開始した歴史がありますが、一方でコンサルティングについては、1967年(昭和42年)頃に会計事務所内にコンサルティング部門を立ち上げていたという歴史があります。当時、本家アメリカではコンサルティング事業が成長分野と目され、システムコンサルティング分野を中心に拡大をしていましたので、日本でも成長を期待しての部門立ち上げだったのでしょう。

ところが当時の日本は状況が違っていました。日本での主な業務内容は、欧州航路の海運運賃に関する協定であった日欧運賃同盟の計算業務のみであり、システムコンサルティングもたまに仕事が取れる程度で、経営コンサルティングを利用する素地がない日本においてはコンサルティング事業の拡大は非常に難しい状況でした。アメリカではコンサルタントが250名いたのに対して、日本では10~15名しかいませんでした。

このように60年代~80年代前半までプライス・ウォーターハウスの日本でのコンサルティング事業は同社のアメリカの状況とは大きく異なり、大きく成長することはありませんでした。風向きが変わったのは1980年代半ば以降でした。1980年代半ば以降コンサルティング部門は急激な成長を遂げたのですが、そのきっかけの一つとして、1984年(昭和59年)にコンサルティング部門を別会社化したことが挙げられます。

時計の針を20年ほど戻します。昭和40年不況(証券不況)による大企業の倒産と粉飾決算の発覚で、日本政府は監査組織の強化を柱とする制度改正を図りました。1966年(昭和41年)2月に監査法人制度の改正案が国会に提出され、5月に法案可決、7月から施行されています。法律の施行を受けて会計事務所は続々と監査法人化を果たしていきましたが、監査法人になることで経営コンサルティングは提供できなくなるという制約がありました。プライス・ウォーターハウス社を始めとするアメリカBig8各社は、会計事務所内に監査とコンサルティングを抱えている状態でしたので、日本事務所を監査法人化するには色々と検討するべきことがありました。

そのため監査法人化には時間がかかりましたが、プライス・ウォーターハウス会計事務所は1983年(昭和58年)にようやく青山監査法人という名で監査法人化を果たしました。そして、監査法人として社内に抱えることができなくなった経営コンサルティング事業は、1984年(昭和59年)12月に設立したプライスウォーターハウスコンサルタント株式会社(PWコンサルタント)に全て移管され、コンサルティングサービスは監査法人とは別会社で行うこととなりました。

会計事務所から独立したプライスウォーターハウスコンサルタント(株)は1980年代半ば以降、日本を代表する大企業から財務会計パッケージ導入、基幹システム構築、連結決算システム導入、会計システム構築等のプロジェクトを受注し急激に成長を遂げました。

このようにプライス・ウォーターハウス社は日本でのコンサルティング事業を拡大できましたが、コンサルティングの好調はそう長く続きませんでした。バブル景気の崩壊とともにコンサルティングの成長も頭打ちになったのです。

(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』

第2ステージ(1990年代)

1990年代前半、プライスウォーターハウスコンサルタント社(PWコンサルタント)はバブル景気がはじけるとともに業績悪化に陥りました。

1993年6月13日のパートナー・ミーティングにおいて発表された1992年度決算では、MCS部門(PW コンサルタント)が多額の損失を計上し、PWジャパン全体の1992年度決算は、当初予算を大幅に下回る赤字となった。この事態を打開するため、MCSのパートナーたちによって部門再生に向けた方策が講じられたが目立った成果は上がらず、 翌 1993年度の決算ではさらに赤字額が増大した。

『PWCジャパンの歴史』

赤字の背景として、当時のPWコンサルタント社がサービスの軸にしていたシステムコンサルティングの減少が大きく影響していました。顧客企業の業績悪化により情報化投資が抑制され、新規案件の現象だけでなく既に着手していた大型のシステム投資案件等も中断や廃止の憂き目にあっていたということです。1993年〜1994年には社員の1割以上にあたる30名規模のリストラを余儀なくされたという記録が残っています。

PWコンサルタント社は再生に向けて2つの再建策を進めました。1つはアメリカのプライス・ウォーターハウス社への支援強化の要請、もう1つは再建を託せる新たなトップの招聘でした。これを受け、PWコンサルタント社は日本IBMの前副社長をトップに招聘し、青山監査法人等とのパートナーシップを解消、アメリカのプライス・ウォーターハウス社の100%子会社となりました。

新たなトップの下でPWコンサルタント社は、組織改革、人事・報酬制度の改革、そしてデジタル化による情報共有の徹底を行い会社再建を進めました。

オフィスを完成間近の恵比寿ガーデンプレイスタワーに移し、情報の共有化を実現するデジタルオフィスの構築が決められた。移転は1994年9月中旬に実施され、間もなく青山監査法人も合流した。 このオフィスには情報共有用サーバーを核とするネットワークシステムが構築され、全社員がPCによってリアルタイムに情報にアクセスできるようになり、「全社のペーパーレス化」が進んだ。

『PWCジャパンの歴史』

私事になりますが、恵比寿ガーデンプレイスにPWコンサルタント社がオフィスを構えていた頃、オフィス見学の機会があり実際に訪問したことがあります。綺麗に整理されたオフィスには数人が座ることができるテーブルがいくつも並べられ、ノートパソコンに向き合って仕事をしているコンサルタントの方々がいました。周囲には紙の資料が全くなく完全ペーパーレス化が実現されていたと思います。ペーパーレスを後押しするためコンサルタントには固定席はなく、いわゆるフリー座席というものをPWコンサルタント社の訪問で初めて知った記憶があります。

このように、アメリカのプライス・ウォーターハウス社の下で再建を進めていたPWコンサルタント社ですが、当時は、例えばERPパッケージ(SAP等)を導入するためのコンサルティングや、金融機関向けのコンサルティングなどに強みを持っていたようです。

1990年代半ば以降、PWコンサルタントには基幹業務の統合パッケージ(ERPパッケージ)の導入ブームという追い風が吹い た。このパッケージはSAP R/3(SAP)で Windows 95 の発売以降の企業における一人1台のPC環境の進展に伴い、経営資源の有効活用と経営効率化を目指して、大企業が競ってその導入を進めたものだった。PWコンサルタントは、この基幹システムを導入するためのコ ンサルティング(BPR: Business Process Reengineering)に強味を発揮して最有力プレーヤーとなっていった。

SAPビジネスはPWコンサルタントの屋台骨を支える大きな柱となった。

『PWCジャパンの歴史』

また、1998年のグローバルでのプライス・ウォーターハウス社とクーパース・アンド・ライブランド社の合併を受けて、日本でも2000年にプライスウォーターハウスクーパースコンサルタント(PWCコンサルタント)社が誕生しその規模を一層拡大しました。

コンサルティング市場の拡大と合併による会社規模の拡大によりPWCコンサルタント社は社員数1,650名、就職人気企業トップ20ランキング(日経)入りするほどの企業に成長していました。21世紀に入りより一層の成長が期待できましたが、急転直下、PWCコンサルタント社は日本のコンサルティング業界から消滅することになります。IBM社によるPWCコンサルタント社の買収です。

米国エネルギー大手エンロンの経営破綻に絡んで、 会計事務所における監査の独立性論議が再燃したことから、米国のPwCコンサルティングにも買収の話が浮上した。この結果、紆余曲折を経てIBMによる買収が決定し、2002年10月IBMビ ジネスコンサルティングサービスとして再出発した。

『PWCジャパンの歴史』

(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』

第3ステージ(21世紀)

21世紀に入ってすぐに日本のコンサルティングマーケットからPWCコンサルタントという会社は姿を消しました。同時期にアメリカで発生したエンロンスキャンダルの余波を受け、日本でもPWCのコンサルティング部門はIBMに売却されることになったためです。
(厳密にはPWCの監査法人グループにコンサルティング会社は存在していたようですが、こちらはM&A等がメインでシステムコンサルティングはやっていなかったようです)

私自身の体験になりますが、当時勤務していた事業会社では最初PWC社のコンサルタントを利用していましたが、ある時から同じ人がIBMの名刺に変わったことをよく覚えています。また1,600名程いたPWCのコンサルタントの中にはIBMへの売却時に転職した人も少なからずいたようです。当時の日本IBM社はまだまだメーカー色が強く、コンサルティング会社の中には移籍に抵抗がある人も多かったのかもしれません。

さてその後PWC社が日本市場に再び登場するのは2009年になってからです。PWCの監査法人グループが抱えていたコンサルティング部門はM&Aや事業再生などの分野に偏っており、戦略系、プロセス・システム系といった機能が不足していました。IBMに売却した当時のコンサルティング部門の立て直しを図れるような組織は育っていなかったわけです。

そのため、ちょうどその頃アメリカの大手コンサルティングファームのべリングポイントという会社が破産し再建を模索しており、PWCジャパンは戦略系、プロセス・システム系の組織として同社に目を付けました。

2009年2月、米国発の金融危機によってコンサルティング・ファーム大手、ベリングポイント(BP)が日本の民事再生法に当たる米国連邦破産法第11条を申請した。同社は、KPMGコンサルティングとアーサー・ア ンダーセンのビジネス・コンサルティング部門との事業統合によって誕生したファームで、世界30カ国以上に拠点を持ち、1万6,000名を超えるコンサルタントを擁していた。同社の再建に当たっては、米国法人をパブリ ックセンター部門と企業向け部門に分割した上で売却することになり、PwC ジャパンもPwC 米国と共同で入札に参加し、収益性と成長性の高い ビジネスユニットに成長していたBP日本法人の買収に成功した。

『PWCジャパンの歴史』

2009年5月、あらた監査法人(PWCグループの監査法人)がべリングポイント日本法人の全株式を取得し、社名をプライスウォーターハウスクーパースコンサルタントに変更したことで、日本のコンサルティングマーケットにPWCが再登場することになりました。

2000年KPMG会計事務所から分離したKPMGコンサルティング社には約300名のコンサルタントがいました。またアメリカでのエンロンスキャンダルに端を発した2002年のアーサー・アンダーセン会計事務所消滅の余波は日本のアーサー・アンダーセン社にも波及しました。その結果、アンダーセン社のコンサルティング部門の約700名はKPMGコンサルティングに合流することになりました。そして両社から集まった約1,000名のコンサルタントは2002年にべリグポイント社という名の下、日本でのコンサルティング事業を展開していたのです。2000年代の順調な事業拡大によりPWC社に買収されたときには約1,200名にまで拡大していました。

このような歴史を考えると、2009年に再出発したPWCコンサルティング社はKPMGとアンダーセンのコンサルタントで構成されているとも言えて大変興味深いと思います。実際のところ、アーサー・アンダーセン社でコンサルタントになり、KPMG、べリングポイント、そしてPWCコンサルティング社といったように次々とコンサルタントの名刺が変わり続けた人も多くいるようです(本人自身は一度も転職はしていないのです)

さて日本でのコンサルティング事業を再開したPWC社は2014年にアメリカのPWCと歩調を合わせる形で、アメリカの戦略系コンサルティング会社であったブーズ・アンド・カンパニー社(2008年にブーズ・アレン・ハミルトン社の民間部門が分離した会社)を買収し戦略系コンサルティングの組織強化も図っています。

(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』

(第13話)



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