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【コンサル物語】400社に上るコンサルティング会社が誕生した1930年代アメリカ

世界恐慌をきっかけにアメリカで制定された銀行法(1933年)、連邦証券法(1933年)、証券取引所法(1934年)といった法律は、コンサルティング業界を大きく転換させるきっかけになりました。20世紀初頭から財務調査や会計システムといったコンサルティングサービスを提供してきた銀行や会計事務所は、これらの法律によりコンサルティング・サービスの提供を禁止され、その空席をマッキンゼー社を始めとするコンサルティング専門会社が奪い合うという構図になっていきました。これが1930年代のコンサルティング業界の一面と言うことができます。

一方歴史的には会計事務所が後年再びコンサルティングに参入をする訳ですが、それは第二次世界大戦の終わりとビジネスコンピューター時代の幕開けを待つ必要がありました。プライス・ウォーターハウス(後のPwC)やアーサー・アンダーセン(後のアクセンチュア)等の会計事務所は、1930年代のこの時代、むしろ会計士としての仕事が法律によって制度化され確立されたことで、会社の規模拡大を進めることができたと言えるでしょう。

コンサルティング業界に関わる各プレイヤーがこの1930年代をどのように送っていたのか、その歴史に迫りたいと思います。

まずは、空きができたコンサルティングの席に集まってきた会社についてですが、新たな担い手となるコンサルティング各社は、組織のホワイトカラー層と最高経営責任者に狙いを定め急成長し始めていました。アメリカでは1930年から1940年にかけて、経営コンサルティング会社の数は、平均して年15%増加しました。1930年に100社程度であった経営コンサルティング会社は、1940年には400社になり、1940年代には年率10%近くで増え続け、1950年には推定1000社の経営コンサルティング会社が存在していました。

そのような会社から、後に巨大戦略コンサルティング会社に成長する、マッキンゼー・アンド・カンパニーとブーズ・アレン・ハミルトンを中心に1930年代の歴史をみていきたいと思います。

『マッキンゼー』(ダフ・マクドナルド 著/日暮雅通 訳)
『ビジネスの魔術師たち』(ハル・ヒグドン 著/鈴木主税 訳)
『The World's Newest Profession』等から作成

1930年代のコンサルティング提供会社が、それまでの銀行や会計事務所からコンサルティング専門会社に移っていったことがわかる事例があります。当時のアメリカを代表する超大手企業USスティール社の経営コンサルティング会社の活用事例です。20世紀に入ってすぐの頃、複数の鉄鋼会社が合併し誕生したUSスティール社は、全米の鉄鋼業の4分の3を支配する規模でした。

1901年、銀行家のJ・P・モルガンはU.S.スティールが誕生して最初の組織運営を自ら指揮していたが、1935年、U.S.スティールは当時の会長の大学時代の友人であるジョージ・ベーコンに組織運営の指揮を依頼した。ベーコン氏の会社フォード・ベーコン・アンド・デービス社は3年の歳月をかけ、マッキンゼー・アンド・カンパニーなど5つの下請けコンサルティング会社と共同で、最終的に203の報告書を作成した。フォード・ベーコン・アンド・デービス社は、USスティールの組織、戦略、運営に関する提言を行い、1950年代までの投資、労働、管理政策に影響を与えた。

『The World's Newest Profession』

当時は主契約をフォード・ベーコン・アンド・デービス社が結び、下請けにマッキンゼー社等のコンサルティング会社を使う時代でした。マッキンゼー社の役割はUSスティール社の注文処理の改善コンサルティングでしたが、当時のマッキンゼー社の売上の55%を占める規模であり超重要なクライアントでした。

このように、1930年代のコンサルティング業界は新旧の会社の入れ替えや、新たに400社に上るコンサルティング会社の誕生があり、業界的に大転換を迎えた時代でした。また、マッキンゼー社が創業者ジェームズ・マッキンゼーの死後、会計やエンジニアリングサービスから経営コンサルティング中心の事業運営にシフトしたように、後の戦略コンサルティング会社に繋がる形が生まれ始めた時代でもあったのです。

(参考資料)
『The World's Newest Profession』(クリストファー・D・マッケナ)

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