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【コンサル物語】エリート会計事務所(プライス・ウォーターハウス)が認めたライバル(アーサー・アンダーセン)1960年代のアメリカコンサルティング業界

1960年代のBig8(ビッグエイト)会計事務所※のコンサルティング部門について、プライス・ウォーターハウス(後のPWC)とアーサー・アンダーセン(2002年消滅、コンサルティング部門はアクセンチュアとして存続)の状況はかなり対称的でした。プライス・ウォーターハウスは伝統的な会計事務所であることに誇りを持つ一方、アーサー・アンダーセンは会計事務所とコンサルティング・ファームの両立を実践していました。

※1960年代当時、アメリカに存在した8つの大手会計事務所のことで、ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合される

今回は、1960年代に両社の立場が変わりつつあった歴史と、その背景に迫ってみたいと思います。

プライス・ウォーターハウスは1890年に創業の地であるロンドンからニューヨークに進出して以来、20世紀前半のアメリカ会計業界において名実共にリーダーでした。その間のクライアント数や売上は常にトップであり、最初の50年間はプライス・ウォーターハウスの競争相手になる会計事務所は存在しなかったと言えるほどでした。しかし、1960年代に入るとアーサー・アンダーセンが台頭してきました。

Big8会計事務所の中では自社が最も成長していると思っていたプライス・ウォーターハウスでしたが、アンダーセンの成長を数字で比較し、相手が自分達より上であることを知りました。アンダーセンはBig8の中で最もダイナミックでアグレッシブ、かつ急成長している企業として知られていましたが、事実を突きつけられたプライス・ウォーターハウスも、アンダーセンを強い競争相手と認識するようになりました。

1960年代半ばには、プライス・ウォーターハウスはあらゆる面でアンダーセンが圧倒的に強い競争相手であることを認識していた。1965年、アンダーセンのパートナー、オフィス、売上高が掲載された出版物を閲覧し、第二次世界大戦後の成長率を裏付ける要因を探った。同じ20年間のアンダーセンとプライス・ウォーターハウスのデータを比較したところ、「成長という点では、アンダーセンはプライス・ウォーターハウスの上を歩いていた」と結論づけた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

アンダーセン社を設立したアーサー・E・アンダーセン氏は会計士としてのキャリアをプライス・ウォーターハウス社のシカゴ事務所からスタートさせています。1907年のことです。元同僚の成功をプライス・ウォーターハウスも1950年代までは喜び誇りに思っていましたが、1960年代になるとアンダーセン社の成長が懸念になっていきました。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

アンダーセンはプライス・ウォーターハウスと同じように優秀な大卒者を採用していましたが、会社の利益をどんどん新しい人材に投資する戦略をとり、プライス・ウォーターハウス等の他のBig8会計事務所より高い給料と、パートナーへの昇進を早くする道を提供していました。その効果は明らかで、プライス・ウォーターハウスとアーサー・アンダーセンの両社から内定を貰った学生の中には、給料の良さでアンダーセンへの入社を決めていたことがあったようです。

1890年から半世紀以上に渡り、アメリカ会計業界のトップに君臨していたプライス・ウォーターハウスは、常にリーダーとしての誇りと伝統を重視する社風でした。エリート会計事務所としての自負は、時に会社変革の思考を停止させる危険がありました。

(当時のプライス・ウォーターハウスは)極端な話、マーケティングを軽視し、事務所の地位は評判に基づいているもので、それは「記事やスピーチ、良いサービス」、そして既存の顧客や銀行家からの「口コミ」によって促進されるのが最善であるとする古い考えをしていた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

そして、競争相手とするアーサー・アンダーセンとは180度違った考えを持っていました。

プライス・ウォーターハウスの考えとして、会計士は「職業であり、競争産業ではない」と強調した。プライス・ウォーターハウスは、「一部の事務所※が、自分たちとそのサービスをビジネス界の人々に注目させようとする積極的な姿勢」を公に否定していた。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

※名指しこそ避けているが、アーサー・アンダーセンを指していると思われる

プライス・ウォーターハウスにとって、顧客獲得はアメリカで築き上げた名声と顧客の口コミに依存しており、エリート会計事務所の振る舞いとして、他社の顧客に手を出す事を恥としていました。

一方アーサー・アンダーセンは違っていました。創業者のアーサー・E・アンダーセン氏が言うように、会計事務所は監査をして終わりではなく、むしろそこからが始まりなのだと。数字の背後にある実態に目を向けることで、経営者に役立つ報告を提供する(コンサルティングサービスを提供する)ことができるということです。そのため、顧客から相談があれば遠慮なく乗り込んでいきました。プライス・ウォーターハウスが何十年も顧客としている企業に、アーサー・アンダーセンは何人ものパートナー陣が連れ立って乗り込んでいくこともあったようです。正にダイナミックでアグレッシブな全方位型サービスを展開する会社でした。

両社の考え方の違いは1960年代の組織図にも現れていました。

1960年代のプライス・ウォーターハウスは、自らを監査・会計業務を生業とする会計事務所であることを強く意識し、社内の様々な理事会、人事や経理等のサポート部門はすべて監査・会計のための組織でした。監査・会計業務はパートナー陣全体で運営していました。一方、コンサルティング部門は会計事務所の中の一機能に過ぎず、コンサルタントを自由に採用したりすることもできなかったようです。コンサルティング部門の位置づけは、監査をする会計事務所の中にコンサルティングという専門分野を持った人達がいる、その程度に考えられていたのでしょう。何百人ものパートナー会計士を抱える大会計事務所の中で時には会計・監査部門の顔色を伺っていた、なんてことがあったかもしれません。

プライス・ウォーターハウスの監査・会計業務は、税務やコンサルティングのように一つの部門に集約されたり、特定のパートナーが管理するのではなく、さまざまな委員会、部門、サポートサービスの責任者がいて、執行委員会に報告する分権的なシステムになっている。このような組織は、プライス・ウォーターハウスが自らを監査法人であると同時に、2つの異なる、より小規模な専門性を持つ監査法人であるとみなしていたことを反映している。

『ACCOUNTING FOR SUCCESS』

一方、同時代のアーサー・アンダーセンの組織は違っていました。アンダーセンの組織では監査・会計もコンサルティングも同じ一部門であり、両者の関係は上下ではなく並列でした。組織の形に従いアンダーセンは会計事務所でありながら監査・会計業務とコンサルティング業務に同じ様に取り組むことができたのでしょう。当時のアンダーセンの会長は、顧客が望むことは何でもやるのがアンダーセン流だ、として監査・会計業務に特別にこだわる考えがないとしています。その根底は、1913年シカゴで出した、監査・会計業務とコンサルティング・サービスを提供するという会社設立時のアナウンスメントを実践し続けているに過ぎなかったのです。

(参考資料)
『THE FIRST SIXTY YEARS』(ARTHUR ANDERSEN)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN、KATHLEEN MCDERMOTT)


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