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【コンサル物語】会計事務所からプロフェッショナル・サービス・ファームへ ~1990年代アメリカ~

1990年代には、アンダーセン・コンサルティングはアーサー・アンダーセンよりはるかに高い収入をあげるようになった。二つの事業体の契約関係から、アンダーセン・コンサルティングは、アーサー・ア ンダーセンの収入を上回る部分の15%を、アーサー・アンダーセンのパートナー達に支払うようになった。1999年までにアンダーセン・コンサルティングのパートナーからアーサー・アンダーセンのパー トナー達へ支払った金額は累計で10億ドルに近かった。

『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』

1995年度のアンダーセン社の収入と内訳

『闘う公認会計士』

1990年代のアンダーセン社(Andersen Worldwide)は会計(監査・税務)のアーサー・アンダーセンとコンサルティングのアンダーセン・コンサルティング(後のアクセンチュア)で構成されていました。1989年に独立してからアンダーセン・コンサルティングは成長を加速させ、1995年にはコンサルティングの収入がアーサー・アンダーセンの収入を超えました。

アンダーセン社に限らず1990年代のアメリカ大手会計事務所Big6(ビッグシックス)※は本業ではないコンサルティング等の非監査業務の収入の伸びが顕著でした。今回は当時のBig6がコンサルティング拡大にどのように取り組んでいたのかを追いたいと思います。

※Big6(ビッグシックス)
1990年代にアメリカに存在していた大手会計事務所6社。アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・ヤング(EY)、デロイト・アンド・トウシュ(Deloitte)、KPMG、クーパース・アンド・ライブランド、プライス・ウォーターハウスのこと。1997年にクーパース・アンド・ライブランドとプライス・ウォーターハウスの合併により、プライス・ウォーターハウス・クーパース(PWC)が誕生しBig5(ビッグファイブ)となる。

会計事務所にとってコンサルティング事業が切っても切り離せないものだということは、アーサー・アンダーセンの例から分かります。1989年にコンサルティング部門をアンダーセン・コンサルティングとして独立させたアーサー・アンダーセンは、その直後から会計部門内に全く別の新しいコンサルティング組織を作り、コンサルティングサービスを再開させました。そして数年後には1億ドルの収入を上げるまで成長していました。

1989年になると、アーサー・アンダーセンの側でも新しいコンサルティング部門を創設することを考え始め、失った収入を取り戻し、再び成長路線に戻ろうとしたのである。
アーサー・アンダーセンはこの新しいコンサルティング・サービスを積極的に拡大していった。

『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』

アーサー・アンダーセンはすでに、一通りのシステムが作れるコンサルタントを数百人採用し、監査部門の中に非常に小さなコンサルティング部門を作っている。

『ビッグ・シックス』

アーサー・アンダーセンの訴訟コンサルティング収入は、1993年度に1億ドルを超え、過去5年間の年平均成長率は30%である。

『闘う公認会計士』

この時代はアンダーセン1社だけではなく、他のBig6においてもコンサルティングが大きく伸びていることが分かります。

1995年度のBig6の収入内訳と伸び率

『闘う公認会計士』より作成

上記のような1990年代におけるBig6各社のコンサルティング拡大の動きについて、具体的にどのような事をおこなっていたのでしょうか。いくつかの事例をご紹介したいと思います。

  • アーンスト・アンド・ヤングはコンピュータ支援ソフトウェア・エンジニアリングへの進出を開始し、企業向けの経営システムおよび戦略立案サービスを提供するようになった。(EY)

  • 1996年にはインドのタタ・コンサルティングと提携。同年、銀行業界のコンサルティングにも参入。また、企業買収により石油・石油化学コンサルティング事業にも進出した。(EY)

  • 1990年代に入ると、経営コンサルティング事業の落ち込みを緩和するため、データ処理アプリケーションを使った補完的サービスに乗り出した。(Deloitte)

  • 1992年、経営コンサルティング・サービスを拡大するため、デロイト・アンド・トウシュはソフトウェア会社と業務提携を結び、さまざまな経営問題に対するコンサルティング・サービスなどのソフトウェア・アプリケーションを提供した。(Deloitte)

  • コンサルティング業務の成長を促進するため、1995年にデロイト・アンド・トウシュ・コンサルティングという新しい事業部門を設立(Deloitte)

  • 1999年5月、カリフォルニア州サンノゼを拠点とするSoftline Consulting & Integrators, Inc.を買収し、コンサルティング事業を拡大した。(KPMG)

  • クーパース・アンド・ライブランドとプライス・ウォーターハウスの成長の最も重要な要因は、米国でのコンサルティング・サービスの拡大に成功したことだ。両社とも、特定の業界へのサービス提供に注力し、その分野のスペシャリストとなった。クーパース・アンド・ライブランドは主に製薬、保険、通信業界のクライアントにアドバイスを提供し、プライス・ウォーターハウスは銀行、メディア・娯楽、石油・ガス業界に特化していた。(PWC)

  • 合併後のプライス・ウォーターハウス・クーパースの売上高は16億ドルに達し、コンサルティング収入ではアーサー・アンダーセンに次ぐ第2位となった。(PWC)

『company-histories.com』

このようにコンサルティングは拡大していく一方で、監査での収入は頭打ちが続き、1990年代にはBig6全体の収入において遂にコンサルティング等(非監査業務)の収入が本業(監査業務)を上回るという状態になりました。

急速な拡大の結果、1992年までに、ビッグ6会計事務所の非監査業務からの収入(62億ドル)は、企業監査からの報酬(53億ドル)を上回った。

1990年代後半になると、コンサルティングによる収入が10年以上にわたって2桁の伸びを示した

『The World Newest Profession』

コンサルティングを中心に被監査業務を拡大するため、従来の会計士に加えてコンサルタントや弁護士を何千人も抱えていた事務所は、もはや会計事務所という枠を超え、プロフェッショナル・サービス・ファームと呼ぶのが相応しくなっていた言えます。

1990年代、本業としてきた会計監査を凌ぐビジネスを生み出したBig6各社。勢いそのままにその後はコンサルティングを中心に据えることも可能だったはずです。ところが歴史は違っていました。Big6のコンサルティング部門は21世紀に入るや、多くが売却され、それぞれ新しい社名でコンサルティングサービスを提供するようになっていました。なぜそのような道をたどったのでしょうか。コンサルティングを伸ばせば伸ばすほど、会計監査とコンサルティングを同じクライアントに提供することが利益相反の点で許されなくなったことは理由の一つとして考えられます。ただ理由はそれだけでもなかったようです。

SEC(会計事務所を監督する証券取引委員会)からの圧力、コンサルティング部門のパートナーからの内部圧力(資金要請等)、そしてコンサルティング部門を売却すれば数十億ドルという大金を手にすることができることを知り、Big5の会計監査部門のパートナーたちはコンサルティングから身を引き始めた。

『The World Newest Profession』

Big6からコンサルティング部門が消えた2002年までの歴史を次回は追ってみたいと思います。

(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『名門アーサーアンダーセン消滅の軌跡』(S・E・スクワイヤ/C・J・スミス/L・マクドゥーガル/W・R・イーク 平野皓正 訳)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)
『company-histories.com』


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