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【コンサル物語】コンサルティング部門の組織化 -1940年代-

1920年代までにほとんどの大手会計事務所がコンサルティングサービスを提供していましたが、それは独立した部門ではないことが多く、会計監査を行っている部門の一サービスとして提供していることが多かったのです。第二次世界大戦中もしくは戦後に、会計事務所各社はコンサルティングサービスを行う独立した部門を組織化し始めました。


例えば、1942年のアーサー・アンダーセン社(後のアクセンチュア)、1946年のプライス・ウォーターハウス社(後のPWC)、1948年のアーンスト・アンド・アーンスト社(後のEY)などです。会計事務所におけるコンサルティング部門分離の歴史について見ていきたいと思います。


1942年にアーサー・アンダーセンはコンサルティングを専門に行う組織「管理会計」部門を設立しました。その背景には、アーサー・アンダーセン経営陣の先見性がありました。第二次世界大戦中、軍隊や政府ではデータ収集や会計領域において機械化が一気に進んだことで、そこで働いていた人たちが、戦後、民間企業に戻るとき、必ず企業会計の業務においても機械化の波が押し寄せるだろうと考えました。そのためアーサー・アンダーセン社は、戦争が終わる前からコンサルティング事業展開の準備を始めたのでしょう。戦争が終わる頃には他の会計事務所のずっと先に進んでいました。


アーンスト・アンド・アーンストでは、第二次世界大戦の数年前にスペシャル・サービス部門という部門を設立していますが、この部門は税務アドバイスと経営コンサルティングを専門としていました。1948年にはスペシャル・サービス部門はマネジメント・サービス部門に改編され、その名の通り、データ処理、オペレーションズ・リサーチ、組織・人事、会計・予算、マーケティングなどに関する知識や経験を、顧客企業に提供することを目的とするようになりました。マネジメント・サービス部門のおかげもあり、1940年から1949年にかけて、アーンスト・アンド・アーンストの売上は2倍以上になったようです。


会計事務所は歴史的にコンサルティング積極派と慎重派に分かれます。上記のアーサー・アンダーセンやアーンスト・アンド・アーンストは積極派で、こういったグループの考え方は、監査とコンサルティングはワンパッケージであるべきだというものでした。そのほうが良いサービスが提供できるし、それは顧客側も望んでいることだと考えていました。


そんな積極派を1920年代から牽制し会計監査の独立性を保とうとしていたのが、業界のリーダーを自負していたプライス・ウォーターハウスという関係でした。ところが、慎重派プライス・ウォーターハウスもコンサルティング再開に向かう会計事務所各社の動きや当時の事務作業機械化の動向から、事業拡大のチャンスを逃すことは出来なかったのでしょう、1946年、ついにコンサルティング部門を設立することを決定しています。

(参考資料)
『ACCOUNTING FOR SUCCESS』(DAVID GRAYSON ALLEN / KATHLEEN MCDERMOTT)

『THE FIRST SIXTY YEARS 1913-1973』(ARTHUR ANDERSEN & CO)

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