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スタンドバイミー的体験


今、子ども時代真っ只中の人も、かつて子どもだった人たちも、ほとんどの人が憧れる体験が、映画「スタンドバイミー」の少年4人の冒険のシーンには、詰まっていると思います。


休日の昼過ぎ、遅めのお昼を用意してたところに、朝から遊びに出てた四男が「ただいまー!」と元気に帰ってきました。

手には大きな買い物袋。

「いい買い物できたわ〜♪」とルンルンでスケッチブックやコピックのペンをご機嫌で見せてくれる四男に、「?」となる私。

「あれ?遊びに行ってたんちゃうかった?買い物行ってたん?ってか、その買い物、もしかして画材屋さんまで行ったん⁈」

話しを聞くと、友達と3人でバスに乗って画材屋まで絵を描く材料の買い物に行ったとのこと。
1人はスマホを持ってるけど、行き方の調べ方は分からず、3人とも画材屋の方向だけはなんとなく(笑)分かるので、「たぶんこれで行けるやろう」と来たバスに乗ったとのこと。

(そういえば、出かける前「画材屋さんに行きたいなー。自転車で行けるかなー。」と呟いてたけど、「行ってくる」とは聞いてなかったし、特にこちらも突っ込んで確認してませんでした。)

最初は遊んでた。

普段から漫画を一緒に描いてるメンバーだったから、このまま買い出しに行こうか。との話しになった。

自宅周辺から7kmほどのところにある画材屋に自転車で行こうとした。

遠いな。道分からんかも。

じゃ、バスで行こうよ!よっしゃー!

どこで降りる?

外見てたら分かるやろ。

ワクワクするなー。

あ!この辺ちゃう?降りよう!

あっちに歩こう。

あ!あったー!

四男のお喋りを要約すると、こんな感じで出かけたようです。
降りるバス停も分からないのに、勘でバスを選び(笑)、景色を見て当たりをつけて降りるという、なんとも感覚だよりなこのお出かけ。
そら、ワクワクしたよね。
この何にも把握されず管理されず、自分と友だちとで決めて行動する自由な時間。

もう小学6年生という年齢でもあるし、無事帰ってきての事後報告だから、こちらも「へー、それは楽しかったやろう。良かったね。」と面白く聞けたというのもあります。
それに、1人はスマホを持っていたから、困ったら電話したら〜という安心感があっての行動というのもあるでしょう。

でも何より、この話をする四男の様子がこちらも楽しくなっちゃうくらいの上機嫌で、冒険というにはあまりにもささやかな時間だけど、それでもどれくらいワクワクしたのかどれくらい楽しかったのかが伝わってくる笑顔を見て、「良い時間だったんだね」と思いました。

今回のお出かけを事前に聞いていたら、バスの路線を調べたり、財布の確認だったりと、もしかしたら手を貸したかもしれないし、把握しときたい気持ちが私自身にもよぎったかもな、と思うのです。


「どこに誰と遊びに行く」というやりとりを徹底出来てない我が家の至らなさは横に置いとくとして、遊びから帰ってきた四男の様子や話しで、「えっ⁉︎」とびっくりする事が時々あります。

「公園に遊びに行ってくる!」と出かけて、帰ってきた四男は、頭から靴の先までずぶ濡れだった事があります。
「水遊びしたん⁉︎」と聞くと、「うん!川遊び♪」と満面の笑みでの返事。まだ春先の事です。

一度しかない少年時代。思いっきり遊べ!と普段から言ってるし、願っています。
ずぶ濡れも泥んこも大歓迎。
でも、もちろん、「下手したら、、、」と不安や心配も胸をよぎります。
折々にどういう危険が予測できるか話す事もあるし、暗くなっても遊びに夢中で帰って来なかった時などは、思いっきり叱ります。どうしてダメなのかも話します。

前に川遊びをして服ごとずぶ濡れで帰って来た時、もっと上流に行こうと1人が行ったけど、「ここから先は大人が要るやろ」とストップかけて帰ってきた。という話しを聞いた時は、「その判断はgoodだよ!」と言いました。
こういうやりとりから、まだ危なっかしいな、とか、本人に任せて大丈夫やろな、とか、こちらも判断のラインが測れるようになります。
私自身、いつも自信たっぷりなんかじゃなくて、どこで心配な気持ちと折り合いをつけるかは、揺れますけどね。

それでも、スマホを常に手にする前に養われる感覚や体験を出来るだけして欲しいな、と私は思います。

いざという時の判断や強さには、体験という材料が必要と思うから。

臨床心理学者の故河合隼雄さんが、著書の中で、こんなふうに書いていたように記憶しています。
「子どもは小さな大人じゃない。子どもは子どもという生き物なのだ。」

初めてって、素晴らしい。誰かに用意されたものじゃない、自分で行動した時のワクワクって最高。そんな少年時代の一コマを息子から垣間見えたエピソードでした。

(西垣)

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