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しあわせは見つけるんじゃなくて、 すでに手のひらの中にある

 「わたし、ヨガの先生をやめようと思ってる」
ヨガの先生をやっている友だちがさらりと言いました。

ヨガとの出会い

その友だちとの出会いは、彼女が開いている「子連れOKママヨガクラス」に
生後5カ月の息子と通ったのがきっかけで、友だちになりました。20年近くヨガを続けているそうです。産後の体調の悩みも相談できるし、なにより赤ちゃんとママが同時にリラックスできる「地域密着型対面ヨガ教室」は癒しの空間でした

当時、生後5カ月だった息子は今では小学1年生になり、すっかりヨガ教室に通わなくなってしまったのですが、ときどき彼女のブログやインスタを見るといろんなことに挑戦していて、こころから応援していました。


折しもコロナがあり、対面レッスンが開催できない日々が続いたようで、オンラインヨガ教室に切り替え、とてもがんばっていました。生徒さんも減りレッスンが少なくなったために、ヨガ以外のメンタルコーチのレッスンを開催したり個別コーチをしたり、フル活動で走りまわっていたようです。

夏のできごと

「実はね、夏にコロナにかかって11日間入院したんだ」

彼女は11月になって、そっと打ち明けてくれました。それまでまったく知らなかった私は返す言葉もなく「たいへんだったね」「元気になってよかった」「たいへんだった」このくり返しばかりです。

彼女には家族もいますので、すこし体調が変だなと思っていても、家事に仕事に自分の体力と健康を過信していたと言いますそして、キャパオーバーになっても「自分はまだ大丈夫だと思っていた」と言いました。
高熱が続き、だんだん息苦しくなって、いよいよおかしいと思ったときには保健所の方にすぐ入院してくださいと言われ、重体だったそうです。

本人の症状は深刻で、結果11日間入院。酸素ボンベで呼吸したとき、はじめて「呼吸がラクだ」と実感したと語っていました。

完全隔離状態


入院中の11日間、彼女は完全隔離状態。ひとりベッドの上で過ごした経験をゆっくり、ていねいに語ってくれました。

水も飲めない、もちろん食べる元気もない、排せつは隔離された空間の中で容器の中に入れる、病院の窓の外は隣のビル。スマホも見れない。読書はできたけれど、テレビもないし、聞こえてくるのは自分の心臓の音と、病院の音だけ。声もしない。そのうち、自分の記憶が遠のいていくのが分かったと言います。「あぁ、最期なんだな」そう思ったそうです。

この話を聞いたとき、村上春樹さんの小説に出てくる【井戸に入る】という表現を思い出しました。自分で自分の中に深くもぐっていく状態に似ているような気がしました。

この間、医療従事者のみなさんのおかげで少しずつ体調が回復してきて、12日目にはじめてお茶を飲んだそうです。そして12日ぶりに口にしたお茶が、こんなにもおいしいものかと、ただただ生きていることに涙が出たと言いました。

そのほか「歯みがきができるしあわせ」「トイレでふつうに排せつができるしあわせ」そしてなにより「歩けるしあわせ」がうれしくて、そのたびに涙が出たそうです。

まるで赤ちゃんが寝返りした!とかハイハイした!とかそんなイメージに近いくらい、ちょっとしたことに感動し「隔離された入院期間中、自分は生まれ変わった気がする」と、最後に彼女は言いました

あたりまえの生活の中にあるもの

まだまだ、コロナで苦しい思いをされている方もいらっしゃいます。そして医療現場の方がたのご苦労も続いています。ただそんな中でも、彼女の話を聞いて「あたりまえの生活の中にしあわせはあって、それに気づいて、たいせつに思えることが、いちばんのしあわせなんじゃないかな」そう思ったら、十分満たされているあたりまえの生活に感謝がわき上がってきました。


人生の方向転換

生きているしあわせを、自分のちからで満たせたとき、人は人生の方向転換をするのだと思います。そして自分を満たし、あふれた出た気持ちが、今度は他者への利他に変わっていくのだと思います。

彼女はヨガの先生を卒業します。
彼女はわたしと同世代の40代半ば。

人生のゴールに向かっているのなら、いろんな場所に向けてなんども方向転換してもいい。だってもう、しあわせは自分の中に持っているのですから。

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