元不登校の実話③中野さん(仮名)の場合。完結編
前回までのお話です。
今の現状を変えようと思えた中野さんですが、学校へ自力で行くためにアルバイトを始めたのですが、いったいどんな出会いがあったのでしょうか。
今回で完結です。
どうぞ、最後までお付き合いください。
必要性を感じたからアルバイトの面接。
情報がない。
ずっと家にこもっていたので、アルバイトをどうやって探したらいいのか、どうやったらアルバイトできるのかが全く分かりませんでした。
とりあえず、両親に高校へ行こうと思ってること、そのためにアルバイトを始めようと思っていることを伝えました。
それから、父も母もアルバイトの雑誌や広告を僕に渡してくれるようになりました。
その辺りから家族での会話が増えて、食事も一緒に過ごすようになりました。
正直な気持ち、自分が学校に行ってないことが後ろめたく、父と母に申し訳なく思い、逃げていたのだと思います。
前進すると決めた瞬間、僕は生きる事への恥じらいが消えました。
学校にいくんだ。そのためにお金を稼ぐんだ。
そうやって必要性が生まれて、ひきこもりの状態から脱却できたのだと思います。
不安はありましたが、それよりも、期待が勝りました。
そのおかげで、人生初のバイトを熱帯魚ショップですることができました。
うまくいかないことが多いと知る。
魚が好きだからという理由で、熱帯魚ショップでアルバイトを始めました。
魚に囲まれるのは本当に幸せでした。
しかし、仕事というものはそれだけではありませんでした。
接客、発注作業、品出しなど、引きこもりから前進し始めた僕にはとてもきつかったです。
スタッフの方々のサポートや理解もあり、なんとか働けたのですが、3ヶ月で辞めました。
この時、やっぱり何をしてもうまくいかないんだ。
とまた、負のループにはまりました。
とても辛かったです。
一度前進すると立ち直りが早い。
熱帯魚ショップを辞めたショックからは1ヶ月ほどで立ち直りました。
「やる気スイッチ」みたいなものの入れ方がわかったからです。
そして、次は歩いていけるスーパーの鮮魚コーナーでアルバイトを始めました。
通勤に全然時間がかからないということ、鮮魚コーナーでの作業なので接客をしなくていいことが僕にはまりました。
半年が経ち、1年が経った頃にはすっかり働く体になり、引きこもっていたなんて嘘みたいに感じるほどでした。
その頃には、父も母も以前の様子に戻っていました。それどころか、教育熱心だった姿も見られなくなり、ガミガミ言われることが一切ありませんでした。
この時母は、「この子にはこの子の生き方がある。」と心から思えたそうです。
そして僕は、通信の高校へ行けるほどお金が貯まりました。
スーパーで働きながら高校へ通うことは大変でしたが、鮮魚コーナーの仕事と通信制の学校がぼくには合っていて、続けられることができました。
この生活を続けている中、僕は魚をさばいて、店頭に商品を並べるほどにまで成長していました。
鮮魚コーナーでの仕事がとても好きになっていました。
だから、大学に行くという目標は、いつしか鮮魚コーナーで働くというものに変わっていました。
私は、高校の卒業を控えたある日、店長にここで働きたいことを話しました。
すると、今までの勤務態度などを認めてもらい、社員に登用してもらえることになりました。
それで初めて、生きていて良かったと心から思えました。
自分が誰かに認められて、必要とされ、自分でも素直に喜べたことに涙が止まりませんでした。
父も母も涙を流して喜んでくれました。
本当に迷惑をかけたと思います。
母がおかしくなるまで追い詰めていました。
父も精神的に限界だったと思います。
今では感謝しかありません。
不登校から引きこもりになり、長い時間がかかりましたが、ようやくもう大丈夫と思える日がやってきました。
今もその状態は続いています。
不登校の辛い経験はよかったとは思いませんが、今の人生は不登校にならなければ歩めなかったので、その点ではよかったなと思います。
人生はどうなって、どう転ぶかわかりません。
今の状態をずっと続けることの方が難しいのかなと思います。
それが、僕の経験を通して言えることです。
参考になってもらえたらうれしいです。
終わり。