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Many Chain letters (1-2通目) | 「住宅の庭」

 2020年7月にメニカンが公開した「Many Kitchens Vol.2」では橋本・寺田によるキッチンにまつわる往復書簡を掲載しました。多方から「この形式を続けてみたらどうか?」という意見をいただいたこともあり、別企画「Many Chain Letters」として往復書簡を再開します。今回は「住宅の庭」をテーマとした往復書簡の1〜2通目を公開します。全何通になるかは、まだ未定ですが皆様の感想なども取り入れつつ建設的な議論の場になればと思います。

1通目

寺田さんへ

 前回のキッチンにまつわる往復書簡では、国内外の現代建築の事例を挙げながら建築意匠全体の問題に繋げようと試みました。「Many Kitchens」ではジン全体を通して、近代以降のキッチンを問い直しました。今回も建築を設計をしているときに画一的に捉えてしまいがちな形式を、もう一度捉え直す機会になればと思います。
 さて、寺田さんと今回議論してみたいのは「住宅の庭」の話です。現在の日本では一部の商業地域を除き、建ぺい率が指定されているため、建築が敷地に立つ際には否応もなく余剰の空間が生まれます。住宅であれば、建ぺい率が60%ならば敷地の40%は建物でない空間(駐車場、隣地との隙間、園芸、テラス)になるでしょう。このような建物以外の空間を仮に「庭」と呼んで話してみたいと思います。
 これまでの典型的な住宅地開発は南側に庭を取り、そこでガーデニングを楽しむという形式を取っていました。いわゆる建築誌が庭の特集を組む場合でも、植物が生き生きと育つ見事な庭が並んでいる事例が並ぶことが多いです。しかし現代においては共働き増加などの原因により、庭の管理は時間を有意義に使う趣味から、伸び続ける植物をやりくりするコストに変わりつつある世帯も多く存在します。例えばこの問題に向き合っている案として、松岡聡・田村裕希《コートハウス》(2018年)があります。《コートハウス》では建物を中心に置き、細分化され、雑草や木々の剪定などが楽に行える小さな庭を周りに配置することで、植物管理のコストを抑え、窓が隣地住居と近接して開けづらくなる隣地境界への緩衝材としても庭が機能するような提案をしています。そのような従来の配置、素材を問い直すような試み、ある種の現代のリアリティを感じました。
 様々な「庭」を考えることはリモートワークが進み始めた現代において、住空間を考える上で重要な課題になるように思います。まず雑な投げになりますが、この辺りから話を始めてみるのはどうでしょうか。

橋本

2通目

橋本さんへ

 キッチンにまつわる往復書簡は、少し急ぎ足になってしまいましたね。それでも往復書簡というフォーマットはゆっくりとトピックを深めていくにはいい形式だなと思いましたし、実は前回のやりとりのあと、ブルーノ・タウトらによる”crystal chain letters”というものを知りました。彼らは第一次大戦直後のトラウマと社会不安のなかで、実用性に縛られることなく、理想的な社会と有益な建築のヴィジョンを書簡上で共有していたようです★1。なんだか心の落ち着かない世の中ですから、こうして文字でゆっくりと議論を深めていくことは、それが別に幻想的・ユートピア的でなくても、ちょっとした安らぎを提供できるのではないかと思っています。
 さて、「キッチン」が極めて実用的なトピックであったのに対して、橋本さんのいう建物以外の空間としての「住宅の庭」は残された空間といいますか、未定義な場所といった響きがあって、いろいろと想像をかき立てられます。
 《コート・ハウス》は隣地との境界際の狭い隙間を機能的な小庭(ゴミ置き場、物置、坪庭、布団を干す場所、駐輪スペースなど)と読み替え、管理負担の少ない外部空間をつくり出しているのですね。この場合、外部空間には全て機能を与えてしまって、残された未定義な空間を中央の「コート」と呼ばれる室内空間に移しています。このとき、管理負担の大きい外部の、従来の庭はほとんど消失し、概念としての庭が室内に埋め込まれているとも言えそうです。
 一方、管理負担が少なく、未定義な外部空間としての庭ですと、佐藤光彦氏の《西所沢の住宅》(2001年)を思い浮かべました。この場合、庭は土間コンで仕上げられ、室内と一続きであり、植栽があるのは1500角の植栽用開口の部分と、室内と同じ高さで続くRCの立ち上がりと隣地境界の隙間の部分のみで、ドライな庭に設られています。道路側も庭側もすべて掃き出しの引き違い窓で、これも一種の庭(外部)の室内化と呼べるのかもしれません(というかお施主さんの住み方、インテリアのあり方が強烈というか、非常に魅力的な建築だからかもしれませんが)。
 こうした庭のあり方、少し時代を遡ると坂本一成氏《代田の町家》(1976年)にも近いものを感じませんか?あるいは「典型的なガーデニングのための庭」以外の事例だと伊東豊雄氏《中野本町の家》(1976年)、青木淳氏《c》(2000年)のほったらかしの庭も気になります。管理負担という面ではだらしない庭というのもあってもいいし、翻って《コート・ハウス》にも一種のだらしなさが都市に開かれているような感じもあります。さらにいうと、そうしただらしない庭が室内に侵入してしまっているような事例もありそうです。

寺田

★1 似たような試みだと、Steven Hollが1978年にはじめた”pamphlet architecture”というのもあります。



※最後までお読みいただきありがとうございました。
 本書簡に続く3-4通目はこちらから↓


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