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「●●の女」と呼ばれる人にはなりたくないなぁ

うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているのでそう呼ばれているのだ。
むらさきのスカートの女/今村夏子


「むらさきのスカートの女」はこんな一文から始まる。

むらさきのスカートの女は週に1度、パン屋でクリームパンを買い、公園の「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチ(南側に三つ並んでいるうちの、一番奥のベンチ)でそれを食べる。
彼女を商店街で見かけた人の反応は「知らんふりをする」「サッと道を空ける」「ガッツポーズをする」「嘆き悲しむ」の大きく4つ。むらさきのスカートの女を1日に2回見ると良いことが、3回見ると不幸になるというジンクスがあるらしい。

いるいる。そういう“街の名物”的な、ちょっと異様な存在感を放つ人。

K市に住んでいた頃、よくすれ違っていた(アルフィーの高見沢さんの髪と服を黒くしたような)バンドマン風の男性を思い出した。
いつもお母さんらしき年配女性と2人で歩いていたんだけれど、夏でも黒い長袖・長ズボンという格好で、なんだか異様な2ショットだったんだよなぁ。

そんな一風変わったむらさきのスカートの女の、不思議な日常が書かれた物語なのかと思っていた、途中までは。

読み進めているうちに「ちょっと待てよ」と思い始める。
主人公の「わたし」の様子がちょっとおかしい。

毎日、むらさきのスカートの女の行動をひたすら観察している「わたし」。(友達になりたいらしい)
求人情報に掲載されている、自分の職場(ホテルの清掃スタッフ)の欄に丸を付けて、むらさきのスカートの女専用シートにさりなく放置する「わたし」。
まんまと、じゃなかった、せっかく同じ職場で働けることになったのに、友達になれず、ただただむらさきのスカートの女を観察し続ける「わたし」。

こ、こわい。
身近にそんな人がいたらと想像すると、ちょっと背中がぞくっとする。

「わたし」がむらさきのスカートの女と友達になりたいのは、きっと自分とよく似ていて、「彼女だったら自分を受け入れてくれる。理解してくれる」と思っているからだ。

なんとなくだけれど、孤独感が強い人には、思い込みが激しい人が多いという印象がある。

まぁ、これもわたしの勝手な思い込みだけれど、ホテル清掃の仕事をはじめてからのむらさきのスカートの女の変貌ぶり(大きな声で挨拶ができるようになり、香水ぷんぷん漂わせ、ついには妻子ある上司とお付き合いまで)からしても、やはり人は、ちょうどいい距離感は人によって違うものの、他者とふれ合いながら生きるすべを身に着けて行くものなんだなと思う。
大人になっても。

まったく関係ないけれど、明治33年創業の桜木町「川村屋」のかき揚げそば。立ち食い蕎麦屋に1人で平気で行くけど、と言った時に共感し合えない人とは、あまり仲良くならない傾向があります。


自分は超がつくほど、“ひとりでいたがり”なので「“いつもすっぴんジーンズなのに爪だけ派手女”とか呼ばれないように気をつけよっと…」と思ったりもしたのでした。

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