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地域に愛される街の食堂って、簡単に言うけれど ありがとう南原食堂。またね!

フードコンサルタントのお仕事で初回の相談で、「どんなお店を目指しますか」と聞くと「地域に愛されるお店を目指しています」と言われる。

もう、何度も聞いたセリフ。

山と言ったら川
開けと言ったらゴマ

と合言葉の掛け合いか、
短歌のように上の句、下の句でセットになってるか。

そんな感じで、誰もが目指すなまじないのようなもの。

でも、地域に愛されるお店。
具体的にどんな店なのか。

よくわからない。
地域に愛される店ってなんなんだろうと、よく思っていた。

ここのところ、こういうことだな。という店があったことに気づいた。私にとっては、身近すぎて、灯台下暗しのようになっていたのかもしれない。

誰かが大垣に来た時、どっかいいお店ない?と聞かれた時、なんとなく気持ちが落ちてる時、嬉しい事があった時に行くお店。

南原兄弟が二人で営む。大垣の南原食堂

コスパもよく、味も見た目も定評がある
毎日、メニューが黒板に書かれ、Instagramに流れる

定休日以外もふらりと休むことも。
行ったら休みと言うことも度々ある。

この写真にある通り、月曜定休日+てきとう休み。
てきとう休みが普通では考えられないほど長期に渡ることもある。
1ヶ月だったら早い方。3ヶ月以上開けないなんてことも。

店主である南原さんの気分次第で営まれる。

メガネだけがスイカに残され本人不在。
数日休む

コロナ禍で、感染防止のために休むということではなく。
元々、そういう店だった。

普通は、1ヶ月も店を休むとなれば、店主の立場なら
再会した時に、お客さんは戻ってくるだろうかと心配になる。

それが、南原さんは実に軽やかに休む。

旅に出ます。

スナフキンかフーテンの寅さんかのように
すっと姿を消す。

そして、しばらく経つと、Instagramに再開しますと流れる。

不思議だけど、お店を再開すれば
常に満席。

長く休んでもお客さんが待ってたよと声をかけ、どこに行ってたの。と会話が始まる。

私の場合、大抵はふらっと一人で行って、店主の南原さんと一言、二言会話をする。

お客さんを連れて行ったことも、両親を連れて食事をしたこともある。

大学院の仲間と大きな山場を超えた時、研究に行き詰まり苦しい時にもお世話になった。

私とは時期は違えど、同じ大学院で過ごした事のある南原さんは、大学院の先生たちからも愛されて食事をしていると、後ろで先生がいるという大学の食堂のようになっていた。

これは、南原食堂のルーツに関係する。

元々は、大学院の在学中に南原さんが同期の仲間と住んでいたシェアハウスからはじまった。
彼が料理を作り、最初はシェアハウスの仲間。
学内の学生、先生や大学の職員、そのうちにその友達と南原さんが直接知らなかった人へと広がった。

大学院の学生の多くは、県外出身や留学生で大垣出身の学生は、ほとんどいない。
地域との関係性は、薄かったはずだ。
南原さんが作る料理が美味しかった。
だけではない、どんなに味が良いモノでも、居心地やその時の会話。他のお客さんの雰囲気がある。
南原さん兄弟の人柄が関係あると思っている、彼らは体調を崩すと体調イマイチなので休みます。
とInstagramに投稿する。

体調が微妙な為お休みをいただきます
お疲れのためおやすみです

正直でひょうひょうとし、弱さも見せる。南原さんの生き方がお店にも現れている。

彼の独特な人との距離感

南原食堂をいい加減にやってるわけではなく、仕事として飲食店をしているというより、人を繋ぐ場を作る彼のアート作品である。

食事をしたいというよりも、南原さんに会いに行くという人が集まっている。

車を持っていなかった南原兄弟が、どうやって仕入れに行っているかも不思議だった。

閉店後にお店でもよく見る方が、来て。
どうしたのかなと思ったら、一緒に買い物に出かけて行った。
大きな買い物をしたい時は、お客さんにクルマで一緒に行ってもらい、運んでもらうという事もしていたのだ。

お客さんからもらったという珍しいお菓子や野菜をお裾分けでいただく事もあった。
彼らは、いろんなものをよく貰っていた。

時に弱さを見せる彼らに何かしてあげたいという、親心のようなものを見せる人も現れていた。
それは、南原さんに何かしてあげたいというよりも、彼らに何かをしてあげる事で、離れた場所に住む家族を投影し、それが自身を支えているのでは、ないかと考える。

困っている事があれば、彼からも相談されるし、私が困った事があれば手伝ってくれたり、南原食堂に来るお客さんが力になってくれそうな人を引き合わせてくれた事もあった。

ちょいみせキッチンを改装した時は、休業中の南原さんが窓を塗装してくれたし、冷蔵庫を搬入する時に召集した事もある。
ちょいみせキッチンでフードイベントをした時にはサンマを焼いて手伝ってくれた事もある。

七輪でサンマを焼く

たまたま、暇だったからと来てくれる

私が彼と出会ったのは、ちょいみせキッチンのオープン準備をしている時に、保護猫イベントでお世話になったことのある大学院の先生に、私の学校の卒業生がやってる食堂に行こうとランチに誘われた時だった気がする。

そこで話されたのが、来年新設されるという大学院の社会人短期コースの話。驚いた事に、私に入学を考えないかという事だった。

その頃、サンドイッチをみんなで作って食べるという活動をしていた。その拠点としてシェアキッチンを作ろうと企んでいた頃だった。

大垣にIAMASという大学院がある事も知っていたし、一緒にプロジェクトをした事もあったので、何人かの先生は知っていた。AIとかキラキラ何かを光らせたりして、最新の技術を使ってアート作品を作っている少し変わった大学院という事ぐらい。食のことしかわからない私には、一番縁遠いと思っていた。

南原くんもこの南原食堂をテーマにして、卒業したの。あなたがやってるサンドイッチの活動やこれからやろうとするシェアキッチンを街に作るって学術的に見ていくと、面白いと思うの。

(先生もこの時は、ちょっと習い事してみない?くらいな感じで誘ってくる。)

食堂をテーマにした人がいるなら、自分でも出来そうと急に身近に感じ、やってみようかなと思ったのが、大学院に行く事になったキッカケでもある。

つまり、南原食堂がなかったら、私が大学院に行く事もなかったし、シェアキッチンがここまで広がる事がなかったかもしれない。

それは大袈裟ではなく
大学院と仕事の両立が大変過ぎて、苦しい時もスッとお茶を出し
「僕でも卒業出来たんだからさっ」
と自虐的に笑う。

私だけではなく、多くの学生の拠り所になっていた。学内にある食堂ではなく少し離れた場所にあるという立地。南原さんもストレートで卒業したのではなく、何年もかかって苦労して卒業した経験があるからこそ、精神的な支えになっていた。

私も彼に何かしたいと思うけれど、今のところ何も返せていない。

地域に愛されるお店というのは、簡単だけど愛されるだけではなく、愛してくれないと愛されない。そういう意味では彼らは大垣の人たちを愛してくれていたのかな。

飲食店を超えた、みんなを支える場になっていたと思う。

多くの南原食堂のファンがいながらも、閉店の日まで告知しない。
ひっそり去るのは、彼ららしい。

新天地でまた!

ありがとう南原食堂。

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