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はじめに

生はいつも、生の解体がもたらす産物なのだ。生はまず死に依存している。というのも、死が生のために場所を残すからである。次に生は死のあとの腐敗に依存している。というのも腐敗は、新たな存在が絶えず、この世に生まれてくるのに必死な養分を循環させるからだ。
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』

本は突然、わたしたちの日常にとんでもない思考と言葉で現れる。誰かとの触れ合い、対面の中ではある文脈を通してしか絶対に出会うことのない思考と言葉の数々。本は、あるいは文章は受動的に読むことはかなわず、全ては能動の中でしか起こらないので、不意な出会いという表現がおかしいと考える人もいるかもしれないが、いま目にしている言葉の次にどんな言葉が並べられているかは作者の手に委ねられている。そしてそこにわたしたち読者は介入できず、ただ紙に印刷された文字を読み、意味を咀嚼し、作者の意図を読み取るしかない。それは不意であり、暴力的だ。

本は、本屋に並んでいる。あるいは本があったらいいなと思う場所に、あったらいいなと思われた本が並んでいる。本はネットを通して買うことももちろん出来るが、その場合、出会う本は“レコメンド”という形で限られる。「日本統計年鑑」によると、令和元年の書籍新刊点数は71,903冊。重版をのぞいても膨大な点数だ。成人が読める年間冊数が最大200冊だとしても追いつかない圧倒的な数字。中には内容と価格が釣り合わない本もあり、読む必要のない本も世の中には溢れている。でも出来れば良い本にはとりこぼしなく出会いたい。良い本に出会える確率をあげるには、やはり書店、古本屋に足を運ぶことが必要だ。

いい本屋があることが、いい街の条件だ

先日訪れた田原町にある新刊書店「Readin' Writin' BOOKSTORE」のホームページのABOUTには、以下のような文章が掲げられている。

エッセイストの松浦弥太郎さんは自著「この店、あの場所」(マガジンハウス、2015年)で書いている。「いい街にはいい本屋がある」と。
言い換えるなら、「いい本屋」があることが「いい街」の条件なのかもしれない。資本に支えられたチェーン系書店に押され、街中にある昔ながらの本屋が姿を消している。

その一方で、独立系と呼ばれる個人経営の本屋が各地で生まれている。
本屋を始めることが目的ではない。「小商い」のライフワークとして10年、20年と続けていくことに意味がある。

あの店が近所にあってよかった、あの店があるから浅草・田原町で暮らしてみたいと思われるような個人店を目指したい。
引用元:Readin' Writin' BOOK STORE

本屋は昔から好きだ。チェーン系書店に足を運ぶことはもちろんあるし、街の本屋にふらっと入って、話題の書籍を手に取ることもある。ちなみに信条としてネット通販で本は買わないことにしている。

都市開発が進み、人が集まるエリアはどんどん変化している。駅ビルは肥大化し、ショッピングセンターまでの道は繋がり、駅に降り立った人々はその中をぐるぐると周り、自分たちとしては意思を持って行っているという認識のショッピングは、実は誰かがデザインしたものだ。つまり、わたしたちは駅を街だと思い込み、本来の街には一歩も足を踏み出していない。でもいい本屋には、人を駅の外へ連れ出す引力がある。

チェーン系書店が悪いと言いたいわけではない。それらの書店では新刊を満遍なく取り扱い、仕事人に必要なビジネス書籍、学生に必要な教本、子供が読みたい絵本、勤め人の任期を終えた高齢者が読む実用書など、多様な本が並んでいる。日本全体の書籍の売り上げに貢献しているのは、間違いなくこれらのチェーン系書店だ。いい本が生み出されるためには本が売れる状況がなくてはならないから、チェーン系書店は必要不可欠な存在だ。言うなれば、人が毎日動くために必要な三大栄養素を補う役割を果たしていると思う。

一方、駅から少し離れた場所にある独立系の書店では、店主の意向が大いに反映されている。だから今日発売された新刊がすぐに並ぶことは少ないし、ラインナップも偏っている。古本屋であればなおさらだ。でもそれがいい。体は体を動かすために必要な栄養を欲しがるが、頭と心は別の栄養を欲しがる。それを満たすのが、街のいい本屋、独立系書店、古本屋に並ぶ本たちなのだとわたしは思う。

いま自分に必要な本がある場所を

おそらく人生には、本が必要となるタイミングが必ずやってくる。普段から読書が習慣になっている人の場合は、必要な本を見つけることはなんら難しいことではないかもしれない。けれど、日常の中で本に触れる機会が少なく、また書店に足を運ぶこともない人はどうだろうか。いま自分に必要な本がある場所、必要な本を、どうやって見つければいいだろう。

わたしが本屋を紹介するのは、それぞれの本屋の個性が面白く、好きだと思うことはもちろん、今すぐに本を読みたいとは思わないけれど、本が読みたくなった時に、自分が読みたいと思えるような本がある場所を知っておきたいと願う人に届けばいいなと思っているからだ。なんとなく、この本屋はいいかもしれないと思うだけでもいい。この街のこんな場所に、あんな本屋があるんだと知っておくだけでもいいと思うのだ。何かのタイミングで少し時間ができてしまった時、あの本屋に行ってみて、良さそうな本があれば買って、お茶を飲みながら読んで待とう。そんな風に自然に考えられる人が増えることを願って。

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