他人の目が気になる…に潜む心

Nicoと申します。
いままでTwitterで自分の心を掘り下げてツイートをしてましたが、文字数が足りず…😅
これからはnoteを活用して行こうと思います♪

さて、「他人の目が気になる」…について

自分も含め、昔から親の顔色を伺って生きてきた方々にとって、他人の目というのは気になるものと思います。

でも一体何を気にしているのでしょうか⁇
その恐れはどこから⁇

それについて掘り下げてみました♪


・気にする事と、恐れ

「気にする」と言うことは、
無意識に何か正解を探そうとしているのかと思います。

**自分は間違ってないよね⁇ **を確認している感じです。その行動の根底には「恐れ」があります。
「間違えることへの恐れ」、「他人に変と思われることへの恐れ」

では、その恐れ通りになると「自分はどうなる」と思っているのでしょうか⁇

私の場合ですが、

・恥ずかしい思いをする(他人を通しての自己否定)
・嫌われる、笑われる(拒絶される恐れ)
・社会で生きていけなくなる(死への恐れ)

こんな風に思っているようです。そして「恐れ」により()の中の事を避けているようです。


・もし自分と他人が逆だったら⁇

ここで、もし自分と他人の立場が逆だったら⁇と考えてみます。

他人が私に「変な人…」、「恥ずかしいやつ!」と思われてるとしたらどうか。

「その人は生きていけると思いますか⁇」
と自分に尋ねてみました。
これを読んでくださっている皆さまはどうでしょう⁇

私の答えは、「生きていけると思う」でした!
自分では、他人にそんな風に思われたら生きていけない‼︎ほどの恐れを感じているのに

その奥には、
「私に他人へのそんな影響力は無いから」という無価値感がありました。

「他人」…私の生死も脅かしかねない、私を変えるほどの力がある
自分」…なんの力もない、他人への影響力もない

何という前提…


・恐れの正体

私の場合、この他人への恐れの正体は、
恐れというより自分の無力感でした。

恐らく、最初の人間関係である家族との関係で、私は圧倒的な力の差と無力感を味わったのだと思います…

この無力感については、長くなりましたので別の機会で癒す過程の事を書けたらと思います。

今日は、そんな恐れの正体についてのシェアでした♪
お読みいただき、ありがとうございました😊💕

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