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コンシーラの私(第九章)

クリすます

私は、クリスマスになると寂しさがこみあげてくる。それは、他の人が考えている寂しさではなくて、洗脳されている日本人の中で一人、変えられない世の中でうごめいているから。

また、同じ何十年も続く洗脳を促す楽曲が街中でかかりだす。

「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」ここまではいい。次からが問題だ。「きっと君はこない。一人きりのクリスマスイブ。心深く秘めた想い叶えられそうにない」君って誰?なんでクリスマスになったら、その君という奴と過ごさなきゃいけないの?なんで?クリスマスのときだけ、秘めた想いをもたなきゃいけない?なんで、期限を区切って、いちいち、その願いを叶えないといけない?

クリスマスが近づくと、街中を歩く人達が、その洗脳された世界で、道に迷った子犬のように、見えない力によって、洗脳され、いつまでも迷い続ける姿を想像すると、居た堪れなくなる。なぜ?日本は、家にクリスマスツリーを飾って、部屋を暖かくして、ゆっくり過ごしちゃいけないの?ちゃんとしたクリスマスを何十年も過ごすことができないの?いちいち、見知らぬ人を探しにボケ老人のように徘徊させられるの?

お父さんから昔、そのことで相談したら、あることを教えてくれた。日本は、昔、戦争に負けた。アメリカにも中国にもロシアにも。今でも、若い世代を苦しめ続けているのは確かなことだよ。と。

でも、この洗脳ソングを作っているのは日本人だよね?もし、日本がその苦しみから解き放たれたとき、その日本人はどこにいくんだろう?処刑されないだろうか・・・

私のクリスマス。それは、クリスマスになると、ゾンビのように洗脳されてうごめく日本人というものに、自分のアイデンティティと帰属意識を重ねることができない、まるで違う人間のように思えてきて、私という人間について考えさせられるイベントのような気がする。

きっと君はこない。

ゾンビだらけのクリスマス。

また、その日が近づこうとしている。

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