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Into the Wildを見た

1人になった事で思い出した映画と最近の話をする。
ネタバレもするけど出来ることなら自身で見て欲しい。
(有料でもネット配信は無い上に円盤も絶版していますが…)

最初は20歳頃に観たんだと思う。
何年前に観たか覚えていないので多分だけど。

内容をざっくりと言うなら、頭の良い若者が両親や世の中にうんざりして家を出て旅をして色んな経験をして、最後に「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」と認識する話。

20歳頃の私は親とは不仲だったし世の中への不満とかも抱えて主人公と共通点が沢山あったので感情移入した。
主人公みたいに前途洋々では無かったし頭も良くないし、お金などに世間知らず過ぎる感じと最後だけは全く共感は出来なかったけど。

1人でのご飯も美味しいし、1人で何をしても楽しめた。
むしろ他の誰かと協調して一緒に何かをするのが苦手なので、別に1人でいいじゃん!!って心底思っていたし、ヒッチハイクで色んな人と出会い、雄大な自然での経験とかとてつもなく過酷そうだけどやってみたくもなるような旅だから、素敵だなあなんて思った。

改めて今観た

スーパーに買い物に行った時に
「これ父さん好きだったな」
「これ美味しそうだしおばあちゃんと…」
って思ってしまう自分がいて、あ、もう皆居ないんだ…って何度も何度も認識させられて悲しくなった。

そんな時にこの映画の事を思い出した。

「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」に心底納得する日が、まさか自分に来るとは。永遠に1人で良いと思っていたのに。

そして映画の中で老人が「人は、人を許せた時、人を愛せる。」と言っていて、ストンと納得した。
私は他人に対しての許容範囲がめちゃくちゃ狭いので、母親と上手くいかず家を飛び出している(家を出た事で程よい距離になり今の関係は悪くはない)し、何年も付き合って結婚を考えた人ですらさまざまな事が許せなくて別れたし、他人を許容出来ないから1人が最高だと思っていた。

父は過去にとんでもなく恨みもしたが、晩年は良い上司という感じだったので許せた(そもそも一緒に全然暮らしていないから許せたんだろうな…)。
おばあちゃんはなんでだろうな。全然わからないけど、ほぼ寝たきりになって下の世話とかもしていたけど、気持ちとして全く苦じゃなかった。許していたからなんだろな。

でも、最後の「もし僕が笑顔でその腕に飛び込んだなら、見てくれるだろうか、今僕が見ているものを。」という事を考えると、父もおばあちゃんも2人共私と同じものを見たりはしないなと思ってしまった。
年齢が離れ過ぎているし、感受性が違い過ぎる。
何より向こうは私に興味は無かった(2人共私の将来の心配はしていたが…)ので、父とは思い出話ばかりだったし、おばあちゃんとは天気と気温の話ばかりだった。

毎日毎日同じように
「今日は朝は寒いんだって」
「お昼頃は暑いみたいだよ」
「今日はあったかくなるんだって」
「朝晩で気温差があるんだって」
NHKで天気予報がやる度に話してた。おばあちゃんはもう外に出ないのに。ずっとずっと天気と気温を気にしてた。
今となってはそれが恋しいので、NHKの天気予報を見ても泣いてしまうかもしれない。


私は相手の意思で家を飛び出されたわけではないので主人公の親と状況は違えど、いなくならないと大切だった事に気付けない愚か者な事には変わりなく、私はまだおばあちゃんへの気持ちの整理がついていない。山盛りの後悔と寂しさでめそめそする。

朝起きたらおばあちゃんがいつもの椅子に座っていて、おはようって言ってくれたりしないかなって思ったりする。


自分が親になった人が見たらまた全然違う受け取り方になるんだろうな。私にこれをオススメした人はもう子供がいるからきっと違う見方になっているんだろな。

主人公が読書家なので印象深い言葉を引用する場面が多々あるんだけど
「自分がこの大地にいるのは、魅力的な自然の意味を理解し、物事を正しい名前で呼ぶためだと。」
と言っていて、私の正しい名前はもうあんまり呼ぶ人がいない事を思い浮かべた。
でも、それが良いのか悪いのかはまだわからない。

いつかわかる日が来るのかな。

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