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原点

人と人のすれ違い。
いくら誠意をもって相手に伝えようとしても伝わらなければ寂しいものだ。

何もかも0にしてそこからスタートする心境は、ニューヨークへ旅立つ尾崎豊と近いのかもしれない。
同じように退屈な日常にうまくいかない苛立ちを感じている。気持ちが空回りするんだ。何か大切なことがあるのにそれをうまく感じることができない。

人は常に刺激を追い求めて生きている。俺もそうだ。その手段は人によって様々だけど、時には刺激によって身を崩してしまう人もいる。とにかくいろいろ試行錯誤しながらもがいている。

「飽き」に打ちのめされている。それでも続ける自分を抑えようとするもう一人の自分がいる。いつも俺はもう一人の自分との葛藤に苦しみながら戦っている。
退屈な日常のなかで、そこから逃れようとあがいている俺の姿は傍らから見ればさぞかし滑稽なんだろうな。
今俺の敵は日常と自分自身。誰かに理解を求めてもムダだろうし、誰かの目に止まることもない。
それでいて、結局いつもイライラしか残らないんだ。

まだ分からないことだらけで、どうしたらいいかもわからずにいる。そんな自分だけど、決して忘れちゃいけないことがある。
映画のワンシーンでのセリフなんだけど、そのセリフが今も自分の心に深く刻み込まれている。そのセリフのおかげで自分の向かうべき方向がなんだか見えたような気がした。だからそれは俺の原点と言ってもいいんだと思う。
そのセリフは「幸せってなんだろう?」というものなんだけど、これが難しい・・・
そして、その「幸せ」の正体を究明していくためには賢くなる必要がある。要するに、例え分からないことがあったとしても途中で諦めずにとことん考える姿勢が大事ということなんだ。その姿は滑稽に見えるかもしれないけど、決して無意味なことではないはず。いや、そう信じたい。
例えば、よく常識や既成概念をさも当然のことのように振りかざす人がいるけど、その人がいつも正しいとは限らないと思うんだ。
だから、この気持ちを忘れず、挫けず追い続けていれば、いつかは辿り着くと信じている。
そして、もし自分と同じようにたった一人ぼっちで「幸せ」を追い求めてその葛藤に苦しんでいる人がいるなら、きっと俺はその人を理解できると思うし、励ましてあげたい。

「幸福」になるためには様々なことから学ぶことが必要だと知ったから進学の道を選んだんだ。
でも実際は俺の知りたいことの大半がそこでは学べない。その残された疑問こそが俺の課題であって、その疑問を解き明かすには、自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて、そして頭で考えること。その「経験」が糧となり、編み出した「答え」がやがて幸福へと導いてくれるはずだ。
それをするために僕はこの街にやってきたのだから。
「学ぶ」ということはもともとそういうものなんだと思うけど、どこかでかけ違えて真の目的が損なわれてしまっている現実があると思う。本当の意味で「幸福」を学べる学校なんてないんだろうな。やれ手段とか、やれ方法論だとか処世術だなんて、本来学問の目的でないはずなのに、教育者が本義を見誤ってしまっているんだから世話がない。教わる方はたまったもんじゃないよ。そんなもので永く困難な人生を乗りきれるわけがない。
だからと言って不満を先生にぶつけても仕方がない。彼らはただ雇われてるだけの職業教師なのだから。
俺はもう誰も頼らないし、誰にも従わない。
教えてくれないんだったら自分で探すしかないだろう。

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