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さよならの決定打

胃が痛い。
激痛でほとんど眠れなかった。
原因はおそらく、というか確実に夕食に食べた牡蠣だ。

じつをいうと数年間もの間、薄々気づいてはいた。大好物の牡蠣を食べた日には決まって胃が激痛に襲われている。
それでも恋は盲目。「たまたまだ」と言い聞かせていた。自分がこんなにも大好きな牡蠣に嫌われているだなんてどうしても受け入れがたく「ご馳走を食べすぎたから…」の可能性を捨てきれなかったのだ。

だって、おいしいから、食べたい。(純粋な欲)

きらきらと白く輝く“海のミルク”にレモンを少しだけ絞って口に含むと、鼻にふんわり抜けるレモンと磯の香り。ぷるんぷるんの舌触りにとろける。ひと口噛むと溢れ出す、口の中いっぱいに広がる濃厚でクリーミーな旨味。感動し、身悶えし、生命に感謝する。それはまさしく恍惚のひととき…

その瞬間の幸福感をわたしは知っている。故に「大丈夫なの?やめとけば?」と言う周りの忠告にも耳を貸せなかった。そのくせ食べた後に起こりうる最悪の事態に少し怖気付き、生は避け、火を通してもらったものをひとつだけ食べてあとは泣く泣く我慢した。本当は生牡蠣が一番すきなので、加熱された牡蠣は胃痛と引き換えに食べたいほどではないにもかかわらず。

激痛と格闘し冷や汗をかきながら、こんなことなら、と歯を食いしばる。
こんなことなら最後に生でたくさん食べておけばよかった…!と思った。
食い意地と欲にまみれた思考回路は救いようがない。

ねぇ、すきって気持ちだけじゃうまくいかないって、こういう事…?あこがれにも似た生牡蠣への想い。彼とのお別れがこんな不本意なものであるなんて、悔しい、悲しい、がっかりだ。
そして最後に生牡蠣をたらふくたべなかった自分を恥じた。でもそうしていたらこんな痛み程度では済まなかったかもしれない。わたしたち(わたしと牡蠣)の間に漂う別れのムードに長年目を塞いできたが、決定打をくらったようだ。
とにかくもう、胃痛で眠れないのはごめんだ…。
わたしの中途半端な覚悟を嘲笑うかのようなその痛みをもって、もはや牡蠣を食べれないことを認めるしかないのだと読んで字の如く痛感した夜だった。

空が白んでいくと共に徐々に痛みが遠のき、気づくと深く眠っていた。牡蠣の夢すら見なかった。お別れの夜くらい夢に出てきても良さそうなものなのに。牡蠣は無慈悲だった。(逆にそれが優しさだと信じたい)

目が覚めたのち、すっかり痛みがないことに安堵しつつも、あの痛みと共に牡蠣も私の体内からもういなくなっているのだろうか…というどこか喪失感のようなものに襲われる。

さよなら、牡蠣。
たくさんのしあわせをありがとう…涙


生牡蠣食べたい…

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