おばあさんに会いに行ってきて、やっぱり良かった
歩いて2分のマンションに住んでいるおばあさんに会いに行ってきた。海外から久しぶりに帰ってきてから3ヶ月もあったというのに、これが3回目の訪問だった。
自転車を使えば1分もかからないお隣さん。階段を登ればすぐそこだったのに後に延ばせば延ばすほど会いに行かない言い訳が膨らんでますます会いに行きずらくなっていた。
母からは祖母が孫が全然来ないと愚痴っているのを聞いていた。最初の2回はたった5分しか居なかったじゃないと。「30分くらい居たはずなのにそんなこと言われたら行きたくない。」
そんなに来ないならもう来なくていいって言ってたよって。。。「だったら行かない。」
そんなこんなで「おばあさん」を過剰に意識していたからか、友達や知り合いから色んな人のおばあさんの話を聞くことが増えた気がした。
おばあさんの妹さんが亡くなったと言って、ある友達がおばあさんには会えるうちに会いに行ったほうがいいよというインスタグラムのストーリーを載せているのを見た。そんな歳か。。。小さい頃は遊び相手だったおばあちゃんが老いていってしまうのを見たくない気もした。
また別の人からは、そういえばあの子田舎に住んでいるおばあさんに今年の夏も帰ってこなくていいよと言われたらしいことを聞いた。日本でコロナの感染者数が再び伸びてきていることを懸念して、だって。
聞いたその時に「会いに来ないでと言われた方がいいですね。なんかもしかしてコロナを移してしまったらと思って気を遣ったつもりで会いに行かないで、向こうの身に何かあったら心残りになるだろうし」と自分の口から言葉がすらすら出てきたことに驚いた。
その田舎のおばあさんの「会いにこないで」にも祖母の「会いにこなくていいよ」にも愛情とか葛藤とか寂しさとか心配とか色んな感情が詰まっている気がして苦しかった。
どんな顔をして会いに行けばいいだろうか、申し訳なさそうに久しぶりと言うのも違うかもしれないし、会いたかったよを全力で伝えるのも違うだろうし。
外に出れば肌がヒリヒリする猛暑の日の昼下がり。自転車で近所を一周してからおばあさんちのドアを叩くことに決めた。急に決めたもんだからどんな顔をして玄関を上ろうかなんて考える暇もなく先におばあさんの顔を見ることになった。
彼女の下がっていた眉に一瞬ビクッとなったが、「あらご無沙汰ね、お久しぶり」というおばあさんの顔はもうすでに晴れていた。最近どう?と口ではなんでもない風を装いながら、しばらくご無沙汰していた心苦しさを隠すのに必死で、前にあった時と全然変わりのない姿を見て妙に安堵した久しぶりの再会だった。
向こうも本当はなかなかこない孫に怒っていたのかもしれないが、それもこれも隠して止まっていた3ヶ月のあれこれを聞いてきた。どんなことしたの楽しかったの大変だった?の押し寄せる質問におばあさんの「会いたかったよ会えて嬉しい」を受け取ることになった。
「じゃあ帰るね」玄関の手作りのれんを手で払った時、ああやっぱりきて良かったと心の底からそう思った。出る時はささっとするようにしているが、心地のいい場所から出る寂しさと何か大切なものを置いてきた感じにざわざわした。
ピピっ。「リップおいていったよ」さっき別れたおばあさんからのLINEだった。なんだか良かったリップなんていいんだけど、またすぐに会いにいく言い訳ができた、
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