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”忙しい”日々

まだまだ暑い日が続いていますが、9月と言われると秋を意識しますね。
今年度も半年が経過したと思うと早いもので、社会人になると年々時間の経過が加速していく感覚になります。
忙しさに翻弄されて「仕事が落ち着いたら…」と色々なやりたいことを先送りしたところで、その日はなかなかやってきません。
今回のテーマは「忙しいこと」に焦点を充てていきたいと思います。

私の周りでは「忙しくない」という人を見たことがありません。
自社内の社員だけでなく社外で繋がっている人も、仕事は関係なく家族や友達も含めて、みんな「忙しい」のです。
暇を持て余している知り合いはほぼいないと言っていいかもしれません。
仕事に限らず、家事・育児・介護・地域活動‥などなど、みんなそれぞれの環境や立場で色んな役割を持っていて”忙しい”のです。


”忙しい”と言いたくない

私はこれまで「忙しい」という言葉を極力使わないように意識していました。
自分が忙しそうだと思われることがあまり好きではなかったのです。
それは余裕がない、計画性がない、仕事のできない人という私の勝手なイメージがあったからです。

そんな私は「忙しい」は単なる言い訳だと思っていました。
そういう価値観を持っていると仕事の場面では自分に厳しくなるだけでなく他人にも厳しくなってしまいます。
もともと私は仕事にストイックなところがあり、見栄っ張りなところもありました。
「卒なく涼しい顔で仕事をして定時で帰る」というのが、なぜか私の理想のスタイルだったのです。
そんな私でしたが、ふと冷静に周りを見たときに考えに変化が訪れました。

ポジティブに捉える”忙しさ”

最近になって「忙しい人は仕事ができる人」と捉える人もいるんだなあと改めて気づいたのです。
”できる人”には仕事の依頼がたくさん舞い込んでくるので、おのずと忙しくなって手が回らなくなり、仕事を断らなければならない状況も出てくるでしょう。
そういう意味で実際に忙しい人は、仕事ができるというイメージは納得がいきますし、そんな姿にかっこいいイメージを持つ人も多いように感じました。

「仕事を頼みたくなる人」に悪いイメージはありません。
冷静に周りをみれば、自ら忙しさを求めているようにも見えるほど、常に忙しそうな人も身の周りにいることに気づきました。
そんな人は生き生きとしているし、仕事に前向きな姿勢を持っています。
そんな忙しさなら、あっても良いのではないかと思うようになりました。
”忙しい”という概念は見方で全然変わってくるのだと思いました。

”忙しい”自分

忙しいという言葉はとても便利で、いろんな場面で使われます。
何かの弁解にしたり、理由にしたり、説得する場面でも。
そう考えると「忙しいこと」は周りに対して自分を守る盾になっている部分もあるなと思いました。

「忙しくて…」と自分が口にするとき、自分はどんな気持ちがそこにあるでしょうか。
イライラしている忙しさなのか、生き生きしている忙しさなのか。
自分はどちらを感じているのか、一度立ち止まって考えてみても良いかもしれません。

忙しさの本音

忙しさを弁解にする時、忙しさの正当性を周りに伝えてしまいがちですが、本当は自分自身を納得させたいと思う本音がそこにあるかもしれません。
この忙しさは自分が望んでいるわけではなく「仕方がないこと」として。

自分に対して弁解したい忙しさは、本当は優先したい別のことがそこにあるのにできない心の葛藤があるかもしれません。

忙しい時ほど心を整える

忙しさを感じている時ほど、深呼吸してゆっくり自分の心を整えて欲しいものですが、実際にはなかなか難しいと思います。
せめて、心の中だけで構わないので「自分は今忙しくてテンパっているな」と冷静に捉えるだけでも少し落ち着いて感情がおさまるはずです。

みんなそれぞれ忙しさを感じている日々。
その忙しさの中でも自分の大事なものをきちんと選択していけるように心を整えていきたいですね。

忙しさの中でも自分を客観視できると狭くなっていた視野がぱっと広がる感覚を掴めるかもしれません。

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