いざ、フォルケホイスコーレへ!

**こんぱすにっきからの転記 2017/9/24**

…と思ったものの、、、
「ごめん、飛ばない…!」

少し早めにオランダで前入りしていた私のもとに、相方のKaoruから、空港で足止めされているというメッセージが。

なんと、21時フライト予定が朝の6時まで待たされたとのこと。

コペンハーゲンで、9時間遅れで無事に合流できたときの感動はひとしお。

初日はもともと作戦会議と称して、予定をほぼ入れていなかったことが功を奏しました。

いよいよ翌日から、アポを取っていた教育施設の見学です。

1つめは、フォルケホイスコーレ。2つめは、森のようちえん

フォルケホイスコーレ。人生の学校。
そもそも「フォルケホイスコーレ」とは何なのか?

一言でいうと「人生の学校」

17.5歳以上なら誰でも入れて、入学試験も成績表もなし。人生を豊かに生きるための教育を行なう場所。それが「フォルケホイスコーレ」です。

北欧に広がる独特の教育機関で、フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマークに400校ほど存在しています。

フォルケホイスコーレは、デンマークの国民の父と言われるグルンドヴィ氏が19世紀に創設した学校。

19世紀、農民開放政策が進んでゆくものの、当時の教育は学者・官僚などの知識人に限られたものでした。

本当の意味でのデモクラシー(国民による国民のための政治)が行われるためには、農民たちが、社会を支える市民として一人前になること、官僚や知識人と同じレベルの議論ができるようになるまで知識と教養を高めることが大事だと考えたところがはじまりです。

社会を支える市民としての力をつけること。
そのためには、”生きた言葉(Det levende ord)”を使って対話と相互作用を及ぼし合う

”生のための学校(Skolen for livet)”が必要である。

そのような趣旨をもとに設立された、「Folke(国民のための)højskole(学校)」なのです。

今通っている人たちは17.5歳以上。本当に多種多様な人たちが通っていて、「大学入学前に、自分の進路について考えたい」、「次の仕事に転職する時期が来た気がするから、今一度人生について考えよう」、「心の病を抱えている。自分と向き合いながらじっくり治していく時間が欲しい」などさまざま。

共通の目的は、「自分との対話、他社との対話を通じて、生きる意味と社会に存在する意味を、ゆっくりと模索したい。」

そんな人たちが、朝ご飯を食べ、授業後受けて、ゆるやかに言葉を交わしながら、静かに一日を終える。違うバックグラウンドの人たちが、利害関係がない中で交わされる対話閑けさの中で一人で考える時間

ゆっくりと、それぞれが一歩踏み出すためのねじを、きゅるきゅると巻いている。

そんな感じ。

待つことに寛容で、つまずくことを許される社会。

それがデンマークだな、と思いました。

目指すは、ノーフュンス・フォルケホイスコーレ。
今回の旅の最初の舞台はボーゲンセ(Bogense)。首都コペンハーゲンから電車でがたごと一時間半。アンデルセンの故郷オーデンセがあるフュン島の北西部にあります。

なんとも長閑な景色が続く中で、やってきました。

「ノーフュンス・フォルケホイスコーレ」は、なんと日本人が設立したフォルケホイスコーレなのです。

1983年に千葉忠雄さんが犯罪を犯してしまったり、不登校になってしまった子たちのために作ったグループホームが始まりです。

早朝に到着すると、19歳から60歳前後の方まで、国籍もばらばらな人たちが一緒に朝食を食べていました。日本人が作ったこともあって、日本人が思ったよりも多かったことにもびっくりです。介護施設に勤めていて福祉を学びに来た26歳男性、就職前に人生を考えに留学した学生など。

今回は、Momoyo先生が行なう、日本語での社会福祉・介護の授業にお邪魔しました。

その人がその人のままで生きることができる介護とは

教室も机も、そこにいる全員が対話に参加できるサイズのもの。あたたかいコーヒーを片手に授業が始まります。

教科書はなく、先生の問いと生徒の問いから授業が始まり、展開されます。授業の後半は体育館に移って「心理的距離の実験」をしました。

名物授業を担当されているMomoyo先生がとってもチャーミングでパワフルで暖かく。あなたはどう思う?それってなんで?の繰り返しで、一気に世界に引き込まれていきます

デンマークの福祉では「その人がその人のままで生きることができる」ことを大事にしており。

認知症介護の場面で、少年時代の話をし続けるおじいちゃんに「おじいちゃんその話145回目ですよ!」というふうに接しないという。

「今」を生きること、戻してあげることにどれくらいの意味があるのか?

それは仕事を効率的に進めたい介護士側の都合では?

少年時代の話をしたい目の前の人と同じ時を過ごすことで、その人にとって安心な空間を作ることが一番大事。だそう。

目の前の人の中には、どんな種類の人格・価値観・文化が詰まっているんだろうと知りに行き、発される言葉から、根本的なニーズを探り、限られた素材・選択肢のなかから、ニーズを満たす方法をアレンジすることができる介護士が、いい介護士。

とても素敵な考え方で、自分の中の学びとして、ずしりと響くものがありました。

そうしているうちにあっという間に4時間が経過。

対話しながら授業をしていると、こんなにも時間がたつのが早いんだ。(大学の授業でもこんな時間の感じ方したことないかもしれない…)

しかも、生徒同士のお互いの価値観が分かってくるので、距離もすぐに縮まる。

とても多くのことを学んだような気がして、まだまだ、ぐるぐると、消化不良。自分の中でかみしめたい。

そうしていると、次のアポの予定がやってきました。

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