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【人見知り克服】人見知り過ぎて人生終了寸前だった僕が生まれ変わるほどの学びを得る話

僕は、変わった……。

人見知りを克服できた。

この話では、僕が歩んできた「人見知り克服」までの軌跡を紹介したいと思う。

共感してくれたら嬉しいし、単なる与太話として流してくれても良い。

興味が無いならブラウザバックしてもらって構わない。

ただ、僕は自分が体験してきたこの変化出会いを、一人でも多くの人に伝えたいと思っている。


なぜなら、それは僕だけに起きた奇蹟ではなく、正しいプロセスを踏めば誰にでも"同じ結果"をもたらすものだからだ。

信じなくて良い。

よくある三流文章として馬鹿にしてくれて構わない。

ただ、この記事を読んでいる人で、人見知りで苦しんだ経験がある、あるいは現在苦しんでいる人がいれば、少しでも助けになればいいと思っている。

◇◇◇◇◇


まずは僕がどういう人間で、どういうプロセスで人見知りになっていったかを話したいと思う。


幼少期の頃は、特段他人に緊張するタイプではなく、むしろ普通に人と話せていたと思う。


小学生になると、自分が声を発するたびに、クラスの子からよく話し方を真似され、からかわれたり虐められたりした。


だんだん自分の発している声は変なのかと自信が無くなり、以前は人と話す時も堂々としていたはずの自分が、段々と尻込みするようになってしまった。


そのことが積み重なって、徐々に声が小さくなり、人からよく聞き返されるという状態になってしまった。


【自分の言いたい事が相手に伝わらない】


これって、発する側も、受け取る側もかなりもどかしいんじゃないかと思う。


こういう経験はないだろうか?

誰かにしゃべったりすると、「え? なに!?」と聞き返される。

それが何度も何度も繰り返される。


そうすると、段々自分に自信が無くなって、人に話すのが怖くなってしまう。


今まではできていたのに。

また聞き返されたりするのが怖くて、どんどん話せていた頃の自分が思い出せなくなっていく。

中学に入ると、環境が変わったのもあってクラスの子と話すことがまったくできなくなってしまった。


話しかけられても笑顔で返すことしかできなくなる。


最初は、笑顔でいる僕に対して良い印象を与えられたものの、次第に何一つ言葉を発しない僕に対してイジメが始まった。


心の中で「僕が何をしたっていうんだ!」と思いながらも、抵抗することができずに、ただされるがまま。


クラスの子からも「お前調子こいてる」と言われ殴られたことすらある。

家が貧乏で平屋の小さい家に住んでいたこともあり、クラスの子が物珍しく家を見に来てイジられたりからかわれたり、笑いものにされたりした。


犬小屋と呼ばれたことすらある。

屈辱に心が圧迫され、自分はなんて不幸なんだろうと、己の境遇を嘆いたり、こんな環境にした親を恨んだりもした。

その頃の僕はというと、自分がこんな状況下に置かれているのは【環境のせい】【周りのせい】だと思っていた。


友達呼べる友達はおらず、クラスの子から「お前友達いるの?」とからかわれ続ける毎日。


そのことに何も言い返すことができず、イライラする毎日だった。


高校に入ると、環境も変わったし、自分から積極的に話しかけなきゃと思ってクラスの子と話す努力をしてみた。


僕は小さい頃からお笑い芸人が好きでよく見ていたので、こんな感じで話せる人がコミュ力の高い人なのかなと思い、それを真似て冗談をいったりしていた。


その頃になると、数人の友達はできていた。

ただ、恐らくここが多くの人に共感してもらえるところだと思うが、相手に対して表面的に接していたせいで、相手のことが分からない。

僕のことをどう思っているんだろう、と、次第に思うようになっていった。


最初は会話が続いていた相手とも、次第に「何を話したら良いんだっけ?」と分からなくなっていった。


するとどうだろう。

また話すことができなくなり、疎遠になるということが多くなってしまった。


結局、その人にあまり興味がなかっただけなのだと思う。


今思えば、相手のことをよく知らないまま、ただ漠然と友達が欲しいと思っていたため、相手の気持ちとかよくわかってあげられなかったなと思ったりした。

そんな感じの性格だったため、社会人になると上司は先輩など、職場の人とのコミュニケーションがうまく取れず、プライベートの話はもちろん、業務に対しても分からないことを聞くことができず、自分勝手に進めてしまいミスをして怒られることがよくあった。


職場の上司からも、「もっと他の人と話したら?」と言われたりもした。

でも、「話せるなら話してるよっ」と思いつつ、「はい」としか答えることができなかった。


その職場は1年半くらいで業績悪化によって一斉解雇が行われ、辞めざる得なくなった。

再就職先を探していた矢先、高校の同窓会で久しぶりに会った友人から、郵便局のアルバイトを紹介され始めることとなった。


外務で郵便配達と聞いていたので、人とコミュニケーションが取れなくても大丈夫だろうと、高をくくっていたのだが……。

いざ入ってみると、配達だけではなくて、お客さんと対面でサインもらったり、会話をしなければいけない場面が多くあった。


優しい人なら話すことはできたのだが、強面だったりヤンキーっぽい人だと萎縮してしまい、緊張してうまく話すことができなかった。

そんな人ではなくとも、話すことは一言二言が限界で、話を膨らますことができずに会話が続かない。


また、緊張からか人と目を合わせることができなくなってしまった。

外を歩くときは、ほとんど下を向いている状態で、人とよくぶつかりそうになっていたりした。

そんな性格なので、自己嫌悪に陥ることが多く、卑屈になって「自分なんかダメな人間なんだ」と卑下したりもした。


また、仕事柄バイクに乗って作業するので、腰と肩が常に痛くなっていた。

とうとう腰椎のヘルニアまで患ってしまい、まさに踏んだり蹴ったりだ。


そこから5年くらいは整体や接骨院も色々なところに行ったりもしたが、その場では良いものの、日にちが経つと再び痛い状態に逆戻り。


まさに生き地獄だった。


ぶっちゃけ、何度死にたいと思ったか分からない。

ただ死ぬのは怖い。

毎日が苦しい。

死にたい。でも死ねない。死ぬのは怖い。


漠然とした、正体不明の恐怖に苛まれる日々が続き、常に心の中で誰かに助けを求めていた。


――――


そんなときだ……。


以前から友達探しのために掲示板サイトで同じ趣味の人を探していたところ、気になる記事を見つけた。

その記事のタイトルとかもう覚えていないが、内容を何気なく見ると、けっこう共感できそうな部分が多く、同じ悩みを抱えている人っぽくて友達になれそうだと感じた。


だから僕は、同じ悩みの人と共感したいという思いもあり、勇気を出して会ってみることにした。


今思えば、これが運命的な出会いの始まりだった。

会う当日、待ち合わせ場所に現れたのは、女性と男性が一人ずつ。


僕は緊張してうまく離せなかったけど、彼らは凄くニコニコしてていい人だった。

人見知りの話が盛り上がり、話をしていくと、彼らもコミュニケーションが上手く取れないことに悩んで、それを改善させるために、とあるサークル参加して頑張っているという話をした。


僕はといえば、その頃に思っていたのはコミュニケーションがうまく取れないのも自分の性格の一部だから治るものではないと思い込んでおり、最初の方は直したいという気持ちはなかった。


彼らはいい人だったけど、自分を改善するために頑張っている、というのも、どこか他人事として捉えていたと思う。


そんで、話が進んでいくなかで、そのサークルで使っている資料があるからと見せてもらった。


そのなかで肩こりや腰痛が治るアーサナと呼ばれる手法、いわゆる、ヨガのポーズ的なヤツがあったので、そこに興味を惹かれた。


その頃の肩こり腰痛は、僕の地獄の日々の象徴だったので実際にやってみたいと伝えたところ、そのサークルを紹介してくれるとのことで付いていくことにした。


そんで、実際に講座が始まってすぐにアーサナの講習があり、やってみてその変化に驚いた。


やる前はダルかった部分が「なんか違うな」と気が付き、軽くなっていたのだ。

なんというかこう……エネルギーが通っている感じとでもいおうか。


ともかく「もしかして、これって効果あるんじゃないか?」と思い、覚えて家で試してみた。

起き抜けと寝る前。

1日2セットの短いものだったが、三日も経つ頃には痛みがほとんどなくなっていることに気が付き、この数年の地獄は一体何だったのかと思えるほどに軽くなっていた。


人生で上位に入る嬉しさを感じた僕は、サークルの他の部分にも興味が湧いて通ってみることにした。


そのサークルでは、ポーズを取る行法だけではなく、心のメカニズム的な、理論のようなものも教えていた。

というか、むしろそっちがメインだったらしい。


そこで言われていることっていうのは、一言で説明すると凄くシンプル。

"やったことが返ってくるよ"

それだけだった。


詳しく説明し出すとめちゃくちゃ長くなるので省略するが、何分自分自身も理解するのに時間が掛かったのだ。


ようするに、今まで他人のせいだと思っていた自分の悩みの原因っていうのは、全部自分自身の中に存在しているということだった。

そこと向き合うことができたら、心の悩みは解決していく、みたいな説明をされ、そのようになっていくための実践方法も教えてもらえたが、ぶっちゃけ最初の方は全然真面目に受けてなかった。


(そんなんで変われるなら苦労せんわ)
(何年この苦しみに苛まれてきたとおもってんだ)

なんて卑屈になり、そんなんだから実践も漠然と受けるだけ。


当然そういう風にやっていたので変わるはずもなく、時間だけが過ぎていく。


ただ……


漠然と実践しながらも、講座が終わった後に電車で帰る際に、凄く身体が軽いということに、あるときフと気が付いたんだ。


さっき言ったアーサナの講習を受けてない時でも、ただ座学を受けたときでも、その変化している自分に気が付き、何かを感じとっていた。

実践をあまりやっていない状況が続くなか、ある講師の人から言われた。


「そんなんじゃ変わらないよ」


活を入れてくれたのだと思うが、嫌悪やプライド、反発心とか、とにかく色んな感情が吹き出してきて突っぱねたくなる気持ちでいっぱいだった。


だけど、だけどだ……。


今までずっと、変わらないと思っていた色んな事が変わりつつあるという実感はあったので、まずは教えられたことを、教えられたままに受け入れてやってみよう。

そこからスタートしようと頑張ってみることにした。


そして変化はすぐに訪れた。

人間本気になれば必ず結果が伴うことを実感した瞬間だった。


最初に感じた実感は、人の目を見られず俯いてばかりだった自分が、いつの間にかちゃんと目を見て話すことができるようなったことだった。


そして人と話す時の、以前のような緊張感がなくなってきていた。


最初はなんとなくだった変化が、段々と確信に変わっていく。

偶然と片付けていた時もあったが、実践をコンスタントに積み重ねていくと、徐々に確信をもてるようになっていったのだ。

他にも、寝起きが悪くていつも疲れ気味だったのに、目が冴えて少々のことでは疲れにくくなったり……、

人と接する時の緊張感もどんどん減っていった。


また、以前は仕事をしていても頭のなかがゴチャゴチャと雑念だらけだったのが、余計な思考があまり出なくなって仕事に集中することができるようになった。

まだある。

自分の周り、具体的には人間関係にも変化が訪れ始めた。


職場でいつも僕をからかっていた先輩が、なんだか優しい態度を取るようになったり、人から怒られることも目に見えて減ってきた。


「変わってきてる……変化は確実にある」


実践の効果が確信に変わった瞬間だった。


そこから更に楽しくなって続けていき、心がどんどん明るくなっていった。


いつしか人と話すことに対して抵抗感がほとんどなくなっていること気が付き、僕は確実に生まれ変わっていた。


サークルに出会う以前と今。

比べてみれば変化は火を見るより明らかだった。

自分でそう思っている以上に、周りから「○○君、変わったよねッ」と言って貰えることが嬉しくて、このサークルに出会えて本当に良かったと思っている。


人見知りで、人間関係がうまくいかなくて、全てを人のせいにばかりしていた人生。

でも、それすら自分で作り出していたのだと……今なら分かる。


そういう要素を含めて、自分なんだと。

己の要素を見つめて、変えていくことができれば、人生は変わる。


今は、以前の僕と同じような人見知りの悩みや苦しみを持っている人に、少しでもこの経験を伝えて、救われる人を増やしたいと思えるようにもなった。


偽善だと笑う人もいるだろう。

でも、例えどれだけの人から馬鹿にされても、笑われても、以前の僕のように苦しんでいる人を、助けてあげたいと思えるようになった自分を、僕は誇っている。


長い文章になってしまったが、僕の体験談はこれで終わり。

実際はまだまだ言い足りないことは山ほどあるけど、気になった人はプロフィールのリンクからHPに飛んで欲しい。


たぶん、多く人にはどうでも良いことかもしれない。

しかし、たった一人にでも救いになれば、こんなに嬉しいことはないと思っている。

ここまで見てくれてありがとう。

僕の話はこれで終わる。

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